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講 義■ Lec 010(その5) 見えないもの:見えないものを見る方法
掲示板■ 思考実験・諦観 


 今回はETIの観測による探査の方法を紹介します。


▼ 講義ファイル
Lec010_5の講義ファイル(講義時間 27:21)
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講 義■ Lec 010(その5) 見えないもの:見えないものを見る方法

▼ ETIのいる確率の求め方:理論
1 ドレイクの式
 前回紹介した天文学者でSETIの創始者でもあるドレイクは、グリーンバンク会議で、ETIのいる確率の求める方程式を提案しました。それは、ドレイクの式(ドレイク−セーガンの方程式、グリーンバンク方程式とも呼ばれています)というものです。
 地球外文明の存在する確率を推定する式は、
N =R・fp・ne・fl・fi・fc・L
という長ったらしいものです。
 求めるべきN(個)は、銀河系内に現在存在する文明の数として計算するようにしてあります。銀河系内としているのは、現在の技術で探査可能な範囲を考えると、私たちの銀河に限定べきでしょう。この範囲は、コンタクト(CETI)可能性のある星が存在する範囲ともいえます。ここでいう文明とは、宇宙空間へ向けて電波による交信能力を持ち、実行能力のあるI型、あるいはII型の文明です。
 それぞれの数値は、つぎのような意味があります。
R(個/年):銀河系内の恒星の生成数
fp(個/個):誕生した恒星が惑星を持つ確率
ne(個/個):その惑星の中で生命生存に適した惑星が存在する確率
fl(個/個):その惑星上で生命が発生・進化した確率
fi(個/個):生命から知性が発生する確率
fc(個/個):その知性が文明をつくる確率
L(年):その文明の継続する長さ

2 メディオクリティの仮定
 ドレイクの式に数値を入れて、確率を求めていくことなるのですが、値を考えるに当たって、重要な仮定があります。それは、「メディオクリティの仮定」とよばれるものです。
 これは、「太陽系あるいは地球は、宇宙で何ら特別な存在ではない」というものです。太陽系や地球で得られたデータを参考に、値を考えてよいという、ありがたい仮定となります。しかし、他の太陽系や太陽系外惑星で確かめられたものがより正しいはずです。それも考えに入れる必要があります。

3 値の推定
 では、どのような数値が入りそうか考えていきましょう。
・R(個/年):銀河系内の恒星の生成数
 これは、天文観測と太陽系の理論から求められます。太陽程度の質量をもつ星の寿命は、100億年(10^10年)です。銀河系には10^11個(数年億個)の単位の星があります。ですから、平均すると星の生成率は、年間数十〜数個となります。

・fp(個/個):誕生した恒星が惑星を持つ確率
 これは理論やコンピュータによるシミュレーションから値が得られます。太陽系形成のシミュレーションや標準モデルから、惑星の形成は、どうも必然性がありそうだとみられています。つまり恒星の周りには、常に惑星系ができるということです。1992年の観測で、電波パルサーPSR1257+12の周りで惑星系の発見されました。その後2003年12月段階で、104の太陽系外惑星系が発見され、そのうちの13個では、複数の惑星を持っていることがわかっています。ですから、恒星が惑星系を持つ確立は、1に近いと考えられます。

・ne(個/個):惑星の中で生命生存に適した惑星の存在率
 地球の知識からは、水が生命の生存を左右すると考えられます。地球の観測からは、10個(大きな惑星9個+月1個)のうち、1個(地球)は条件を満たしています。水があれば、生命生存に適した惑星といえるなら、火星にもかつては海があったことがわかっています。だとしたら、その数は2個になります。シャルボノーらは、2002年にハッブル望遠鏡を使って、HD209458という星の惑星HD209458bの大気中にナトリウムがあることを発見しました。これは大気をもつ惑星が、太陽系だけではないことを示す重要な証拠です。結論としては、太陽系をもとに、地球と火星が海を持っていたことから、確率は0.2としましょう。

・fl(個/個):その惑星から生命が発生する確率
 neを満たした地球と火星の中で、生命の誕生が確認されているのは、地球だけです。ですから、確率は、0.5となります。しかし、水があれば、生命が簡単に形成される可能性もあります。火星起源の隕石から化石を発見したという報告がありました。現在はその化石らしきものは生命の痕跡ではなく、無機的に形成されたものと考えられています。は現在の火星探査は、水の探査をして、最終的には生命の痕跡探しをすることが重要な目的となっています。もし火星から生命の痕跡が見つかれば、あるいは火星起源の隕石の化石が本当なら、1になります。しかし、確実なところをとって、確率は0.5としておきましょう。

・fi(個/個):生命から知性が発生する確率
 これは、不明です。この値を得るには、地球生命から人類への進化の必然性、あるいは確率を知らなければなりません。しかし、私たちはその値をまだ知りません。

・fc(個/個):知性から文明が発生する確率
 これも不明です。これは、人類学や人間の歴史に関する学問が、答えを出すべきテーマです。しかし、その値はまだ得られていません。

