地球のつぶやき
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Essay■ 134 いろいろな時間
Letter ■ めぐる春に・アイディア紹介


(2013.03.01)
  同じ事象、対象、次元でも、見方を変えると違ってみえることもあります。今回は、時間について考えていきます。学問分野で、時間や時間の流れをどうとらえているのでしょうか。ちなみに、地質学では、「歴史的時間があるが、一般化可能な時間はない」と考えています。


Essay■ 134 いろいろな時間

 以下の議論は一般論めかしていますが、あくまでも個人の意見ですので、ご了承ください。では、時間について考えていきます。さまざまな学問の分野では、時間をどのように捉えているのでしょうか。私は、自然科学での捉え方を、とりあえず、こう要約します。
    数学には、時間はない
    物理学には、理想的時間があるが、特徴のない可逆的時間
    化学には、可逆的時間と不可逆時間のはざま
    生物学は、不可逆時間と歴史的時間のはざま
    地質学では、歴史的時間があるが、一般化可能な時間はない
  この要約は、独善的で説明しないとわからないと思います。これを説明してきましょう。
  学問も多様化しており、ひとつの分野でも学際化していて、異分野の研究者が入ってきていることもあり、上の要約のように一概にいえない面もあるはずです。でも、時間は非常に重要なテーマで、学問領域において、時間に関する見方には特徴があります。
  哲学においても、時間は重要なテーマです。根本的な疑問として、物理的に定義される時間と実感できる時間とはズレがあることは、多くの人が感じています。感じる時間は、物理的時間とはズレています。楽しい時は時間の流れが早く、つまらない時は時間はゆっくりと流れます。若い時は一日は長く、年齢とともに時間の流れは早くなります。
  哲学でも、感じる時間と物理的時間のズレは大きな問題としています。他にも、現在に生きる自分にとって過去や未来は実在するのか、変化のない世界で時間は存在しうるのか、などと重要な問題があります。
  カントは、刺激を外的感覚器官によって空間的に受け取り、それを内的な感覚器官で時間的に受け取り時間が認識されるとしました。空間的感覚を通じて時間を感じとるということです。ベルクソンやバシュラールは、自然科学で用いられる「空間化された時間」は人が経験しているものではないといいます。ベルクソンは「純粋持続」が時間、バシュラールは「瞬間の連続」が「現在」という時間であるとしています。人間が感じる時間は、常に「現在」の瞬間でしかないからだそうです。いずれも興味深い考察ですが、少々難解で、形而上すぎる考察にみえます。
  ところが、日常生活や社会の営み、自然科学では、時間は、上述の哲学者たちが否定している物理的時間を用いています。物理的時間は、時計や天体運動などの現象、運動を手がかりにして、計測可能なものにしてます。その結果、時間に、客観性や再現性をもたせている。
  時間は、厳密に定義もされています。1秒とは、「セシウム133の原子の基底状態で電子が遷移によって放射する電磁波の周期の91億9263万1770倍の継続時間」とされています。この定義は、SI基本単位として国際度量衡総会で決定されたものです。世界のすべての時間は、この定義が用いられています。
  時間とともに、時間の流れも、なかなか難しい問題をはらんでいます。時間は、過去から未来へ流れているのか、それとも未来から過去へ流れているか。意表をつく問いですが、考えようによってはどちらもありそうです。
  自然科学では、時間は過去から未来へと流れていると考えています。
  自然現象には、可逆なものと、不可逆なものがあります。不可逆とは、一度起こった現象が元に戻れないことで、可逆とは元にもどれることです。理想的な状態、条件を仮定すれば、可逆な変化は存在します。しかし、理想的な状態は、現実にはあまりなさそうです。摩擦や拡散熱伝導などによるロスが必ず生じるので、厳密に、あるいは微視的にみれば、現実の現象では、ほとんどが不可逆は変化ということになります。
