地球のつぶやき
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Essay■ 248 人工細胞:白眉のレシピ
Letter ■ あっという間の8月・道東へ


(2022.09.01)
 生化学的合成技術は進んでいます。技術革新も次々と起こっています。今まで困難だったことも、優れた発想や方法で、簡単にできるレシピが見つかってきました。優れたレシピがあっても、今後の方向性は問題となりそうです。


Essay■ 248 人工細胞:白眉のレシピ

 三国志にある話です。蜀の馬良には5人の兄弟がいましたが、その中でもっとも才能があったのが、四男の馬良でした。馬良は、眉の中に白毛が混じっていたことから、「白眉」という言葉が生まれました。優れた人やものなどに「白眉」という言葉を使います。白眉という形容詞は、あまり使わないのですが、なかなかいい語感に思えます。
 白眉といえる研究は、そうはありません。自身の研究業績には、残念ながら、白眉といえるものはありません。研究者として白眉といえる人も、そうはいないような気がします。白眉の研究業績を出したとしても、白眉の人かどうは不明です。逆に、白眉の研究者がいたとしても、白眉の研究成果を出すかどうかは不明です。人と業績は、別の評価基準にもとづいているためです。
 さて話題が変わります。クックパッドというサイトについてです。クックパッドには、市民が料理のさまざまなレシピを投稿しています。作り方がわからない料理や、手元にある材料からなにをつくろうかなど、多くの人がいろいろな目的で利用しているのではないでしょうか。我が家でも、時々、料理法がわからないとき、調べることがあります。ひとつの料理でも、何通りもレシピが載っているため、迷ってしまうほどです。まあ大抵は、「簡単」と書かれているものを利用しています。
 2016年夏に、不思議なレシピが公開されたそうです。「簡単♪人工細胞」というレシピでした。「試験管内のタンパク質合成系PURE systemを巨大膜小胞の中に閉じ込めて、遺伝子からタンパク質を合成してみました。」として、「クックJSAVHD☆」さんが公開しました。珍しいレシピだったので、話題になったそうです。ところが、7月には「お料理のレシピではないものを、レシピとして掲載することはご遠慮ください」として、運営会社がそのレシピを削除したそうです。
 このレシピは、当時東京工業大学(現在は、JAMSTEC)の研究者、車兪K(くるま ゆうてつ)さんが、ジョークとして掲載したそうです。クックパッドへの掲載はジョークだったのですが、レシピ通りに進めれば、実際に人工の細胞膜のなかにタンパク質ができるそうです。
 車さんは、本物の細胞合成の研究者です。生物学の中には、合成生物学という分野があります。その中で、人工的に細胞をつくりあげる「人工細胞」の研究が進んでいるようです。
 そもそも細胞とは、細胞膜の中にさまざまな分子があり、タンパク質やDNA、RNAなどの合成や、生化学反応をおこなっている生命の根源です。人工合成の研究を進めるに当たり、いくつかのハードルがあり、その一つに細胞膜の合成がありました。
 人工細胞の研究では、脂質分子の膜が袋状になり、中にいろいろな分子を保持する必要があり、細胞膜の合成は不可欠になります。これまで、人工細胞膜の合成はできるのですが、そのためには数時間や一日かかり、さまざまな装置も必要でした。膜の合成が、研究でのネックともなっていました。それに、論文には書かれない重要なコツもあり、膜合成は難しいものでした。
 ところが、2022年4月「Frontiers in Bioengineering and Biotechnology」という雑誌に、
Rapid and facile preparation of giant vesicles by the droplet transfer method for artificial cell construction
(人工細胞合成のための液滴移行法による巨大膜の迅速で簡単な手法)
という論文が掲載されました。
 この論文では、特別な装置も使用せずに、30分ほどで細胞膜をつくる方法を示しています。その著者のひとりが車さんでした。まさに、「簡単、人工細胞膜」レシピが公開されたわけです。この手法の公開は、白眉な成果といえるのでしょう。
 ヒトゲノムの全データは、2003年に解読されています。2010年には、ベンターによって、世界初の「人工細胞」の合成が発表されています。ただし、この人工細胞は、既存の細胞のDNAを抜き出し、そこに人工的に改変したDNA(多くは既存の細胞と同じDNAで一部デザインされたもの)をつくり、入れ替えました。入れ替えという方法は、目的にあった細胞を用意して、目的としている成分、例えばDNAや膜、タンパク質などを取り除き、人工のものに置き換えることで、それが生物として生きていけるのか、目的の機能を発揮するのかを確かめることができます。この方法は、人工の成分の機能チェックに利用できそうです。人工物を自然の細胞に入れるというアイディは白眉ではないでしょうか。
 また、1987年に石野良純(九州大学教授)さんたちが、DNAにある繰り返し配列のであるCRISPRを発見しました。その後、CRISPR近くにある酵素をつくるがあり、それいよって形成される酵素はCasと呼ばれました。そしてダウドナとシャルパンティエさんたちは、ゲノムの任意の位置で切断し編集するCRISPR-Cas9という方法をみつけました。これで2020年のノーベル賞を受賞しましたが、この方法も白眉です。他にも、長いDNAを増やしていく方法も立教大学の末次正幸さんらの手によって開発されています。タンパク質の合成も簡単にできるようになりました。
 人工細胞を、本当に生命と呼ぶためには、生命の定義である、膜で外界と区分され、代謝として外界の自分(膜の内側)で成分やエネルギーのやり取りをし、自己複製をすることができなければなりません。自己複製とともに進化も起こすことが含まれますが、その判断には時間経過をみる必要があり、簡単には判断できません。
 人工細胞における現在の目標は、人工的にタンパク質からDNA、RNAをつくり、人工の膜に中に入れて、細胞内で代謝が起こり継続的に生化学反応を続けて、やがて自己複製ができる細胞です。進化を除くと、生命の定義に当たる人工細胞は、今の技術でできそうです。2016年に、ベンターは、生存に必要な最小のゲノムからなる「ミニマル・セル」と呼ばれる細胞を作りました。「ゲノム設計」としてすべてを人工的につくられた細胞で、最小のゲノム(473個)になりました。白眉の技術で成果です。
 しかし、次なる問題として、人工細胞の合成に関するルールや倫理を考えておく必要がありそうです。意図せず人工細胞が、自然界に漏れ出した時の対処も、今後は考えておく必要もありそうです。
 自然の細胞で人工物を入れ替えるという方法、膜を簡単につくる手法、長いDNAを複製する方法などなど、ゲノム設計した人工細胞、それぞれで白眉のレシピはつくられてきました。しかし、それが今後の人工細胞の研究に関する方向性として、白眉になるかどうかは、慎重にみていく必要があるでしょうね。


Letter■ あっという間の8月・道東へ 

・あっという間の8月・
もう9月です。
北海道は秋めいてきました。
8月は一気に過ぎ去りました。
8月上旬に定期試験が終わり、
学生たちは夏休みで開放されます。
教員は、そうもいきません。
採点、追試、追追試、集中講義、校務出張など
忙しさに紛れて
あっという間にひと月が過ぎ去りました。

・道東へ・
このエッセイの発行のとき、
8月の忙しさに一貫ですが、
道東に野外調査にきています。
校務出張で、北見まで来る必要があったので
その続きで道東への調査を行くことにしました。
何度も来ているところですが、再訪します。
道東には自然が残っているところや
見ごたえのあるところも多いので
何度訪れても新たな発見があります。


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