地球のつぶやき
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Essay■ 135 知性を信じるということ
Letter ■ 残雪の春・退官


(2013.04.01)
 信じられないことも、信じるようになるのは、理論よりも、事実に裏付けられいるかどうです。事実があれば、信じられない理論も、今の私たちなら理解し、信じることができます。これが、今まで継続的に積み上げてきた知性の成果です。私を知性を信じるべきでしょう。


Essay■ 135 知性を信じるということ

 世の中には、信じられないことが、多々あります。特に3.11以降、政府や多くのメディア、ある大企業が、その対象に加わったのは、嘆かわしいことです。信頼すべき政府が、情報を操作したり、故意に間違ったあるいは誤解を招く情報を流しました。多くのメディアも、生死に関わるような重要な情報を、検証もせず垂れ流したり、中立公平であるべきなのに政府発表を鵜呑みにして報道ました。ある大企業は、自己保身のために、虚偽の報告やデータの隠匿をしてきました。
 そんな経験して以来、政府やメディア、大企業の広報、報道、発言には、まずは不信感を持ってみるようになったのは、私だけではないでしょう。私にとって、その傷はなかなか癒えがたいものとなっています。すべての政府やメディア、大企業の情報に不信感を抱いたり、素直に信じられず、裏がないか考えてしまいます。
 ところが、政府や行政は、政策だけでなく、教育にまで、上意下達での影響力を出し、メディアがそれに追従しています。そうなると、多くの人は、なすすべもなく従うしかありません。そして、繰り返し同じことをいい続けられ、従って行くとと、あたかもそれが真実と思ってしまいます。「権威」から繰り返し情報が発信されると、ついつい正しいように思ってしまいます。注意すべきです。でも、これも世の常なのかもしれません。
 以下では、信じることとは、どういうことか、考えていこうと思います。まずは、簡単にするために、自分自身が信じていることからスタートしていきましょう。もちろん他人も自分も、嘘はつかないという前提の上での議論ですが。
 よく挙げられる怪しげな例として、怪奇現象やUFOなどがありますが、ここでは恐竜を例としましょう。
 恐竜がまだ知られていない時代、はじめて恐竜を発見した人の話です。仮の話なので、恐竜はティラノザウルスの頭骨化石だったとしましょう。現在のようにITやメディが発達していない、写真もなかった時代です。
 以下架空の話です。
 ティラノザウルスの頭骨化石を発見した人は、たいそう驚きました。自分自身が実物を見ていても、信じられませんでした。頭骨だとしても、あまりに巨大で、現在生きているどんな生物にも、似ていないからです。巨大だとはいえ、その歯は明らかに、肉食動物のものです。彼は考えた末、今は絶滅してしまっている大昔の大型の肉食動物だと推定しました。
 その恐竜の話を、ある学会で発表した。タイトルは「絶滅したが、超巨大肉食動物が存在した」というものです。彼が化石をみせて、自分の考えを示しました。すると、多くの人は、「絶滅動物」説に疑問をもっていたのですが、化石の存在によって信じるようになってきました。なぜなら、目の前に化石が存在し、厳然たる事実だからです。さらに、彼の指摘した化石の特徴を考えると、彼の推定がもっともらくし見えます。発表の終わりには、学会の参加者の多くが、彼の恐竜がいたという仮説を信じるようになっていました。
 さて、学会で話を聞いた人が、「恐竜という、信じられないような生き物がいた」ことを、他の人に伝えたとします。多くの人は、そんな荒唐無稽の話を信じないでしょう。なぜなら、また聞きの人は、化石を見ていないからです。
 以上の話から、「信じること」とはどういうことが考えていきます。
 「自分の目で見ないと、信じない」と多くの人がいいます。逆に、どんな不思議で、ありえないと思えることも、見たものであれば信じられます。自分が見た「信じられないようなこと」は「信じている」のに、他人が見て「信じていること」は「信じない」ということになります。一見、矛盾していますが、重要な点は、事実に接しているかどうかです。上で述べた恐竜はその例です。経験したことは、自分にとって疑いようのない事実になります。事実は、信じることに直結します。これが事実(一次情報)の重みです。