  熱力学によって、エントロピーというものが定義されています。エントロピーとは「乱雑さ」を定量的に示す物理量とされていますが、不可逆な変化が起こるとエントリピーは増大します。現実のすべての系では、エントロピーが増えています。つまり、不可逆な変化が進行しつづけいていることになります。可逆の変化にしても、現実にはエネルギーを供給しなければ、継続しないことが多くなります。一見可逆でも、実はエントロピー増加をエネルギーを供給を補って抑えていることなります。
  宇宙全体をみると、どの瞬間をとっても、過去はエントロピーが小さく、未来に向かってエントロピーが常に増大するということになります。これを「時間の矢」といっています。さて最初の
    数学には、時間はない
    物理学には、理想的時間があるが、特徴のない可逆的時間
    化学には、可逆的時間と不可逆時間のはざま
    生物学は、不可逆時間と歴史的時間のはざま
    地質学では、歴史的時間があるが、一般化可能な時間はない
に戻りましょう。
  まず、数学ですが、数学には、論理の世界、理想状態の世界なので、時間というものは、定義可能です。その時間は、どこをとっても同質で、ひとつの次元に過ぎず、現実の時間があたるものが存在するようには見えません。それが「数学には、時間はない」という意味です。
  物理学では、時間を扱い、その理論体系の中に存在しています。ただし、流れている時間はあるのですが、体系化された法則に基づく時間です。論理的時間ともいえます。理想的時間ですから、論理的に可能であれば、可逆的時間も存在しえます。物理学では、特定の歴史的特異性(時代)をもった時間は扱いません。物理学では、「理想的時間があるが、特徴のない可逆的時間」となります。
  化学は、分子レベルの化学反応を扱いますから、不可逆性という方向性をもる「時間の矢」があります。化学のあつかう化学反応には、エントロピー増大の法則が大きな束縛条件となります。化学は再現性を重視しますから、歴史性をもった時間の流れはありません。理想化すると物理的な時間になり、現実に即すると時間の矢が明瞭になります。化学は、「可逆的時間と不可逆時間のはざま」にいるようです。
  生物学では、時間の矢が、「過去」を生みだします。つまり、不可逆な時間ん矢が流れています。その典型が、生物進化です。進化は、生物の変化が過去から生じ、現在にいたっていることをいっています。進化の原理はかなりわかってきましたが、一般化はなからずしも成功していません。なぜなら進化論は、いまだに論理的に証明されていないからです。生物学は、「不可逆時間と歴史的時間のはざま」にあるようです。
  地質学では、過去から歴史を編んでいます。一過性の再現性のない歴史的時間を扱っています。一般化していますが、時代や地域の特性に大きく左右され、一般化の信憑性もなかなか証明が難しいものです。地質学では、「歴史的時間があるが、一般化可能な時間はない」となります。
  うまく説明できませんが、時間の流れの特徴をみていくと、それぞれの学問の個性が現れると思います。ここで述べたことは、よしあしではなく、学問の特徴でもあります。さてさて、みなさんはここで紹介した説明を、どう思いますか。それも、時間が解決することでしょうか。でも、そこには、時間の矢があり、エントロピー増加の法則はあります。


Letter■ めぐる春に・アイディア紹介

・めぐる春に・
いよいよ3月です。
寒く、積雪の多い2月も終わりました。
2月末には、天気がいい日は、
路面の雪も溶けるようになって来ました。
長く厳しい冬も終わりそうです。
季節はめぐるのですね。
近づく春に、長く厳しい冬のあとは
期待が大きくなります。

・アイディア紹介・
このエッセイで、私は時間を、
理想的時間(可逆的時間)、不可逆的時間、歴史的時間
に分けました。
それぞれの自然科学では、
扱っている時間に違いがあることになります。
このような見方は重要だと考えています。
まだ、充分に考えをまとめきれていませんが、
今後も継続して、考察を深めていくつもりです。
ここでは、まずはアイディアの紹介をしておきます。


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