地球のつぶやき
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Essay■ 218 経済より心の自由を
Letter ■ 帰省・校務


(2020.03.01)
 世の中は、金ではない、と多くの人はいいます。建前はそうです。実践するのはなかなか難しいものです。特に自身に、金銭問題や経済的事情が出現したら、どうしても生活や暮らしが、最優先になってしまいます。


Essay■ 218 経済より心の自由を

 15億円の保釈金を捨てても、自由を手にしたい思った人がいます。彼にとっては、自由はなにより大切だったものだったのでしょう。建前でいえば、自由はなりより重要で、お金には代えがたいものでしょう。しかし、建前だけでは社会は立ち行きません。
 私がいる私立大学は教育・研究機関でもありながら、民間企業でもあるので、経済性が伴われます。そこには、経営学や経済学、法学などの社会学系と英語学や教育学、福祉学、心理学などの人文科学系の学部学科があります。私は、小学校教諭や保育士などの養成を担う学科に所属し、科学教育の分野などを担当しています。そして、自身の専門は、地質学を中心に、科学教育、科学哲学を加えて、統合していくことを目的としています。
 私立大学の多くは、生き残りをかけて、教育の充実をしながらも経済性が求められています。毎年のように、学生のため、学生確保のために、新しい改革が進めています。それは必要なことですが、教員の仕事が増えていきます。学生にもルール通りに学ぶこと、学びの成果の評価が要求するようになってきます。
 教育の充実は必要不可欠なことでしょう。継続的努力と改革は常におこなっていくことが必要でしょう。努力と改革を否定するものではありません。充実と締め付けとは異なります。充実は自由が共存しなければなりません。学生だけでなく、もちろん教師側にも、自由が必要です。
 さて、話題が少し変わります。大学の会議前の雑談で、役職につくのは、皆、敬遠するね、という話をしていました。その時、ある先生は、「嫌なことでも、1億年くれると言われたら、多くの人は受けるだろう」といわれましたが、「私は、3億なら受けだろう」というようなこともおっしゃれました。私も役職は受けたくないのですが、それは「金ではない」と答え、「金よりもっと大切にしているものがあるから」と答えました。私は研究の時間、自由が欲しいからです。
 人によっては、金で不満が解決できるかもしません。お金の問題であれば、金額の問題に収斂でき、数値だけを交渉すればいいわけです。金で心が動く人なら、どんなにゴネていても、金額が上がれば、納得、あるいは我慢することになるはずです。一般市民なら、大抵のことであれば「1億円」を提示すれば解決できるでしょう。金額が増えれば、満足感も湧いてくるでしょう。
 しかし、金では動かない、動かせないものは、「心」ではないでしょうか。これは私だけでないでしょう。だれしも心が動けば、金は二の次になります。上で述べたことは、心が嫌がっていても、金で心がねじ伏せられるということです。しかし、この状態が継続したり、繰り返されれば、不満やストレスが高まっていくことになるでしょう。
 大変な仕事があったとき、心を重視していない人であれば、その大変さに見合った金額で可決できるでしょう。しかし、心を重視する人が、本当に嫌だと思っていれば、どんなにお金を積まれても、その仕事は受けないでしょう。一方、どんなに大変であっても、その仕事に興味があり、やりたいという気持ちを持っている人は、安い金額であっても、ときには無料、持ち出しがあっても、その仕事をすることでしょう。
 人文科学というものは、経済性や営利とは異なる、人に関わる学問です。もちろんそこには、経済性も関わる分野や場合もあるでしょう。しかし、より基礎的な人文科学の分野では、人に関わることが中心テーマにはなっているはずです。なかでも心理学や福祉学、教育学(私は科学教育)、哲学(地質哲学)など、人の心に関わる最たる分野ではないでしょうか。心に関わる研究をする人が、金と心を天秤にかけることはないはずです。私も、食えなくなるのは困りますが、かなり食い扶持が減っても、心を重視して研究に専念したいと考えています。
 また別の人との会話です。社会系の先生と、大学の将来についての雑談です。「大学の事業として運営の収支がプラスになるように」と話されました。私は「研究には、銭勘定ではないものを追求する分野もあります。私はそちらの人間です」といいました。さらに「その研究は、社会や将来にどんな役に立つのか、という質問を、基礎学問にすべきではない」ともいいました。
 大学でも、必ずしも研究に専念していない研究者も多数見てきましたし、今もいます。これには改善が必要でしょう。また、研究成果の社会への還元が、現代社会では問われています。税金を使っているから、社会的責務として、成果がどう役立つかという説明責任もあります。実際に、成果を社会にすぐに役立つもの、目的自体が経済性を目指すものとして、技術や工学などの応用科学があります。このような分野では、研究の必要性、効果を主張し、理解を得るのは必要でしょう。
 ところが、自然科学では、経済性が主目的とはなりません。基礎的な自然科学に、そのような経済性の発想を押し付けると、科学が萎縮します。経済性や社会的責務を要求すると、成果主義に陥ります。成果主義に陥ると、手近な目標をひたすら追いかけ、論文の数や、評価の高い論文を書くことに注力します。それでは、精神の自由が奪われます。研究者の心は自由であるべきです。科学は好奇心の赴くまま、興味に基づいて進めるべきです。そのような自由の中から、大きな発明や発見が生まれるのではないでしょうか。なんの役に立つのかわからないような、とんでもない内容ほど、独創性、将来性がある、と考えるだけの社会的度量が欲しいものです。
 自然科学にも基礎科学の領域が多数あります。物理学や化学が基礎分野の裾野に広がっています。また、方法論として数学、論理学なども自然科学の基礎になっています。地質学にも、応用、技術の分野、基礎科学の分野もありますが、基礎的な分野もあります。私が目指しているのは、地質学の基礎的な部分です。基礎科学の研究者に、経済性、将来性を求めるのは、研究を歪めていくのではないでしょうか。
 ここまで述べてきたことは、正論で建前ですが、私の本音もであります。しかし、ふと考えてしまいました。自身や家族の生活、将来のことを考えた時、多くの金は望みませんが、最低限は必要です。それがなければ生きるため、金を稼ぐことに専念しなければなりません。現状はそうはなっていませんので、現在日本におては、幸せなことだ思います。
 自然科学でも地質学を進める上で、野外調査や実験、分析などに費用がかかります。それらを賄うために、毎年、競争的資金を獲得するための書類を作成している自分もいます。書類作成をしているときは、少しでも多くの資金を得られるように、その成果の重要性や社会への必要性や貢献を訴えるようような文章を四苦八苦して書いています。上で述べた本音と、このような行動は矛盾しています。自覚しています。どうしたものでしょうか。


Letter■ 帰省・校務 

・帰省・
このメールが届くときは、帰省しています。
最初は家内の実家のある横浜へ、
そのために予約送信しています。
後半は私の実家のある京都へいきます。
そこで母に会い、息子たちにも会う予定です。
義母とは、2年ぶりくらいとなります。
母とは毎日のように電話していますが、
会うのは半年ぶりになります。
楽しみなような、恐ろしいような。
不思議なものですね。

・校務・
3月には、大学入試の2回目があります。
それに関した校務もあり、
緊張も必要になります。
3年生(新4年生)には、3月中盤には、
教育実習の事前指導があり
担当しているので集中しなければなりません。
その後、大学は卒業式になります。


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