地球のつぶやき
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Essay■ 208 忘筌:しがらみが令和を区切る
Letter ■ 休日と研究・5月病


(2019.05.01)
 時間は、区切りがなく連続的なものです。そこに区切りをつけるのは、天文学であれば客観的に決まります。人が時間を区切る時、そこには常に忘筌があるようでしょう。


Essay■ 208 忘筌:しがらみが令和を区切る

 禅に忘筌(ぼうせん)という言葉があります。忘筌は、中国の「荘子」の「外物篇(がいぶつへん)」からとられたものです。
  筌者所以在魚、得魚而忘筌
 (筌(せん)は魚(うお)に在る所以(ゆえん)なるも、魚を得て筌を忘る)
という文章からです。ここで筌とは、細くけずった竹で編んだ魚をとるための道具です。ロート状になった口があり、返しなどをつけることで、入った魚が出れなくなるような形をしています。現在でも利用されている道具です。「せん」あるいは「うけ」と読まれることがあります。
 その意味は、魚りを取りにいったので、魚は持って帰るのですが、道具である筌を忘れているという意味です。最後の「得魚忘筌(とくぎょぼうせん)」という四字熟語にもなっています。
 荘子には、続く文章があります。
  蹄者所以在兎、得兔而忘蹄
 (蹄(てい)は兎(うさぎ)に在る所以なるも、兎を得て蹄を忘る)
ここの「蹄」は、ウサギを生け捕りにするための道具です。意味は、ウサギをとって帰るのですが、蹄を忘れるということです。忘筌と同じことを言っています。さらに重ねて、
  言者所以在意、得意而忘言
 (言(げん)は意に在る所以なるも、意を得て言を忘る)
言とは言葉や文章のことで、それは意を表すため手段、道具なのですが、言を忘れるということです。
 同じ比喩が3つも続いています。この忘筌は、道具である筌を忘れるな、という戒めと解釈することあるようですが、本来は反対の意味のようです。それは、続く文章からわかります。
  吾安得夫忘言之人、而與之言哉
 (吾、安(いず)くにか夫(か)の忘言(ぼうげん)の人を得て、之と与(とも)の言わむや)
と続きます。どうにかして忘言の人と共に、語り合いたいものだ、という意味の文章です。これが続くので、目的を重視して、手段を忘れるほど、意識しないほどになれという意味になるようです。
 もともと目的(魚や兎、意)が重要だったはずなので、道具や手段(筌や蹄、言)は必要なのですが、手段にこだわるな。手段にかまけて、目的を忘れてはいけないという意味になるようです。ついつい、道具や手段が多様で工夫が必要なので、そこにこだわってしまうことがあります。しかし、重要なのは目的であって、手段にだけとらわれてはいけないということです。手段より目的が重要だという、戒めの言葉になります。
 さて、話題はまったく変わります。時間の流れについてです。
 時間の流れは、連続的で切れ目はありません。多くの人は、時間が連続していることは、理解しているはずです。ところが、デジタル時計を見ていると、秒針や分針の刻み、あるいは表示の数字の変化を見ていると、時間はついついてデジタルのように区切りをもって進んでいくように見えてしまいます。しかし、時間は連続していて、そこには区切りなどありません。時間は、必要に応じて、人が区切っているにすぎないのです。
 時間の区切りとして、もっとも身近なものは、日付の変わり目です。現在の日付は、ある日の太陽の南中から次の日の南中までのちょうと中間を、24時、あるいは0時として、日付の区切りとしています。このような決め方は、南中を正午12時とすれば、その12時間後なので、地球のどこでも、天文学的に正確に日を区切ることができます。これは、非常に客観性があり、人為的であっても、よい区切りだと思います。
 では、1年のはじまりの日、つまり1月1日は、客観的に決められているのでしょうか。現在の暦は、グレゴリオ暦というもので、その起源は古代ローマ教皇グレゴリウス13世が復活祭の季節を一定の範囲にするために、ある時から用いられるようになったの起こりだそうです。現在の暦は、グレゴリオ暦によって決め、世界的に統一され、同じものを用いています。暦の規則に従って時間(閏(うるう)秒)や日にち(閏日)などを導入していますので、世界で統一された月、日、時刻が決まっています。
 年の区切りを天文学的に考えるのであれば、冬至や夏至、秋分や春分など、客観性のある時刻に、はじまりの日を置くべきでしょう。しかし、1月1日は、天文学的に決められたものではなく、人の都合によって決められてきました。時間は、どうも昔から、ある時代の一部の人たちの都合によって区切られてきたようです。
 年の区切りが人の都合ですから、時代の境目も、もちろん人が決めています。何年何月何日から、ある時代がはじまるということになります。昔の中国や日本の元号と呼ばれるものは、権力者や政治家が、自分たちの都合によって決めてきました。