 自分の経験を信じて欲しいというのであれば、他人の経験も信じてあげなければならないはずです。でもそこに事実が介在しないと、どうしても「信じがたい」ことは、信じられません。そんな人や伝達のステップが多くなるほど、情報の質は劣化していきます。それをC. E. シャノンが理論化しました。伝達が経路が長くなると、誤謬が混入する危険性が増大します。シャノンは情報伝達にエントロピーという考えを導入しました。
 情報のエントロピーに対抗するには、事実、あるいは正確な一次情報の発信もしくは受信が重要です。どんなに情報が加工されたとしても、変質していない一次情報にアクセスできる手段を、常に設けておくのです。
 もし、一次情報の解読が難しいのであれば、経験や知識、見識をもった人たちが、それぞれの解釈をして、それを二次情報として自由に公開することです。組織やコミュニティの判断で、どの解釈(二次情報)を採用して行動するかを決めればいいのです。その判断の根拠も公開の場ですれば(この議論自体も一次情報となります)、公正ですし、間違いの修正もたやすいと思います。
 いつでも、だれでも一次情報に接触でき、二次情報への解釈が可能にしておけば、最小限の間違いですむことになるはずです。
 人は、十分な情報があれば、簡単にはパニックになりません。情報がなかったり、不信感をともなう情報によって、パニックが発生します。今や、人は、情報を適切に処理でき、情報に基づき独自の判断で行動できるほど、教育を受け、賢くなっているます。
 3.11の時、公表されていた情報に関する問題は、この点にあると思います。日本は、高度に情報化された社会で、それなりに訓練を受けた国民がいます。そんな教育を受けた賢い国民に対して、前時代的な情報統制、情報操作は、墓穴を掘ります。墓穴も3.11以降、枚挙にいとまがないほど見てきました。
 なぜ、政府やメディア、大企業が、情報を操作したり、ウソの情報を流したのがわかったのでしょうか。
 そこには、多様な、そして賢い人たちが介在したからです。真実の情報、一次情報を発掘した人。正確な一次情報を公開しようとした人。正確な一次方法から新たな解釈で二次情報を発信した人。間違いを犯した人を糾弾しようとする人。多数の多様な賢者がいたからです。そんな多様で賢い人たちは、政府にも、メディア、大企業にもいました。
 政府やメディア、大企業を画一的に「悪」という書き方をしましたが、そのようなさまざまな考えを持った人を、組織内に多様性として持っていたことは、まだ組織が健全である証拠です。そのような多様性が消えた時、最悪の事態、時代となるでしょう。今は、最悪ではありませんが、予断は許せない時期でもあります。心しなければなりません。
 日本人は、充分に訓練を受けた賢い国民です。その知性を信じて、一次情報の公開、知性をもった二次情報への加工と公開を自由化していはいかがでしょうか。それこそが本質的に重要で、次なる時代へのステップではないでしょうか。そろそろ日本人の知性を信じては、どうでしょうか。


Letter■ 残雪の春・退官

・残雪の春・
北海道も3月末になる
だいぶ気温も緩んできました。
今年は、まだたくさん残雪があります。
また、あちこちの脇道で、ぬかるみが残っています。
気をつけないの、車が埋もれそうです。
しかし、着実に春は来ています。

・退官・
先日、退官されたC先生が退職辞令ために出校されたので
最後に昼食一緒にとりました。
二人だけのお別れ会です。
我が家の近所のレストランで、
そこの奥さんのお父さんがC先生の友人で
よくいくそうです。
ただ、お互いはその店では会ったことがなく、
今回初めて会い、私も挨拶しました。
今後もC先生と連絡はするでしょうが、
会う機会は少なくなりそうです。
第二の人生についていろいろ話を聞きました。
ある大学のデータベースのプログラミング作業を
依頼されているようです。
それに関する研究会も定期的あるようです。
あとは別荘で農作業をするとのことです。
お元気過ごされることを祈っています。


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