地球のつぶやき
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Essay■ 102 可能性と挑戦:心から石を楽しむ
Letter ■ 心地よかったところ・帰京


(2010.07.01)
  新たなことに挑戦するのは、結構、覚悟がいります。しかし、挑みさえすればなんとかなるという可能性が保障されていれば、挑戦する勇気がわきます。挑戦しなければ、成果も達成感、満足感もありません。たとえ失敗に終わっても、挑戦しない後悔より、結果への後悔のほうが諦めがつきます。私は、なんとかなるという可能性を信じています。それは、可能性を信じた挑戦の経験が何度かあるからです。


Essay■ 102 可能性と挑戦:心から石を楽しむ

 6月上旬、吉野川の上流を調査しているとき、非常に心地よい川原がありました。
  吉野川の上流は、南から北に三波川変成帯を縦断して流れ、やがて中央構造線にぶつかり東に流れを変え紀伊水道の海に出ます。三波川帯を流れる吉野川は、険しい山の中を流れています。道路は切り立った崖の中腹を縫うように走っています。道路から川原まで、かなりの高さがあります。しかし、ところどころラフティングや生活のためでしょうか、川原まで降りる道ができています。そんな道を伝って降り立ったところにその川原はありました。そこは、昼食も兼ねて、調査をするために降りた川原でした。平日の昼間、快晴の川原は、日差しは強かったですが、川風がふき、非常の心地よいところでした。三波川変成岩の露頭に腰をかけ、きれいで心地より冷たさの水で手を洗い、2時間ほど前にコンビニで買ってきた、おにぎりと生ぬるい飲み物で昼食をとりました。そのおいしさは格別でした。
  同じような心地よさを、5月に四万十層群が出ている高知県の海岸ぞいでも味わいました。
  そこは、長い砂浜が広がる海岸でした。日差しが強く、5月だというのに、汗が湧き出るような暑さでした。砂浜の右手の方に、目指す四万十層群の露頭がありました。ウミガメが産卵をするようなきれいな砂浜を一人歩きながら、露頭に向かいました。歩いている途中で、小さい川が伏流したものが海岸沿いで再び流れができていました。そこでは、染み出した水が作る流れの模様や漣痕(リップルマーク)ができたりしていました。水の流れがつくる模様は、以前火星の河川の跡と似ているように思え、なかなか興味深いものでした。そして、磯の露頭にたどり着くと、直立した四万十層群の地層がありました。それを観察しながらも、足元のシェルサンド(貝殻砂)に目がいきます。そんな暑い海岸で非常に心地よい満足感を得ました。
  以前、地質学の成果を上げるために野外調査をバリバリと行っていたころは、興味の中心は、露頭の岩石であり、なぜそこにその岩石があるのか、その露頭から何が読み取れるのか、ここ地質学上の問題で何が重要なのか、などなど科学的興味を中心に考えることで頭が一杯でした。もちろん、それはそれで、私自身は、石に興味を持ち、石を見ることを楽しんでいたのです。
  そんなころの私が、この川原で昼食をとっていたとしたら、砂浜を歩いていたら、どんな気持ちでいたことでしょうか。多分、心地よさを感じるよりも、好奇心の方が勝っていたことでしょう。あれこれと地質学的興味に思いをめぐらしながら、昼食をとるのもまどろっこしく感じながら、あるいは長い砂浜と暑さに厭厭としていたことでしょう。一刻も早く露頭に張り付きたいと思っていたことでしょう。
  大学生時代、地質学を目指す前は、山登りが好きで、一人で山にはいっていました。難しい山を登るのではなく、人気のない低山を、一人で登ることを好みました。また、帰省すれば、神社仏閣などの観光地を一人で巡っていました。山に登りながら、観光地を巡りながら、いろいろと自然を眺めは楽しんでいました。
  地質学を目指すことを決めて、学部の専門教育を受け、野外調査の手ほどきを受け、実際に地質調査のために野山に入るようになりました。趣味の山登りから、目的をもった野外調査へと変わり、趣味で山登りなどしなくなりました。目的もなく山を歩くなどという余裕はなくなりました。卒業論文を書く4年生になると、テーマを持ちひとりで野外調査をするようになっていました。修士課程で研究を続けるころには、露頭は研究素材であり、地質学的情報を読み取るべき対象となっていたのです。それでも、山に入ると自分の居場所に来たように、ホッとするような心持になるようになっていまた。
  地質学に専念していたころ、山の崖っぷちの道で、片方に崖があり露頭があり、他方には雄大な景色が広がっていたとしら、興味はもっぱら崖に向かっていました。自分でも不自然な興味だなと思いながら、学術的好奇心には勝てず、崖の石を見ていました。
  そんな好奇心むき出しの志向を持つようになるまで、2、3年で歳月ですみました。そして、そんな好奇心を持って、研究者生活を長年続けていました。
  その後、地質学プロパーの研究テーマをやめることにして、現在の大学に職を選びました。自然をしっかり感じること、そこから深く考えていくこと、そして感じ、考えたことを人に伝えることをライフワークのテーマに定めました。そのために努力を重ねて、上で述べたような心持ちになるには、4、5年以上かかりました。それ以前は、博物館に11年間勤務していたのですが、そこで子供たちに素直に自然に触れるということが重要である説いていました。説きながら、自分にはなかなかできないという思いがあり、ジレンマも感じていました。そんな緩衝時間も入れると、自然回帰には、10数年の長いリハビリ期間が必要だったことになります。
  若い時代に新たな道を歩みだし、その道の専門家になるためには、数年で大丈夫でした。集中的にのめり込めば、心もそれに伴って比較的短時間で変貌できます。
  年をとるとともに、新たな道へ進み、その道の専門家になることは、要領を得ているせいでしょうか、決心さえすれば、数年でできます。
  自分の体験がいくつかあります。鉛の同位体分析ができる実験室を独自に作り上げるというというので、ゼロからスタートしたのですが、3年で非常に精度のよい実験システムを作り上げることができました。
  ある業者から廃棄物に関する相談を受けたことがあります。それを調べていく過程で面白いことがいくつか分かり、廃棄物学会に急遽入会し、学会での発表と雑誌への論文投稿をしたことがあります。まった違った分野ですが、今までの地質学の岩石学を利用したある廃棄物への考察となりました。それが真新しかったのでしょうか、発表後、いくつかの企業の方々が来られていろいろな質問を受け、名刺をもらいました。地質学の学会では発表への質問を公の場で受けることがありますが、企業の人から個別に質問を受けることはめったにないことで少々戸惑いました。しかし、それなりに関心を引いた内容だったのでしょう。これは、ほんの1年ほどの出来事でした。
  そのような経験から、興味が持ち、集中して取り組めば、ある程度の成果を出すようになるには、それほど長い時間は必要ないということがわかってきました。どんなに年をとっても、新たな道を志し、成果を上げることが可能であるということです。
  ただし、理性ではなく、心からそれが味わい楽しめるのには、もしかすると長い時間がかかるかもしれません。でも、それとても、時間さえかければ可能であるということです。
  このエッセイで私がいいたいのは、これなのです。興味を持てば、どんな道にでも、いくつになっても進むことができ、そして成果を上げることが可能であるということです。そして、少々時間がかかるかもしれませんが、それを心から楽しめるようにもなるということです。この可能性さえあれば、それをよりどころに、人は新たな挑戦ができます。もちろんそれは10年単位の作業となります。それなりの決意、決心で望まなければなりません。でも、可能性は誰にでもあるのです。
  ライフワークのように今後の生涯をかけて何かをしたいと願うとき、どのような姿勢がいいかわかりません。必死に死にもの狂いで、ライバルに負けないようにする人もいるでしょう。成果を上げること、名声・評価を得ることに、重点を置いている人もいることでしょう。私は、できるなら、仕事は、楽しんでやりたいと思っています。もちろんすべてが楽しいはずはなく、つらいことの方が多いことも分かっています。でも、楽しいと思える瞬間があれば、たとえリタイヤしても、ずっと続けられるはずです。そんなライフワークでありたいと思います。
  三波川変成帯の吉野川の川原で、心地よく、泥質片岩の露頭が見られました。また、川原には上流から来たであろう転石の緑色片岩、砂質片岩、まだ変成度の低そうな火成岩類、堆積岩類もありました。そんな種類の違う石を露頭の泥質片岩の上に置いて、楽しみながら写真を撮ることもできるようになっていました。
  また、少し上流の大歩危の川原で面白光景を見つけました。雨によって流れた小さな流木(地質学者は全く注目しません)が川原にあり、その向きが、増水したときの流れそってきれいに並んでいました。そんな流木の並びを美しい、面白いと思えました。
  私は、地質学を背景とした立場は守っていますが、いろいろな分野にテーマや興味を変えてきました。そしてそれぞれのところで、心から楽しさを味わえるようになるすべを学んできました。しかし、今回のライフワークへの道はなかなか険しく長いものです。やっと心は向いてきたのですが、成果がなかなかでません。そんなとき、地質学プロパーへの名残や憧憬が湧くことがあります。しかし、選んできた道ですから、後悔はありません。願わくは、選んだ道で成果を少しでも残したいと考えています。


