地球のつぶやき
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Essay■ 216 百年一瞬耳 君子勿素餐
Letter ■ 良き一年ありますように・オリンピックイヤー


(2020.01.01)
 人は学んだことを自身の血や肉にし、それに従って考え振る舞っていました。学びからの信念に、命を懸けることすらありました。そんな人物が残した言葉には重みがあり、聞く人にも重く伝わっていくことでしょう。そんな重みのある言葉から、新年のエッセイをはじめます。


Essay■ 216 百年一瞬耳 君子勿素餐

 昨年秋、山口県萩市にいきました。萩には、はじめてでした。萩は日本海を望む町です。阿武川の河口近くにできた中洲に、古くからの城下町が広がっています。中洲の東を流れる川沿に宿泊し、近くにある松陰神社を訪ねました。松陰神社は吉田松陰を祀るために、明治になってから建立された神社でした。
 萩は、かつての長州藩の本拠地で毛利家が支配していました。長州といえば、幕末に土佐、薩摩と並んで尊皇攘夷として維新を起こし、明治の中枢の人材を多く出した藩でした。中でも長州の吉田松陰は有名なので知ってはいましたが、特別に興味があったわけではありませんでした。観光として訪れました。
 松蔭は1830(文政13)年に萩の城下で生まれ、安政の大獄で囚われ1859(安政6)年に伝馬町牢屋敷で死刑(斬首刑)となっています。享年30歳、若き死でした。また、私塾の松下村塾で多くの人材を育成したことも知られています。
 松陰神社には、吉田松陰歴史館と松下村塾や旧宅が残されていたので見学しました。松下村塾という小さい建物で生活し、多くの人が学んでいたのかと驚きました。松蔭の詳しい履歴は知りませんでしたが、歴史館や塾の解説で、いろいろとわかり、すごい人物であったことを知りました。そして、このエッセイを書くにあたり少し調べました。
 松下村塾は、叔父の玉木文之進が身分に関係なく受け入れていたもので、松蔭も小さい時、学んでいました。松蔭は幼少の頃から秀才で、四書五経などを早くに身につけ、9歳で藩の武士が学ぶ藩校の明倫館の兵学師範になり、11歳で藩主毛利慶親への御前講義、13歳で長州軍の演習を指揮し、15歳で日本の兵学を修めたとされています。
 秀才であっただけではなく、行動力もありました。アヘン戦争の結果を知り、西洋兵学の必要性を痛感し、九州や江戸などで学びはじめました。藩の許可をとらずに脱藩し東北へ出か、江戸に戻ったとき士籍剥奪や世禄没収の処分を受けています。ペリー来航で衝撃を受け、長崎でロシア軍艦に乗り込もうと画策しました。そして、ペリーの再来で密航しようとして捕まり、下田奉行所に自首しています。その罪で伝馬町牢屋敷に投獄され、やがて国許蟄居になり野山獄に幽閉されました。野山獄内で教育をして、獄から出され杉家で幽閉されたときに講義をはじめ、多くの人が受講しました。そこで杉家を改築、増築していきました。1857(安政4)年、松蔭27歳のとき、松下村塾の名を引き継いで、開塾となりました。
 そんな折、幕府が朝廷の許可をえず、日米修好通商条約を結んだことに怒り、政府要人を討ち取る計画をし、1869(安政6)年の安政の大獄で捕まり、死刑になります。吉田松陰は秀才でありながら、知に留まらず、行動できる人だということわかります。
 松蔭の経歴をみていくと、松下村塾で教えていたのは、1856年8月から1858年12月までのわずか2年余りしかありません。その期間に後に明治維新で活躍する多く人材を輩出しました。有名ところとしては、山縣有朋、高杉晋作、伊藤博文、久坂玄瑞などがいます。
 松蔭など江戸時代の教育を受けた人は、四書五経などを身につけ、それを実践していました。「論語」「大学」「中庸」「孟子」の四書は、高校の漢文でほんの一部を学びますが、そこからでも内容の正しさ、崇高さはわかります。ただし、実践していく人はどれくらいいるでしょうか。昔の知識人は実践もしていました。
 松蔭は、書や文の達人でもあったようで、いろいろな名言や教えが残されています。1858年6月、塾生の山田市之允(15歳)に松蔭が扇に書いて与えた文があります。

 立志尚特異 俗流與議難
不顧身后業 且偸目前安
百年一瞬耳 君子勿素餐

読み下すと、

 立志は特異を尚(たっと)ぶ
俗流は與(とも)に議し難し
身后(しんご)の業を顧(おも)わず
且つ目前の安きを偸(ぬす)む
百年は一瞬のみ
君子素餐(そさん)するなかれ

となります。その意味は、

 志を立てる時、特異を尊(尚)ぶものだ
俗人(俗流)とは話し合うこともできない
身后(死後)の業などは考えるい
目先の安楽に心を盗(偸)まれるな
百年は一瞬だ
君子よ徒食(素餐)をするな

ということでしょうか。世に出るためには、特異であれ、俗になるな。死後のことなど考えず、安楽に溺れるな。時間のたつのは早いので、徒食をするな。誰もが納得することでしょう。でもなかなか実践できないことでもあります。しかし、松蔭の実践力を知っているものにとっては、この言葉の重みが違います。多分、若き山田市之允は、同時代に松蔭の生き方をみて、その意味の重さを痛感したことでしょう。
現代に生きる私たちにも、過去の偉人が実践して伝えた言葉は重く響きます。感心するだけでなく、実践する必要があります。
百年一瞬耳 君子勿素餐
を心に命じましょう。


Letter■ 思索への・師走の声が 

・良き一年ありますように・
明けましておめでとうございます。
昨年は本エッセイを購読いただき、ありがとうございました。
本年も、引き続き購読のほどよろしくお願いします。
北海道の年末には寒波で冷え込みもあり
ドカ雪も降りました。
でも、暮れらしい景色になりました。
今年の冬もはじまったばかりですが
穏やかであることを願っています。

・オリンピックイヤー・
今年は、オリンピックイヤーとして
世間は浮かれることだと思います。
私は、8月の時期にオリンピックを開催するのは反対です。
拝金的背景やIOCの不正、ロシアのドーピング疑惑、
アスリートより国の思惑が優先している
など、純粋なスポートの祭典であるはずなのに
その純粋さが穢されているようにみえます。
私は、はじまればテレビ観戦するのでしょうが。
やはりunder uncountable での
7、8月の最悪条件ので開催は反対です。


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