地球のつぶやき
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Essay■ 225 いろいろな道程:研究者への紆余曲折
Letter ■ 北海道の初雪・別のテーマ


(2020.10.01)
 研究者になるには、大学院の博士課程を修了していくことが、もっとも一般的な道になります。しかし、大学院を修了とともに、すべての人が研究者になっていくわけでありません。私のように紆余曲折をたどる人もいます。


Essay■ 225 いろいろな道程:研究者への紆余曲折

 小学生から高校生を対象とした意識調査で、将来の職業として、研究者や科学者、学者、大学教員は、それなりの人気があるそうです。実際に、研究者になっていくとは、年間、どの程度いるのでしょうか。気になったので、少し調べてみました。文部科学省の2018年の調査(学校基本調査/平成30年度 高等教育機関《報告書掲載集計》卒業後の状況調査 大学院)が見つかりました。そこに、大学から大学院を修了したあとの就職先として、研究者や大学教員になっている人の統計がありました。それを参考に、以下では、少し考えていきましょう。
 大学の学部を卒業した人は43万6000人になるのですが、そのうち研究者になったのは540人(0.12%)です。修士修了者は5万6000人で、研究者は3300人(5.9%)、博士修了者は1万1000人で、研究者は4700人(44.5%)となっています。大卒以上の学歴をもって卒業・修了した人(49万3100人)で、研究者になった人(8540人)の割合は、1.7%になります。全体としてみると狭き門ですが、研究者を目指す人は、大学院に進むことが多いので、博士課程修了までいけば、多くの人研究者になっているということになります。
 ただし、研究者になっていく人の内訳には注意が必要です。このデータで、学部卒や修士卒で研究者とされている人の多くは、技術者やエンジニア、あるいは一人前の研究者とみなされない研究職(研究助手、技術補佐、作業員など)についている人が多いということです。多くの人イメージしている研究者は、自身のテーマをもって、それに向かって、独自の考えで研究に従事する、あるいは自身の興味をもっているチームに加わって目標に邁進する人です。そんな研究者には、博士課程修了でないと、なかなかとはなれないようです。修士から博士課程へ進んだとしても、そのような研究者になれるかどうかは、不確定ですので、将来の進路についてはよく考えておく必要があるでしょう。
 博士課程を修了すれば、研究職につける可能性は格段に高くなりますが、統計上では、半数以上は研究職にはついていないという現実もあります。博士課程を修了した人で、研究者以外の進路としては、医師や歯科医師で、専門職へと道がもともと決まっているような人も、ある程度含まれています。本当に研究者を目指している人は、研究職でもあっても非正規のポストとなっていることになります。そして、非正規研究者として研究を進めながら、正規研究者の道を目指すことになります。
 非正規研究者とは、国や大学の期限付き研究員の期限付き研究員(ポストドクトラル、略してポスドクと呼ばれます)として雇われます。その立場はいろいろで、自分の研究計画を申請して採択されれば自身の研究を進めることができますが、研究プロジェクトによる研究者募集に応募すると、必ずしも自分がやりたい研究ができるわけではありません。また、期限付き研究では、2年程度の短期でテーマで申請、応募しますので、途中で研究テーマを変更することは困難になります。
 私は、博士課程終了後、1年間、アルバイトで生計を立てながら、研究を続けました。大学の研究員というポストをもらっていました。研究員とは、無給ですが、自分の興味のある研究データで研究できる身分だけのポストです。その間、生活は自分でなんとかしなければなりません。私は、短期間(一月間)働き、その蓄えで数ヶ月研究をする、というアルバイトと研究の繰り返しで過ごしました。大変でしたが、研究を自力で続けられるという気持ちで、なんとか耐えることができました。
 その後、研究テーマが文科省の科学研究費で採択され、2年間は期限付きのポスドクになりました。アルバイト時代と同じ研究所に所属していたのですが、ポスドクになって以降は、研究費と月給をもらいながら、研究に専念できることになります。そのギャップは大きく、お金のの心配することなく、のびのびと研究ができました。
