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講 義■ Lec 016(その1)予測:未来を考える
掲示板■ 万物の不幸・風邪


 未来についての新しい講義です。今回は、未来を予測する重要性を考えていきます。


▼ 講義ファイル
・Lec016_1の講義ファイル(講義時間 25:40)
ブロードバンド用(ファイルサイズ 6.2MB)
ISDN用(ファイルサイズ 3.1MB)
倍速用(ファイルサイズ 10.9MB)


講 義■ Lec 016(その1)予測:未来を考える

▼ 未来予測は可能か
1 未来予測は誰でもしている
 未来とは時間の流れでいうと、まだ来ていない現在より先です。ですから、未来を経験することは誰もできません。
 しかし人は未来を知りたいと望みます。もし未来予測が可能なら、その予測に基づいていろいろな考えができます。未来予測が自分にとって望ましいものであれば、よりよい未来へと改善したいと願うでしょう。もし望まない未来であれば、いいものへ、少しでも悪くならないように、避けられないものならその未来に事前に対処していくこともがきるはずです。
 まだ来ていない時間である未来ですから、予測ができるのでしょうか。ところが、短い時間であれば、未来予測は可能です。そしてそのような予測は、だれでもやっていることなのです。
 例えば、道路を渡るときを考えて見ましょう。もし信号がない道路だったら、誰もが左右を見て、車が来るか来ないかを確認して渡るはずです。そして、もし車が来ていなければ、渡ろうと判断するでしょう。車が来ていても遠くであれば、自分の道路を渡るスピードと車のスピードを考え、大丈夫だとなれば、渡ることができます。
 まだ通り過ぎていない車の動きを予測していることになります。これは、明らかに未来予測をしていることになります。
 このような例であれば、人間だけではなく、他の生物もしています。草食獣たとえば、シマウマがいるとしましょう。そのシマウマを狙っている肉食獣、チーターがいるとしましょう。シマウマは、もしチーターとの距離が近いと思えば、すぐに逃げるでしょう。そのような危険性を感じ、そして逃げるということは、明らかにシマウマは、ジッとしていたら食べられるかもしれないという未来を予測していることになります。
 このような未来予測は、因果関係がはっきりしている場合におこなわれています。
 因果関係とは、原因と結果がはっきりとした関係があることです。原因があれば、そこから必然的にある結果が導かれることです。あるいは結果があれば、それにいたる原因が必ずあり、それは解明可能な関係であることを意味します。因果が単純ではっきりしている場合や、論理的に因果が解明されている場合、未来予測が可能となります。

2 因果関係が不明のもの予測は難しい
 一方、因果関係がはっきりしないものでは、未来予測が難くなります。原因らしきものが一杯あってどれが原因かが特定できない場合、あるいは原因不明な場合などです。このような場合が多いのが、現状ではないでしょうか。これは、「この世」には、人類がまだ知らないことがたくさんあるためです。あるいは、出来事には、偶然が作用して、そこには明瞭な因果関係が見出せない場合もあるでしょう。
 理由はさまざまでしょうが、「この世」には、因果関係がわかっていないことが一杯あります。しかし、自分に関わる未来であれば、だれでも予測を知りたくなります。自分では複雑で予測できそうもないことを、もし誰か知っている人がいれば、自分の未来を、教えてもらいたくなります。占星術、各種の占いなどは、そのような要求をかなえるために、重要な手段となっています。
 しかし、少し考えれば分かるのですが、因果関係が不明であるということは、論理的に未来予測もできないということを示しています。
 ではそんな未来に対して、私たちはどのように対処すればいいのでしょうか。もう少し考えていきましょう。

3 科学で予測できる未来
 科学において予測できる未来には、どのようなものがあるでしょうか。あるいは、因果のはっきりしていいないものでも、誰でも納得できるような未来予測まで話を広げれば、どのようなものがあるでしょうか。それを考えていきます。

・理論予測
 科学の進歩によって、未来予測がある程度はできるようになったものがあります。それは、過去からずっと現在まで、一定の計測可能な状態で変化しているものごとで、そこに何らかの論理がある場合です。つまり因果関係がはっきりしているものです。そして、未来にも、その論理が適用可能である場合、未来予測できます。例えば、プレートテクトニクスでは、プレートの移動は、実測されていて、非常に精度良く予測できます。
 このような科学的裏づけに基づいた未来予測は、感情、温情などない、非常に理性的、論理的で、あるときは非常の厳しいものとなります。

