地球のつぶやき
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Essay■ 157 noblesse oblige:覚悟と献身
Letter ■ 新プロジェクト・卒業旅行


(2015.02.01)
 ノブレス・オブリジュという聞きなれない言葉があります。意味は本文で詳しく紹介しますが、指導者への警句とも読めます。少し前の時代であれば、これを重要な警句と考え、実行に移した人もいたでしょう。今の時代では、この言葉通りに振る舞うのは、なかなか難しいようです。そんな時代に、指導者はどうすればいいのかを考えました。


Essay■ 157 noblesse oblige:覚悟と献身

 若い時、その分野で偉大な成果を出した科学者がいたとしましょうた。彼が、その後も科学の世界にとどまり、研究を続け、それなりの業績を挙げていけば、一流の科学者へと成長していきます。研究の傍ら、後進の指導をおこない、年齢とともに、自分の仲間や弟子たちが科学の世界(コミュニティ)に進出していくことでしょう。彼やその仲間たちは、学界内でそれなりの勢力を持ち、発言力が増していきます。やがて彼は、指導的立場に立つことになっていくことでしょう。
 彼が、指導的立場になればなるほど、研究に従事する時間よりも、学界の運営や学界からの情報発信に多くの時間を割かれていくようになるでしょう。ただし、弟子たちの共同研究として業績は増え続けるでしょう。師を立てることにより、弟子たちも資金や研究環境もよくなり、学会内での認知度や発言力も上がっていき、ギブエンドテイクの関係が成り立ちます。彼は、中枢に入り込み、運営や政策、提言など学界の利益代表として重要な役割を果たすでしょう。
 しかし、科学者の中には、常に研究を続けていたい人もいることでしょう。現在の日本では、なかなか研究だけに専念できる条件を維持続けている人は少なく、誰もが学界内の中枢で運営にかかわって働く必要があります。時には、指導的立場にはなじまない人、トラブルを起こしたり、人的軋轢があるような人は、それなりに免除されることにあります。ただし、そのような人は、資金的に社会的に冷遇されたりすることもあります。円満に学界中枢から離れている研究者は少数派でしょう。
 さて、コミュニティの中枢の指導者の話です。科学の世界だけでなく、政治や経済の世界でも、中枢的な立場に立つ人って貢献できる人は、それなりの資質が求められるのではないでしょうか。それは、どんな資質でしょうか。
 その世界での業績、業界での実績が、あるにこしたことはありません。業績や実績のある人は、それなりの努力や苦労をして、経験も豊富であることは確かでしょう。しかし、実績、業績の優劣が、指導的立場の立つための、必要条件ではなさそうです。いい選手がいいコーチとは限らないし、上で述べたように、大きな業績を挙げた人すべてが指導者に適しているとはいえません。
 コミュニティの中枢に立つためには、実績、業績だけでなく、指導者特有の能力や見識が必要になるでしょう。そして、対人関係が発生する場面では、人が精一杯働ける意欲を沸かせるだけの、指導力が必要でしょう。そうでなければ、人は動きませんし、大きなコミュニティを動かせないでしょう。
 指導力や見識は、残念ながら上に立つすべて人に備わっているとは限りません。指導力や見識がない人も、時には指導的立場に立つことがあるでしょう。そんなとき、コミュニティの指導者において必要不可欠な資質とは、なんでしょうか。
 まず前提として、そのコミュニティへの帰属意識、「愛」といっていのかもしれません。その上で、指導的立場に立つという「覚悟」を持って、その世界に「献身」することが必要なのではないかと思います。愛、覚悟と献身は、すべてのコミュニティの運営における、指導者の要件となるのではないでしょうか。小さなコミュニティであれば、構成員全員が愛を持ち献身的でなければ組織は動かないでしょう。構成員の献身が担保されていれば、指導者はみんなのために働くという「覚悟」だけがあれば、最低限の条件を満たせることになります。小さなコミュニティであれば、これで運営はできるでしょう。
 そこには時間や労力だけでなく、指導者の資産の持ち出しもあるかもしれません。指導者の「愛」と「覚悟」があれば、資産を投げ打ってでもコミュニティで「献身」するでしょう。指導者としてそんな覚悟できるかどうか、これからはその覚悟が問われるのかもしれません。
 先日、CNNのニュースで、イギリスにある貧困と不正を根絶するための国際支援団体オックスファム・インターナショナル(Oxfam International)の調査結果が報道されました。「2016年には富裕層上位1%の富は、その他99%の人々の富を上回る」といいます。つまり、1%の富裕層が、世界の富の半分を持つことになるということです。
