地球のつぶやき
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No. 10

ロゼッタストーン:知の集積
Letter なぜ、大英博物館なのか/ロゼッタストーン解読/なぜ、ロゼッタストーンなのか


(2002.09.01)
 2002年8月31日から9月10日まで、イギリスに行きました。その目的のひとつは、ロゼッタストーン(Rosetta Stone)を、見ることでした。ロゼッタストーンは、ロンドンの大英博物館に、現在、保管され、一般公開されています。
 大英博物館(British Museum)は、イギリスの国立の博物館です。その歴史は、1753年に、イギリスの博物学者で初代館長のハンス・スローンのコレクションと、第1代・第2代オックスフォード伯のコレクションに、マグナ・カルタなどをふくむロバート・コットンの蔵書をくわえて設立されました。
 大英博物館の建物は、ロバート・スマークの設計で、1847年に完成したものです。現在、この建物には、10の部門と1972年に大英博物館から独立した大英図書館の一部がはいっています。1883年に自然科学部門が独立して自然史博物館となり、1909年には自然史博物館から科学博物館が独立しました。
 こんな由緒のあり、人類の至宝が数限りなくあるような大英博物館でも、ロゼッタストーンは、目玉となっています。
 ロゼッタストーンの碑文は、ギリシア語と、エジプト語のヒエログリフ(象形文字で神聖文字ともいう)とデモティック(民衆文字)の3種類の文字で書かれています。ヒエログリフ(Hieroglyph)は、古代エジプトの象形文字で、聖刻文字、神聖文字ともいわれます。このヒエログリフの解読から、エジプト学の基礎がきずかれたという曰(いわ)くつきの歴史的資料です。
 1799年、エジプト、ロゼッタ近郊で、ナポレオンのエジプト遠征に従軍していた工兵隊の士官が、ロゼッタストーンを発見しました。ロゼッタは、英語読みで、現地ではラシード(Rashid)と呼ばれているナイル川デルタ地域ラシード支流の河口にある町です。
 碑文の内容は、エジプト王プトレマイオス5世をたたえる神官団の布告で、紀元前196年に刻まれたものです。ギリシア語の和訳を読んだのですが、美辞麗句、飾りの言葉だらけで、あまり内容のないものでした。
 ヒエログリフの解読は、最初、スウェーデンの外交官ヨハン・ダビド・オケルブラドが、この文のデモティック中の表音文字の解読に部分的に成功しました。ヒエログリフの解読では、イギリスのヤングとフランスのシャンポリオンが、その功を争いました。
 ヤング(Thomas Young、1773〜1829)は、私には、物理学でなじみのある研究者です。光の干渉現象を発見し、光の波動説の確立に貢献しました。弾性の理論的研究では、弾性率のひとつに、彼の名にちなんだヤング率があります。
 ヤングの職業は医者でした。ですから医学でも、目についての研究で業績を上げました。眼球を調節する筋肉があることを解剖学的に示し、乱視について記載し、その原因を指摘しました。
 さらに、古代エジプト文字の研究で、ロゼッタストーンにヒエログリフの解読においても功績があります。ヤングは、いくつかの固有名詞の解読に成功しました。
 もう一人のシャンポリオン(Jean-Francois Champollion、1790〜1832)は、小さいころから語学の天才でした。研究は、ヘブライ語、アラビア語、シリア語、エチオピア語、ペルシア語、中国語から、メキシコの古文字にまでおよび、16歳のころコプト語が古代エジプト語の流れであることを突き止めています。その後、コプト語辞典の編纂や、エジプトの歴史や地理の研究にも熱中しました。
