地球のつぶやき
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Essay■ 159 普遍を目指して:大きな知性
Letter ■ 春には・入学式


(2015.04.01)
 研究をしている人間はだれもが、自分の成果が、より普遍的なものになるように望み、そのために弛まぬ努力をしています。しかし、日々の歩みは、苦渋に満ちています。そんなジレンマを紹介します。


Essay■ 159 普遍を目指して:大きな知性

 新しい年度がはじまりました。私は、2015年に入ってから、校務が急増してきました。つぎつぎと仕事に追われて、なかなか気の休まることがありません。手を抜きたいのですが、大事な仕事だとわかっているので、やるしかないと思い、こなしています。それでも、隙間時間をみて、自分の研究はしなければと、研究にしがみついています。すべてを投げ捨てて、野外調査にでも出たいものですが、なかなか行けません。今年度の学内の研究費に応募していて、今年度には2回の野外調査に出る申請をしています。当たるかどうか、また当たったとしても出れるかどうかが問題ですが、現状からの開放が調査によって必然的に生まれます。それを期待している日々です。
 愚痴はこれくらいにして、研究の普遍化について考えていきます。私にとって研究が一番興味があること、そして最優先すべきことです。2番が学生に対する教育、3番が給料分としての校務の順です。現在の研究は個人でおこなっています。一方、教育も校務の相手や組織があることなので、他者への対応、他者との面談、組織人としての会議、締め切りなど、個人の事情を斟酌しない強引さがそこには存在します。そんなとき、どうしても研究が犠牲になります。これが、サラリーマンでもあり、研究者でもあり、教育者である、といういくつものワラジを履いている現代人のつらさでしょう。
 またまた愚痴っぽくなってきました。研究をしている人間にとって、研究は自己満足的、自己完結的なところがあります。研究には、最終的にその成果を公表、公開し、学界や世間の評価を受けるところで、一つのサイクルが完結するはずです。ですから、テーマや内容、そして成果の重要性も重要なことになります。ただし、成果の重要性は即座に判断できるとは限りません。基礎的、あるいは画期的であれはあるほど、評価は後の時代になることも多いでしょう。
 評価はさておき、研究者は、自分の成果を普遍化することが重要だと考えています。普遍化は成果公表時に重要になります。普遍化によって、個別の成果が、汎用性を持ったものになります。普遍化には知性が必要です。個々のデータ、地域の記載、個別の現象から、「見えない何か」、「いままでにないもの」を見出すことが普遍化です。そこには、知性によってのみ普遍化がなされます。優れた知性による大きな普遍化が起こると、それは人類に大きな福音を与えてくれます。
 普遍化の評価は、時代が決めます。科学の成果には、ある時代には非常に役立っても、それが利用され尽くされ、より優れたものがでてくれば、その普遍化の成果の役割が終わることもあります。
 このような減少は科学技術にはよくあることです。例えは、真空管やブラウン管などは、ある時代、多くの人類に恩恵を与えました。しかし今では特別な用途をのぞき、ICやLSI、液晶ディスプレイなどにほとんど置き換わってきました。従来の技術を超える新技術が生まれ、その必要性が高くなると、需要が大ききくなり、経済原理で低価格化が進み、庶民に普及し「枯れた」技術となっていきます。やがて新たな技術への大転換が起こるのでしょう。そんな繰り返しが科学にはあります。
 個別の問題、局所的問題、地域性的問題の解決に用いるための成果にも、真空管とブラウン管と同じような運命になるものも多いのでしょう。いや大部分はこのような末路をたどるはずです。
 ところが科学の成果には、古びないものもあります。それは、普遍化の大きな原理や法則などです。そんな原理、法則も、個別、局所、地域の問題解決から抽出されることも多々あります。それを成しとげるのは、やはり研究者の知性に負っています。個別から普遍へという転換は、大きな知性が必要です。普遍性が大きいほど、その法則は長く生き残るでしょう。そして、法則には、人類の知性として永久保存される原理のようなものもあります。
 中には、だれもが無意識に利用しているものもあります。例えば、ギリシア時代に構築された三段論法などの論理、近世にはそれまで無意識に利用されてきた帰納法と演繹法などが体系化されました。これらは、考え方自体は多くの人が使っていたものですが、それを意識的に抽出して、体系化することによって、無意識による利用以上の使い道があることもがわかってきました。それが古典的論理体系となって今も活きています。日常の考え方から普遍性を抽出したという点で、偉大な知性が導いた業績となります。このような原理、法則を導いた、プラトンやアリストテレス、デカルト、ベーコンなどの知性は、人類を代表し、時代を超えるものといえます。
 ある研究者、あるグループが、今まで誰も気づかなかったものを、独自に構築していくこともあります。弁証法、唯物論、構造主義などの考え方、ニュートンの古典力学、ダーウィンの進化論、アインシュタインの相対性理論やシュレーディンガーやハイデルベルグなどの量子力学など学問も、普遍化された体系です。大きな知性によって普遍化されたものです。普遍性の大きな考え方、学問体系は、時代を越えて残るものでしょう。それを生み出した知性は、偉大な人物として、歴史にいつまでも刻まれているでしょう。
 基礎科学に携わる研究者の多くは、普遍を目指して研究しているはずです。地域や個別の素材、試料、題材を扱いながらも、自分の研究を進め、小さいながらも成果を普遍化をています。大きな普遍を生み出すのは、稀なことですが、小さいな一歩一歩の積み重ねから、少し大きめの普遍が生まれることもあります。校務や雑用に追い詰められながらも、研究を諦めることになく、日々進めています。進めているテーマ自体も個別で、ささやかなものであることも、多くの研究者は自覚しています。でも、何年かに一度は、ささやかですが普遍化された成果が出ることもあります。そんな喜びを糧に、次なるテーマへと歩を進めていく日々です。
 愚痴からはじまったこのエッセイですが、どこもで似たような不平不満、愚痴をいっている研究者がいることでしょう。日々の生活、仕事から生まれる不満は、そこには普遍化に時間を費やせない苦しみが反映されているのかもしれません。もしかしたら、その不満には自分才能のなさの嘆きも含まれているかもしれませんね。


Letter■ 春には・入学式

・春には・
今年の北海道は、雪解けが早かったです。
12月や1月の積雪は、例年を上回っていたようですが、
繰り返しの暖気が、早めの春を呼んだようです。
北海道の人間にとって、
春が一番待ち遠しく、嬉しい季節です。
そこに卒業や入学が重なるので、
春はひとしお、思い出深くなります。

・入学式・
我が大学は、昨年から4月1日が入学式になりました。
今年度から学科長になり、
新入生の前で挨拶をしなければなりません。
ストレスがたまります。
年齢的に、そして組織の人員構成上、
仕方がないことも理解できます。
だから、どこにもいえない、訴えられない
不満が生まれてくるのでしょう。
しかし、学生は可愛く思えます。
いろいろ問題を起こす学生も多々います。
でも、彼ら、彼女らが卒業すれば、
過去のトラブルもすべて帳消しになり
すべて思い出になっていきます。
そんな卒業式もだいぶ前に思えてしまいます。
まだ、2週間もたってないのですが。


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