 元号といえば、「令和」という新元号が、今日からスタートします。世間(多数のメディア?)では、大騒ぎになっていることでしょう。4月1日の元号の名称の発表の時にも、世間は大騒ぎをしました。
 しかし、元号を変えること(改元)には、賛否両論があります。
 賛成の意見として、日本古来の伝統を守り、新しい天皇の時代になったことを祝う、時代を語るのに便利などなど、いろいろとあります。特に今回の元号は、古典文学の万葉集からとったということで、日本の伝統を重んじる方針が示されました。
 一方、反対の意見としては、官公庁では改元のために書類のすべて修正が必要になり大変な手間だったり、年代や期間を計算するのに一度西暦変更して計算する面倒があったりなど、いろいろな理由があります。
 元号の存在も改元について、賛成論者の意見は否定はしませんが、年代を計算するときは、西暦が便利なので否定論者の意見も理解できます。また、元号にはそれぞれの時代感覚が、人それぞれにできているので、心の問題としてあっていいかとも思います。
 例えば、平成と昭和を生きてきた日本人が多いので、元号と生活が強く結びついていますので、同時代人に共通の生活感、経験、記憶などが生まれます。次の令和になれば、新たな経験が生まれ、時代共通のイメージができてくることになるはずです。
 今生きている人の多くは生まれていなかった戦前や昭和初期、大正などの時代でも、身近な親族にその時代を生きた人がいれば、自身に経験がなくても親近感もわき、元号のイメージが形成されることもあるでしょう。しかし、日清日露の戦争のあった時期くらいになると、近い時代ですが、面識のない祖先が生きた時代になり、元号の感覚や実感は全くありません。明治初期や江戸時代の元号は、教科書などから作られたイメージになっていきます。
 元号とその年号は、人が過去を振り返るときに、記録の呼び起こしの装置として便利です。特に改元の時期などは、その記憶を思い起こさせる情報を、メディアは一杯流しています。それも記憶を新たにするきっかけになのでしょう。
 元号に対する私の意見や、一般の改元に関する是々非々もさておき、改元は何のためであったのかを、考えていくべきではないでしょうか。過去には、元号はいろいろな政治や権力の都合で決められてきたのですが、現在では1979年(昭和54年)に成立した「元号法」によって決まっています。ですから民主的に、つまり万人のために決められた法律となります。
 ところが、この法律の成立にも、詳細ははぶきますが、多分に人の都合によって決められているようです。幸いなことに、暦も1月1日の年のはじまりは、今では、客観的に「しがらみ」にとらわれることなく決まってきます。元号もそうであることを願いたいのですのが、元号の決定も、人の都合によっているようです。
 今回の改元、元号の名称の決定に至るまでの経緯をみても、一部の人によって決められてきました。改元が法律という約束事として決まっているのであれば、それに従えばいいのですが、一見民主的に見せようとしていますが、明らかに一部の人たちで決められていきました。一部の人たちが、新たな元号を導入すること、名称を決めることなど、元号をなにかに利用しているように見えてしまいます。
 もし元号という時代の区切りを決めるのであれば、そして日本の固有の伝統というのであるのなら、多くの人のため(目的)であるべきでしょう。多くの人のためが「目的」であるのなら、一部の人のしらがみ、政治の道具、駆け引きの手段にするのは、「忘筌」になるのではないでしょうか。
 改元の騒ぎの中に、忘筌を見ました。


Letter■ 休日と研究・5月病 

・休日と研究・
発行日の5月1日は、ゴールデンウィークのま只中です。
このエッセイは、予約送信しています。
夫婦で4泊5日間、北海道の田舎に滞在しています。
ゴールデンウィークの半分を休日にしました。
北海道の田舎の春を満喫しようと考えています。
後半は通常の研究にもどろうと思っています。
長い休みの期間は、研究に最適です。
半分休日で、半分研究のような生活になります。
ですから、このエッセイの配信されるころは、
旅先から自宅へ向かう日になっています。
天気がよければいいのですが。

・5月病・
今年のゴールデンウィークは
大学もカレンダー通りに休日になります。
そのため10日間という長い期間になります。
こんなに休みが長いと、
例年より新入学の大学生が
「5月病」に陥る危険性が増えます。
大学でも、事前に学生に案内を出したり、
5月講義再開の時に対策を
アナウンスをしているのですが、どうなるでしょうか。
少々心配ですが、見守っていくしかありません。


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