 このユースを聞いて、直結はしないのですが、「ノブレス・オブリージュ」という言葉が思い浮かびました。その意味は後で紹介します。
 富めるものと貧するものの格差、貧富の差がますます広がっていることを示しています。社会主義や共産主義態勢の崩壊に続き、グローバル化による資本主義の行き詰まりが生じてきました。その中で、富めるものは労働者階級から合法的に、国によっては非合法に資本を搾取することに専念しています。国ごとに、個人ごとに、経済の格差がますます広がるということです。
 バブル崩壊以降、21世紀になって、世界が持っている資本は、アフリカ以外の途上国の分を除くと、ほとんど出尽くしているのではないでしょうか。あとは、毎年生まれてくる少ない再生可能な資本と、限りある「化石」資本を運用するだけです。それを覚悟していく時代になったのではないでしょうか。
 限られた資本を、均等に再分配する共産主義、社会主義は崩壊しました。途上国のアフリカが、これからの資本の狩場となるのでしょうか。持てるものは、持たざるものから、搾取を繰り返すという構図がスタートしてきたようです。この構図は何時の時代もあったのですが、最近富に激しくなってきたよに見えます。そんな時代に突入したのでなかいかというのが、CNNのニュースをみた私の思いでした。
 もしそうなら、金(かね)や経済を社会の中心におく資本主義は、もう限界が見えてきたことになります。このような格差拡大を是正するためには、小さなコミュニティで、金銭によらない豊かさを求める生き方、暮らし方がが一つの解決策ではないでしょうか。そのようなコミュニティを認める覚悟と、構成員全体が他者やコミュニティに献身的であることが、これからの社会では必要ではないでしょうか。
 さて、ノブレス・オブリージュは、フランス語のnoblesse obligeで、英語ではnoble obligationと訳されることがあります。直訳としては「高貴さの責任」となり、意味としては、高貴さには責任が伴うということになります。一般には、権力や地位につくにはそれなり責任が伴うという意味で使われているようです。
 富を持つ人が、政治や権力を握ることとは、完全なイコールではないでしょうが、庶民や貧困層よりは明らかに結びつきは強いと思います。上で述べた文脈でいうと、中枢にいる指導者、特に富める権力者は、それなりの責任が伴うということです。その責任にはいろいろなものがあるでしょうが、重要な資質として、覚悟と献身だともいいました。しかし、現在の世界をみると強力な指導者で、指導力と見識のある人は、極端に減ったように見えます。小数いたとしても、他が独善的であれば、複数の大きな国家、民族規模のコミュニティでは、指導力も見識も通用しなくなります。
 もしそうなら、世界を小さなコミュニティに再編して、成長、金銭的利益より心の豊かさなどを目標を定め、その中で全員が覚悟が決まれば、大きな指導力がなくても献身だけで社会が動くのではないでしょうか。ノブレス・オブリージュという一部の特権階級の指導力や見識に期待するのではなく、だれもができる組織運営が必要ではないでしょうか。ノブレス・オブリージュに対抗して、common devotionとでも呼びましょうかね。


Letter■ 新プロジェクト・卒業旅行

・新プロジェクト・
あっという間に1月が終わりました。
そして2月です。
大学は定期試験と入試が重なりかなり忙しい時期です。
私も入試に伴う出張や校務がいろいろとあります。
しかし、講義がない時期なので、
一番まとまった時間を使えるので、
新しい学問をまとめて勉強したり、
次の論文の準備をしたり出来る期間でもあります。
今年は、新しいアイディアに基づいた
プロジェクトをスタートしようと考ええています。
新たな研究のスタートというより、
今までの研究の集大成を行なっていくというものです。
しかし、そのプロジェクトを1ヶ月で
終わらせたいと目論んでいますが、
どうなることでしょうか。
大変で苦しいものが、楽しくもあります。
そのためには、校務を順調にこなさなければなりませんが。

・卒業旅行・
4年生の卒業研究が全て終わり、
あとは、成績評価で、私の作業になります。
ゼミの打ち上げも先日行いました。
その中には、卒業旅行にいって不在のものもいました。
羨ましい限りです。
これから社会にできていく前に
最後の学生生活を謳歌するのでしょう。
心置きなく楽しんでもらいたいものです。
あとは、卒業式まで逢えません。


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