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講 義■ Lec 008(その1)信じること:本当のこと
掲示板■ 入学式・春雪 


 春休みも終わり、いよいよ新学期です。この講義でも、春の特別講義を終わって、いよいよ後半となります。


▼ 講義ファイル
Lec008_1の講義ファイル(講義時間 21:19)
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ISDN用(ファイルサイズ 2.6MB)


講 義■ Lec 008(その1)信じること:本当のこと

▼ 真理とは
1 真理とは
 今回は、「信じること」と「本当のこと」について考えていきます。
 まず、こんな例をみていきましょう。ここに、アルファベットに似た文字があります。その文字は、AとHに似ています。ただ、Aとは違って文字の上が閉じずにあいています。また、Hとも違って、横の2本のたてぼうが平行でなく、上のほうがせばまっています。AとHの間のような文字です。
 その文字がEARTHのAとHに置き換わっています。

 メールマガジンはテキストだけなので、うまく示せませんが、PCLの講義を聴いていただければ、図で説明しています。
 この単語は、先ほどの文字をAと読んだ人はEARTAとなり、Hと読んだ人はEHRTHとなります。いずれでも意味が通じません。でも、この単語を見たとき、そのようなつづりの単語はないと気づき、多くの人は、EARTHと読むことでしょう。
 つまり、同じ文字を、同じ単語の中でも、ある時はAとみなし、またある時はHとみなしているのです。
 この例でいいたかったことは、同じ単語の中でも、ある文字を状況に応じて、違ってみているということです。この例をおし進めていくと。ある人が正しいと信じていることは、もしかすると他の人から見ると間違っているということがあるかもしません。それでも、本人は正しいと思っているようなことがあるでしょう。
 もし、ある人が誰がなんと言っても、正しいと信じていることを、その人にとっての「本当のこと」あるいは「真理」と呼んでいいかもしれません。
 では、「真理」とはなんでしょうか。 「真理」の意味を、国語辞典でひくと、
 1.本当のこと。間違いでない道理
 2.意味のある命題が事実に合うこと
 3.論理の法則にかなっているという形式的に正しいこと
と書いてあります。
 いちおう、意味は分かるのですが、整理していきましょう。

2 本当のこと
 「本当のこと」という意味が「真理」にはありましたが、「本当のこと」には、主観的(自分から見た考え方)か、客観的(他の人から見た考え方)かによって、意味合いが大きく分かれていきます。
・主観的に「本当のこと」
 主観的に「本当のこと」とは、ウソであろうが、本当であろうが、問題ではありません。その人が、「本当のこと」と「信じること」さえできれば、主観的に「本当のこと」はあります。他人がなんといっても、主観的に「本当のこと」は存在します。
・客観的に「本当のこと」
 客観的に「本当のこと」とは、他の人が見たとき信じられるようなことです。多くの人が、できればすべての人が本当だと思えるようなことが、より客観的となります。多くの人が信じるようなことは、より普遍的「真理」というべきものとなりそうです。

3 客観的に「本当のこと」の評価
 では、客観的に「本当のこと」は、どのようにして、より普遍的な「本当のこと」と評価すればいいのでしょうか。
 その方法として、辞書に書いてあったような、
・「意味のある命題が事実に合うこと」
・「論理の法則にかなっているという形式的に正しいこと」
という検証法があります。それら2つについて見ていきましょう。

○ 証拠の提示
 「意味のある命題が事実に合うこと」とは、ある命題(論理)が、「事実」で裏づけされているかどうかを、いろいろな証拠から(演繹的に)評価していくことです。これが、論理に「事実」という証拠を伴っているか、ということを調べることになります。
 この「事実」というのは、実はあいまいなのですが、実験、実物、現象など、なんでもいいから、他人が客観的に判断できるための証拠を提示することです。
 以下にいくつかの「事実」といえるものを示しましょう。
・実験
 実験による証拠は、他の人(第3者といいます)が別の場所で同じ実験(追試といいます)をしても、同じ結果が出てくるものでなければなりません。このように同じ結果が出てくるものを、再現性があるといいます。実験は、再現性がなければ「事実」となりません。
・実物
 もし、実物があるのなら、第3者がその実物を手にでき、自分で実験や追試ができるたり、あるいは第3者が追試や分析する手間をはぶいて、その実物から、客観的に評価できる測定値、統計などの定量的データだけを抜き出したものを示した「事実」でなければなりません。
・現象
 何度も起きる現象なら、第3者が追試や分析可能な再現性があるものでなければなりません。
 もし、一度しか起きなかいような現象なら、実物と同じように、第3者が追試や分析できなくても、客観的に評価できる測定値や統計などの定量的データを示すことができれば、「事実」となりえます。
 以上のことから、証拠の提示とは、再現性のあるものか、定量的データによって第3者が客観的に判断できるようにすることとなります。

○ 論理性
 「論理の法則にかなっているという形式的に正しいこと」
とは、あることや考えが、論理という形式を満たせば、それは「真理」としていい、ということです。
 論理性をもつかどうか、つまり論理的であるかどうか、という一点だけを重視して評価する方法です。

 以上まとめると、客観的に「本当のこと」で、より普遍的に「本当のこと」、つまり「真理」とは、
・証拠の提示
・論理性
によって、見分けることができるのです。
 ただし、それは、まさに、「真理」という「形式をみたしている」のであって、本当に「真理」かどうかは、長い時間を経て、歴史のなかで、多くの人が検証して、裏づけをしていかければなりません。多分、普遍的に「本当のこと」など、存在しないと思います。でも、現状では、「真理」とは、普遍的「真理」に近い「一番もっともらしいもの」として、当面それを「真理」とするしかないようです。


掲示板■ 入学式・春雪  

・入学式・
我が大学では、今週は入学式に続いて
新入生へのガイダンスや健康診断がありました。
在校生も時間ずらして同時に行われます。
入学式は、第一部がセレモニーとして
厳かなる雰囲気で45分間ほど行われます。
そこで、役職付き以外の教員は終わりです。
その後、入学式の第二部では、オーケストラ部の演奏、
チアリーディングなどのアトラクションが行われ、
毎年、大学や地域にゆかりある有名人が呼ばれ、
短い時間ですが、新入生への言葉を下さいます。
今年は、我が大学の卒業生で、
トリノ・オリンピックのカーリングで有名になった
小野寺歩さんが呼ばれました。
彼女は、このような大人数の前で話すのは初めてですといいながら、
夢を持ち、その夢をあきらめることなく、
追い続けることが大切であることを話されました。
昨年は、日本ハムファイターズのヒルマン監督が呼ばれたのですが、
同じような内容をおっしゃっていました。
小野寺さんが舞台袖にもどってくると、
同じ学科で指導されていた教員や後輩たち待ち構えていて、
写真撮影や会話がにぎやかでした。
彼女の在学は、私が赴任する前のなので、面識はありませんが、
その様子を、ほほえましく眺めていました。

・春雪・
新学期がはじりまり、いよいよ春です。
本州ではもう桜は終わったことでしょう。
北海道は4月だというのに、
毎朝のように雪が降っては積もっています。
一昨日の午前中は、吹雪でした。
しかし、さすがに4月ですから、
午後には、ほとんど融けてしまいますが、
春というなかなか春の実感がしません。
桜も5月にならなければ見られません。
我が家の車のタイヤも、スタットレスのまま、
ノーマルタイヤにはきかえるタイミングが見出せません。
北の春はまだ浅いようです。


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