・経験予測
 未来をあるていど予測可能なものとして、法則性はないか不明なのですが、過去から現在まで一定の「規則性めいたもの」があることがあります。たとえば、年々減少しているもの、年々増加しているものなどです。そのような変化を示すデータはあるのですが、その変化の原因がわからない場合、その過去から学んだ変化が経験的な「規則性めいたもの」となりえます。しかし、そのような変化があれば、その延長として未来を経験的に予測することは可能です。もちろんそこには論理性はありません。しかし、何の根拠のない予測より、今までずっと減少してきたのだから、これからも減少していくでしょうというのは、理由はありませんが、信じたくなります。それに、もし今まで減少してきたものを、これからは増えますよというのは、それなりの根拠を示さなければら、誰も信じません。
 たとえば、気候変動や温暖化などは、その変化の理論は、まだ解明されていないのですが、過去から現在までのデータから、経験的に変化の「規則めいたもの」がありそうだとみなされています。経験的であっても、未来への変化が予測できるのであれば、そしてそれが悪い未来を予測するのであれば、対処しておいて損はないでしょう。もし予測が間違っていても、よいほうにいけば、問題はないのですから。

・傾向予測
 予測が不可能、あるいはまったく規則性がない場合ですが、きっと起こりそうなものがあります。洪水、土砂崩れ、地震、火山、隕石の衝突、生物の絶滅、磁気の逆転などは、今までも、不規則ですが、何度も起こってきました。いってみれば、自然災害は、あるとき突然起こります。ですから、将来もそのような災害は、きっとどこかで起こるでしょう。このような予測は傾向ともいうべきもので、「いつ、どこで、どの程度もの」がというのは、科学が進んでも、直前にならないとわかりません。ですから、前から準備して対処することはなかなかできません。しかし、もし起こって人類に悪い未来をもたらすのであれば、対処していた方がいいでしょう。それが防災という考えではないでしょうか。

 いずれの場合の予測であっても、なんらかの説得力のある未来予測といえます。予測された未来が、自分や人類に対して、過酷で耐えがたいものであったら、なんとかその危機を回避する手段を講じるべきでしょう。これにはだれも異論はないはずです。

4 死は予測しやすい
 危機の中で、最悪のものは、死ではないでしょうか。ところが、皮肉なことに、最悪の死は、比較的予測しやすいのです。
 生命の尽きる時(寿命)は、生命が生きていくのに必要不可欠ものがひとつでも尽きる時、生命は途絶えます。例えば食料、酸素、水、太陽エネルギーなどがなくなると、人や生物は生きていけません。また、生命が活動の場としている海洋、大気、地球がなくなったり、すべての生物のエネルギーの根源として依存している太陽がなくなれば、生命は生きていけません。
 未来として最悪の死が予測できるのであれば、それを避けるために、対処をすることには、誰もが同意するでしょう。そこから未来へ対処を考えていきましょう。


掲示板■ 万物の不幸・風邪  

・万物の不幸・
いよいよ今回の16講が最後の講義となります。
あとは最終講義を残すのみとなります。
最後に未来を考えることにしました。
明るい未来はだれもが望みます。
ではそれはどのような未来ですかと問えば、
それぞれの明るい未来は多様となるでしょう。
そして、誰からの明るい未来は、
別の誰かの犠牲や不幸に上に成り立つものも少なくないはずです。
人類の繁栄は人類に害する生物に絶滅や死を意味します。
ですから、あるものの明るい未来には、
多分に個々のエゴイズムが含まれます。
万物の幸福として、共通の目標を描くことはなかなか困難でしょう。
ところが、万物の不幸とは、死のはずです。
誰だって死は、避けたいものです。
そこには、死は避けたいといういとも簡単に共通目的が出現します。
ここから、ものごとを考えはじめていくことが大切かもしれません。
今回の最後の講義テーマは、
万物の究極の合意を得ることからスタートした
未来といえるのかもしれません。

・風邪・
今週後半から風邪で不調です。
とうとう金曜日には講義を休講にしました。
熱が微熱なので動くことができるのですが、
私の風邪はいつも咳が出だすととまりません。
特にしゃべると咳が出やすくなります。
講義ができなくなるのです。
この咳が私の場合なかなか直りません。
始めていく医院ですが、近所にあるので、不調のときは楽です。
そこで咳に効果のある薬を処方してもらいました。
さて、月曜日までに直っているでしょうか。
少々心配です。


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