地球のつぶやき
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Essay■ 207 老練な老人:定年後の生き方
Letter ■ 老練さ・新しい授業


(2019.04.01)
 人は老います。ある年齢に達すると、組織から離脱して、別の人生を歩むようになります。その後の人生をどう設計していくのか。長寿社会の日本では、一人ひとりが考えて、老練に生きる必要があります。


Essay■ 207 老練な老人:定年後の生き方

 4月は新しい学生や教職員を迎える季節です。3月は別れの季節でした。今年の3月は親しくしていた人が、何人か退職されました。同じ大学にいながら、飲みに行くのも大学の宴会だけで、顔を会わせれば会話する程度の、淡々とした人間関係が多くなります。それでも、親近感の湧く人が何人かいます。ウマが合うというのでしょうか。そんな人たちで2名の人が退職されました。これから会えなくなるのは、寂しいものです。もちろん全く会えないわけではないのでが、自身で第二の人生の過ごし方を設計され、それに邁進されるようです。別れの挨拶でその設計を聞いて、素晴らしい生き方だと思いました。先輩に刺激されて、自身の定年後の姿はどうだろうかと考えを巡らせました。
 経済的なことについては、夫婦ともに物欲もなく、食べ物にも興味がないので、慎ましい生活で満足して過ごせると思っています。時々夫婦で旅行にでもいければいいと思っています。まあ、年金と少々の蓄えで、夫婦二人、さらには家内一人になっても、慎ましく生活できる目処はありそうです。
 問題は長い定年後を暮らしていくかです。以前から少しずつ考えてはいたのですが、再び真剣に考え出しました。まずは、いくつもの関係する本を読み出しました。団塊世代の先輩たち、同輩たちが多数の本を書いていますので、参考になります。それらの本では、経済的な面、体力的な面、そしてなりよりQuality of Life(QOLと略されます)が、なにより重要だとしています。満足できる生活ができるかどうかです。QOLは、自己満足でよくならず、家族といい関係で過ごし、地域での役割や貢献で増すようです。つまり、定年しても、自身で打ち込むべきものを見つけること、家族の好ましい生活を整えること、地域への関わりを持ち続けること、だとされています。
 私の職場では定年まであと丸6年あります。その後、長い定年後の期間が待っています。その期間は統計から推定できます。2018年度の日本人の平均寿命は、男性が81.09歳、女性が87.26歳だそうです。ですから、65歳まで働いたとしたら、その先16(私の場合13年)年の人生が残されていることになります。私はこれまでの研究生活を10年の単位で考えていましたので、もうひとサイクルの研究期間があるとも見なせます。幸いなことに、定年後ですから、校務や雑務はなく自由になる時間がたっぷりあります。
 しかし重要な問題もあります。2016年のデータでは、健康寿命は男性が72.14歳、女性が74.79歳となっています。7年ほどが体の自由が効く期間となり、その後10年ほどは、介護などで人の世話になる必要がでてくるということです。寿命は伸ばすことはできませんが、健康寿命ならば、本人の努力で伸ばすことができるはずです。健康な状態が維持できれば、体や頭の自由の効く期間を伸ばすことができます。ですから、QOLの前提として健康維持が重要な課題となりそうです。
 私は、数年前に糖尿予備軍だったので、一念発起して糖質制限で10kg以上体重を落として、その後安定した体重を維持しています。また、野外調査で足腰を衰えさせないために、通勤で往復2時間ほど歩いています。また、夕方にストレッチをしているのですが、これは腰痛対策であります。少々の運動はしているのですが、野外調査をしていても、日常生活をしていても、年々衰えを感じています。多分、現状の運動状況では日常生活や野外調査は、今後だんだん難しくなりそうです。時間と経済的な負担かけることなく、運動をどう生活に取り入れていくかを、これから考えて、近い内に実行に移したいと考えています。
 次に、定年後の頭と体の働く期間をどう過ごすのかです。QOLを挙げるためには、グータラして過ごのはまずいでしょうし、多分、老化や認知症の原因にもなると思います。何か頭を使うことをする必要があります。私は、今まで本業でやってきた地質学と地質哲学、科学教育を、今後も続けていけばいいはずです。その手段は模索中ですが、地質学のうち野外調査は、旅行も兼ねていけば、趣味としてもなかなかいいはずですので続けていきたいと考えています。科学教育は、メールマガジンが手段としても有効なので、今後も継続したいと考えています。メールマガジンは地質学の学びの動機づけや、科学の成果をの公開の場としても使えます。そして、在職中からはじている地質哲学は、定年後にこそ深めて続けていきたと考えています。いずれも現役のときのようなペースで進めることは難しいと思いますが。ただし、地質哲学は思索を深めることなので、たっぷりとした、静一な時間が必要で、経験や年齢を経るほど深まるのではないかと期待しています。
 環境としては、大学と同じとはなりませんが、幸い現在ではパソコンとインターネットがあれは、いろいろの情報入手の手段やアウトプットの手法もあります。また、論文の発行や、本や出版もインターネット経由で手軽にできるようになっています。そんな手段を今後は試みたいと考えています。
 QOLのために、家族との暮らしも重要です。子どもたちのいない、そして私が自宅に居続ける、夫婦二人の家族の形、時間の使い方を考えていかなければなりません。家内は専業主婦なので、これからも変わらず日々の暮らしを続けていくことでしょう。もし私が定年したら、家内の自由時間を奪いことになりかねませんので、先程の自身やるべきことと健康維持に日中の多くの時間を費やそうと考えています。可能であれば、夫婦での共通した楽しみ、運動、仕事(地域貢献)などもできればと思っています。時間はたっぷりとあります。
 組織にいるしたくなり仕事、煩わしい人間関係もありますが、地域での役割は、やりたいことだけを選ぶことができるはずです。それで地域貢献できることが見つかれば、生きがいの一つになるはずです。
 ここまでは、まだまだ空論の部分が多いのでが、定年までの時間で少しずつ、実体を持たせ行動に移したいと考えています。
 最後になりましたが、ここまで「老後」ではなく、「定年後」として話してきました。老後という言葉は、「老いた後」という意味ですから、30歳であろうと老いたと思えばそれ以降は老後になり、80歳でも老いを感じなければ、老後にはなりません。老後という言葉をあまり定かな意味を持ちませんが、定年後は明確な区切りとなります。老後には衰える面ばかりがイメージされます。体力、記憶力などは、10代の頃にくらべれば、20代以降、つまり人生の大半の期間で衰えていきます。ですが年齢と共に増す力もあるはずです。老練、老熟、老成などの言葉あるように、老いてこそ達成できることもあります。「老練な老人」は、定年後の目標としてはいいものではないでしょうか。


Letter■ 老練さ・新しい授業 

・老練さ・
今回のエッセイは、
地質学や科学哲学とは違ったテーマになりました。
だれもが将来、あるいはもうすでに
取り組んでいる問題でもありす。
最近私が考えたことを示しました。
参考にならないかしれません。
もっと老練な考え方、老熟した先人もいるかもしれません。
誰もが老成を目指して生きていかなければなりません。
日本での現状の高齢化社会を乗り切るために
経験を共有する老練さが必要でしょう。

・新しい授業・
4月は新入生の来る時期です。
今年も1年生の担当なりました。
今年から担当の授業が大きく変ります。
その中心となっていろいろ考えて
講義を組み立てていかなければなりません。
大変でしょうが、やりがいもあります。


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