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講 義■ Lec 008(その4)信じること:本当のこと
掲示板■ 大変だけど楽しい・花見 


 第8講も、いよいよ最後となりました。占星術と天文学は起源が同じですが、あるときから、別の道を歩みだしました。その経緯をみていきましょう。


▼ 講義ファイル
Lec008_4の講義ファイル(講義時間 16:51)
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講 義■ Lec 008(その4)信じること:本当のこと

▼ 占星術の歴史
1 占星術と天文学
 占星術(astrology)は天文学(astronomy)は、英語の単語が似ていることからもわかるように、語源は同じギリシア語の「星の学問」astrologiaから由来しています。
 しかし、今ではまったく目的の違うものとなりました。目的だけでなく、その手法も、占星術は論理的な考え方や合理的な修正などがなされることなく、いまではまったく天文学とは、別のものとなりました。そのプロセスを見ていきましょう。

2 起源
 占星術は、多くの文明で、似たような体系として生まれました。文明の始まりは、農耕に依存していたため、1年の季節変化をあらかじめ知るには、正確な天文観測による暦をつくることが必要でだったからでしょう。その中から、占星術も生まれてきたと考えられます。
 BC2000年初頭には、すでに、天体の運行と人間や国家の運命に対応関係があるという記録があります。ですから占星術の起源は、今から4000年も前にさかのぼるかもしれません。少なく見積もっても、占星術は3000年以上の歴史があります。
 西アジア(メソポタミア)のバイビロン第一王朝(最盛期BC1700年ころ)には、最古の占星術の文献とされている「エヌマ・アヌ・エンリル」が成立しています。現在の西洋占星術は、バビロニア文明を開いたカルデア人のあいだで発祥したものと考えられています。カルデア人は、天文学にすぐれた知識体系を持っていました。彼らは、5つの惑星(水星、金星、火星、木星、土星)をすでに発見してました。そのような天文学に関する知識から、占星術に発展したと考えれています。

3 ヨーロッパへの伝承と隆盛
 ギリシアには、ソクラテスより前の時代(BC6世紀後半〜BC5世紀前半)に、宇宙に関する興味をもとにして、西アジア(メソポタミア)から占星術が導入されています。
 本格的にはアレクサンダー大王の東征(BC4世紀後半)以降に伝承したと考えられています。ヘレニズム文化やローマ文化では、占星術が大流行しました。そのころに書かれたプトレマイオスの「テトラビブリス(四書)」、マニリウスの「アストロノミコン(天文譜)」は西洋占星術の原典といえます。

4 弾圧と復活
 AC5世紀以降は、キリスト教会が占星術を非合理的として弾圧しました。しかし、占星術は廃れること、公然とではありませんでしたが、脈々とその手法は受け継がれていきました。
 やがてルネッサンス期になると、占星術は復活します。「流入(emanation)」と呼ばれるもので、すべての現象を説明する考えが生まれ(新プラトン主義と呼ばれています)、その一環として占星術にも流入が適用されました。

▼ 占星術と天文学の共存最後の時代
1 コペルニクス
 コペルニクスは占星術への関心から天文学者となったといい説があります。コペルニクスは、プトレマイオスの天動説の考えを、より単純な関係で示せる地動説で解釈したにすぎません。「天球の回転」(1543年)は、宇宙の中心を太陽に置くことによって、天動説では複雑な惑星運行となったものを、単純な円運動で説明できるようにしました。
 しかし、地動説の考えが異端に当たることを、彼は理解してました。「天球の回転」を死の間際に出版したのは、異端という難を逃れるためだったのかもしれません。

2 ケプラー
 ケプラーは、家族も多く極貧で、生活費を稼ぐために占星術をおこなっていたようです。でも、すぐれた占星術師であるためには、複雑な計算を必要とします。ケプラーは、すぐれた占星術師で、数学的能力に長けていました。
 コペルニクスが、太陽が中心があり、惑星の運動は完全な円運動であると考えましたた。ところが、「世界の調和」(1618年)で、ケプラーの法則が示されましたが、そこでは、完全な円運動ではなく、楕円運動であることが明らかにされました。
 ケプラーは、天体の運動が物理法則にのっとっておこっていること、そしてそこには、神秘性などないを示したのです。しかし、生活の基盤は占星術でまかなっていたようですが。

▼ 近代科学の成立:占星術の否定
 17世紀に近代科学ができてから現代まで、占星術と科学とは別のものとなりました。占星術は、現在も生きていますが、それはあくまでも個人的レベルのものにすぎません。個人的レベルでは、何を「信じる」のも自由です。一方、科学は、「この世」のレベルや「真理」を目指すための道具となっていきました。
 地動説「天文対話」(1632年)でガリレオは、その科学というものを、総合と分析という科学の代表的方法(論理的、証拠の提示に基づく)として、理論を展開して、つくり上げていきました。
 「自然哲学の数学的原理(プリンキピア)」(1687年)でニュートンは、ベーコンの示した実験を重んじる精神と、デカルトの示した帰納法という方法を用いました。そして、彼は「原理とは到達されるべき目標である」と考えました。
 ニュートンは、ギリシア以来の自然哲学と、コペルニクスやケプラーの示した天体の運動法則と、ガリレオが示した数学的な運動の科学と、デカルトやベーコンがたどり着いた科学の方法論を総合して、新しい世界の見方をつくり上げたのです。
 天文学(科学)は、占星術の原理「星の相対的位置や見かけの運動と、地上の人間や事件の間に、なんらかの関係がある」ということを、科学的な方法で否定していったのです。そのため、ニュートン的(天文学的)宇宙の見方は、機械論的宇宙観とよばれています。
 このような科学的な手法は、後の科学技術文明の向かっていく方向を示していました。その方向に向かった結果、私たちは、現代の社会の安全や豊かさを、手に入れたのです。
 さらに、今では、天文学と占星術とは、違うレベル(科学と個人)での世界をもつようになりました。


掲示板■ 大変だけど楽しい・花見  

・大変だけど楽しい・
今年の春は寒い日が続きました。
やっと私たちの町でも、朝でもストーブを
炊かなくてすむようになりました。
ツクシもだいぶ伸びてきました。
私は、ゴールデンウィークには調査に出かけます。
現在、その準備に追われています。
だいぶ以前から準備をしているのですが、
いろいろすべきことがあります。
中でも、ゴールデンウィーク直後の授業の準備が大変です。
特に今年は新しい講義を作成しているので、その準備で大変です。
しかし、新しい講義では、自分の興味のある内容を
体系的にまとめていくので、大変ですが楽しさもあります。
学生以上に私が一番講義内容を面白がっているのかもしれません。
完成度の悪い部分や不足部分、構成の不具合など、
不満を上げればキリがありませんが、
楽しさは講義を作成しているこんなときが一番です。
大変だけど楽しんでいるという、不思議な心持です。

・花見・
私の住む町では、ようやく春らしくなってきました。
北海道は桜もつつじも梅も一気に花開きます。
でも、日本人は、なぜか桜が好きなようで、
花見は桜と決まっています。
しかし、北海道は夜になると肌寒く、
夜に花見の宴会という気にはなりません。
どうせなら花見は昼間の暖かいときにしたいものです。
北海道では花見にはジンギスカンです。
でも、それはもう少し先の
ゴールデンウィーク後半から明けた頃でしょうか。


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