Letter■ 心地よかったところ・帰京

・心地よかったところ・
今、その心地よいところを
写真でみてみると、
特別変わったところではなく、
どこにでもあるような川原、海岸でした。
私のその時の心持ち、天候、体調、
そしてその場所がなんらかの作用をして、
心地よいという気持ちを、生み出したのでしょう。
参考のために、ホームページにその付近の画像をつけておきます。
気になる方は覗いてみてください。

・帰京・
このエッセイが出ることは、
私は京都にいます。
里帰りをしています。
四国から京都は半日の行程です。
時間でいえば、北海道の自宅に帰るのと大差ありません。
しかし、料金は、半額以下で帰れます。
なかなか実家に帰る機会がないので、
今年ぐらいは、何度か帰ろうと考えています。
そして、学生時代にしたように、
観光地の神社仏閣を巡りたいと考えています。
もちろん、地質がらみになる部分は多々ありますが、
仕方がありません。
好きな道ですから。



海岸の伏流がつくる地形


上の地形は火星の流水がつくる地形とどこか似ている(NASAより)


海岸で直立する四万十層群


海岸の貝殻砂


吉野川の流れ


淘汰の悪い川原の礫。変成岩が主である。


泥質片岩の上の緑色片岩と珪質片岩。


増水で流木がきれいに並んでいる。


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