・L(年):その文明の継続年
 これも不明です。1928年に、ロンドン-ニューヨーク間のテレビ中継放送が成功して以来、ニューヨークで定期的テレビ放送開始されました。ですから、人類は電波技術をもって78年経つことになります。テレビ電波は地球の電離層を通り抜けていきます。それ以降、地球では、電波が宇宙へ垂れ流し状態となっています。

・N(個):銀河系内の文明の数
 以上のそれぞれの数値を求めることができれば、現在存在しているETIの文明の個数(確率)Nが計算できるはずです。しかし不明なのは、私たち自身に一番身近な問題です。よく知っているべきことが、実はわからないのです。ドレイクの式は、私たちの科学のレベルを評価する式でもあるのかもしれません。

▼ 値の解釈
 もし、Nが求められたら、文明間の平均的な距離(d)が求められます。銀河系を円盤とみなして計算しましょう。
d=√(πD^2/N)
ここで、Dは銀河の半径(6×10^17m)となります。
 コンタクトが可能であるために、dは、
L>d/c
でなければならりません。ここで、Lは文明の継続年で、cは電磁波の速度(光速は3×10^8m/secですがLの単位が年だから光年となり、1光年は9.46×10^15m)です。
 上の式は、数値を入れるとL>112/√Nとなります。
 ドレイクの式では、地球文明を区別していません。ですから、Nの値の中には、地球が含まれています。ですから、N=1かN>1でなければなりません。N<1であれば、その値は地球はすべて使っているはずです。となると地球人類は宇宙で孤独な知的生命となります。もし、N≦1なら、SETIをする意味がないことになります。
 もし、N>>1(1よりずっと大きい)なら、フェルミのパラドックスが説明できなくなります。ですから、Nは1より大きいのですが、それほど大きくない値というのが妥当なところとなります。
 Nが1以上であれば、Lが小さくてもいいことになります。しかし、地球はすでにLは約80年を経過していますから、メディオクリティの仮定が成り立たなくなります。Lが80年として近々ETIを発見するかもしれないとすると、N=1.96となります。これよりLが大きいと、私たちはすでにETIを発見してるはずです。
 非常に微妙な数字となっています。現在の銀河には、ETIの住む星がもうひとつあるかもしれないということです。それが遠くなら、その信号が届くのに長い時間がかかり、私たちの文明が継続しているうちに、その信号は届くのは難しいでしょう。
 ですから、現状では、接触できないほどdが大きく、Lはそれほど長くないと推定されます。こうなれば、フェルミのパラドクスはパラドクスではなくなります。
 人類の文明も、II型やIII型文明への発展は、長いLでないと達成できないはずです。宇宙文明論の一般論から考えると、I型以上の文明に発展することは難しくなります。しかし、そのような結果が予測できるのであれば、それを回避する努力はできるはずです。人類の叡智をすべて集めて対処すべきことでしょう。
 最先端の科学技術や施設、アイディアを使って、ETI探しをしていった末、結局見つかったものは、人類自身の問題だったのです。ETIをめぐる思考実験は、人類自身へとたどり着きました。これは、人類の思考の行く末を暗示しているのでしょうか。あるいは科学や学問の目指すべき方向を、象徴しているのでしょうか。
 いずれにしても、私たちは、自分自身について、よく知らないということです。もっと自分自身を知るべきなのでしょう。そんなことを学ぶことができた、貴重な思考実験だったのかもしれません。


掲示板■ 思考実験・諦観  

・思考実験・
今回で「見えないもの:見えないものを見る方法」が終わります。
次回からは、時間や過去について考えていこうと思います。
「この世」の過去、あるいは地球や生命などの過去とは
いったいなんなのかを考えることです。
これも時間を遡る思考実験といえます。
知的営みとは、すべて真理を求めておこなう
思考実験のような気がしてきます。
そして、すべての思考実験は、多分、自分たち自身を、
知らないという結果にたどり着くような気がします。
そのたびに、もっと知らなければならないと思い知らされます。
それが次なる思考実験の旅に対する動機となります。
人類はそんな繰り返しをしているような気がします。
振り出しに戻るのですが、
以前よりは少しですが、高みにたどりついているはずです。
これが、少しではありますが、進歩というものなのでしょう。
遅々とした進歩ですが、前に歩を進めていることは確かです。
そんな繰り返しこそが重要なのかもしれません。

・諦観・
今週後半になってからやっと
北海道の初夏らしい良い天気になりました。
これでなくっちゃといいたくなるほど、
不順な天気が続きました。
そうなると今の夏の爽快な晴天も、
いつまで続くか不安になります。
晴天も雨もいつまでも続くはずもなく、
移ろうもののはずです。
ですから、気に病んでもいた仕方がないことです。
ただただ、人はそれを受け入れるしかないですね。
それは達観でなく、諦観というものでしょうかね。


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