 しかし、その間も、正規研究員になるために、あちこちの研究者募集に応募していました。ポスドクの2年目の半ばを過ぎたあたりから、まだ次年度の職が決まっていないという状態になると、精神的には大きな不安を覚えていました。ポスドクの期間が終わったら、またアルバイトをしながら研究をすることになり、自分の研究が後退するではないのかという不安が強かったように思います。幸いにも、翌年には博物館で正規研究者としてのポストをえることができました。本来であれば、大学での研究者を目指していたのですが、翌年以降の研究生活を考える、贅沢はいっていられないという気持ちも強かったです。
 それまで、大学の研究所で、世界のトップクラスの研究を意識しながら、鎬(しのぎ)を削って研究を進めていました。ところが、博物館の研究職になると、大きく変わりました。博物館では、明らかに研究の対象や手段、目的も違っていました。さらに私が勤めた博物館は、ちょうど再編をしている最中で、そのために呼ばれた人材もありでした。博物館の展示の設計、資料収集など、今までの研究と全く違った仕事が主となりました。それは承知していたのですが、やはり戸惑いました。博物館でも科研費は採択されていたのですが、最初の数年は、どのように研究を進めていくのか、手探りの状態でした。
 その模索と苦悩の期間は、非常に重要な経験となりました。そして研究とは、自身の考えや興味によって、自由にテーマを変更、展開してけばいいのということ、それが新しいテーマ、分野ほど、楽しいということを味わうことができました。その時に自身の発案で、共同研究でいろいろな分野の人との輪を広げる醍醐味、楽しさも知りました。
 そして、博物館で11年を過ごした後、現在の大学に赴任しました。これまでは共同研究が中心でしたが、自分ひとりの研究スタイルで、ライフワークになりそうなテーマをみつけ、在職期間のまとめたいと考えました。正規採用ですが、文系・社会系の大学でしたので、理系研究者としてひとりで研究を進めていく条件でした。個人研究の利点は、テーマを常に修正することが、自由にできることです。
 何度も研究条件やポストが変わることで、そのつど研究テーマを再考するいことになりました。そのような経験を経たためでしょうか、それとも生来の性格もあったのでしょうか、ひとつの道を長年、極めるというタイプの研究ではなく、あれもこれもやったり、いろいろテーマを変更したりしながら、最終的に大きなものにまとめるという研究スタイルが自分には合っていることがわかってきました。
 最終的に3つの柱からなる大きなテーマを設定して、ライフワークにしました。このエッセイでも、何度か紹介してきましたが、科学、哲学、教育の三位一体です。教員として教育や校務もやりがいはありますが、なんといっても、研究がいちばん面白くて日々大学に通っています。このようなスタイルの研究が許され、こんな独りよがりのへんな研究を公表する場もある、という条件にも恵まれています。
 私は、博士課程は修了しましたが、必ずしも正規ルートでの大学の研究者の道へと辿ってきたわけではありません。紆余曲折の結果として、現在のポストにたどり着きました。そのような紆余曲折を辿れたのは、研究の世界には大きな魅力があり、好奇心の赴くまま、興味のあるものをテーマにして研究ができる環境もあったからです。
 研究成果を公表してきましたが、これがどのように人類の知的資産になるかはわかりません。しかし、自分の今のテーマの過去の論文や本を読み返しても、内容は忘れていることも多いのですが、面白いと思えます。自身の過去の成果を面白いと思えるのは、少なくともこの研究は自分にとっては興味が現在も継続しているのでしょう。
 今回は自分のことを中心に話を進めたためでしょうか少々長くなりました。私の研究者への道筋は、一般的な研究者のものとは違っているかもしれません。他の人の参考にはならないかもしれません。こんな生き方でも、自分が楽しんでこれたので、よかったいえるのでしょうね。


Letter■ 北海道の初雪・別のテーマ 

・北海道の初雪・
9月は一気に秋めいてきました。
先日、北海道の最高峰の旭岳の初雪のニュースがありました。
時期としては、例年並みの初雪だそうです。
自宅ではまだ、週末に一度試しにしストーブを炊いたのですが
少し炊いたら暑くなったので、すぐに切りました。
他の家でも、炊いたという話も聞いています。
いよいよ北海道は、秋本番となりました。

・別のテーマ・
実は、今回のエッセイは、別のテーマで書きはじめました。
それは、研究者が修行期間に
どうモチベーションを維持するかという話題でした。
ところが、研究者の実態から書き進めていていったところ
前半で、特に自分の研究者への経緯が長くなってきました。
捨てるのは惜しいので、その部分だけで
ひとつのエッセイにして紹介することにしました。
後半の部分は、また別の機会に紹介したいと考えています。


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