 シャンポリオンの業績は、なんといっても、ロゼッタストーンの碑文の解読でしょう。1821年に、2種類のエジプト語の文が表音的にはじまることを解明し、ロゼッタストーンなどの碑文における王の名前の書き方が、ヒエログリフでのカルトゥーシュ(王の名前で枠で囲われたもの)であること確認しました。1822年には、一気に碑文のすべての解読に成功しました。この結果を、1822年に、パリ学士院で発表しました。この年が、近代エジプト学のはじまりとされています。シャンポリオンは、この後、10年ほどで、エジプト学の広い分野にわたって業績をあげ、近代のエジプト学の創始者となりました。
(以下は、ライブです)
 以下では、私が見たロゼッタストーンについて紹介しましょう。
 ここからの文章は、大博物館の中心部にあるReading Roomで書いています。まあ、いってみれば、メールマガジンの送り手側のライブです。
 大英博物館から独立した大英図書館が一部大英博物館に残されています。このReading Roomは、その図書館の閲覧室にあたり、実際に閲覧できるところです。しかし、多く観光客は、入り口で引き返すので、中は静かに、本を読んだり、入力作業ができます。なんとこのReading Roomは、1857年以来、市民が利用できるのです。約150年間、このテーブルに何人の人が本を広げ、この椅子に何人の人が知的好奇心を満たすために座ったのでしょうか。マルクスも個々を利用したと書いてありました。時間の重みを感じます。
 多くの人は、ロゼッタストーンを写真で見ていると思います。みれば、だれでも、「ああ、これか」と思い出せるほど有名なものです。また、イギリス、ロンドンを訪れた人の多くは、大英博物館を訪れ、ロゼッタストーンは見たことがあると思います。
 ロゼッタストーンは、現在は、ガラスで覆われており、全体のいい写真を撮ることができませんでした。残念ですが、しょうがありません。このロゼッタストーンは、1802年の終わりころ、紆余曲折をへた後、大英博物館に落ち着き、それ以来、現在まで、一般公開されています。なんと、200年間も、市民に展示されてきたのです。なんと素晴らしい経歴をロゼッタストーンは持っているのでしょうか。
 ロゼッタストーンは、高さが114cm、幅が72cm、厚さは28〜30cm、重さ762kgの黒っぽい岩石でできた板です。ロゼッタストーンは完全なものではなく、左上の角のかなりの部分と、右上の縁の細い部分、右下の角が失われています。もともとは、上が半円形で、下が四角い、西洋の墓石のような形をしていたと考えられています。
 多くの説明には、岩石の種類は、玄武岩と記されているのですが、ロゼッタストーンの説明文では、花崗閃緑岩(Granodiolite)と書かれています。
 地質学的にみると、つまり私が見たロゼッタストーンは、以下のようです。
 ロゼッタストーンは、2種類の岩石からできています。
 大部分は、ドレライトという玄武岩よりやや粗粒の結晶からなる火成岩です。マグマとしては珪酸(SiO2)が少なく、鉄やマグネシウムの多い塩基性の性質を持つマグマからできたものです。黒く緻密な岩石で、見慣れない人には結晶は見ません。しかし、よく見るとロゼッタストーンの欠けた部分の割れ目で、ガラス越しですが、単斜輝石の柱状結晶が光ってみました。写真にとって拡大してみると、斜長石の結晶もみえます。ですから、オフィティック組織と呼ばれる、ドレライト固有の岩石組織を持っているようです。
 左上部に、中央上部から左上部にかけて、数センチメートルの幅のピンク色の脈状の部分があります。これが、もうひとつの岩石である粗粒の花崗閃緑岩の岩脈の部分です。裏側の割れ目でみると、ピンク色のカリ長石、白色の斜長石、無色の石英、黒く不定形の角閃石、まれに黒く角ばった輝石が見えます。マグマが固まってできた火成岩ですが、ドレライトとは違い、珪酸が多く、鉄やマグネシウムの少ない酸性の性質のマグマからできたものです。
 他のエジプトの岩石でできた資料をいくつもみていきますと、塩基性の岩石に酸性の岩石が貫入しているものが、よく見かけられます。ですから、石材の産地のひとつとして、塩基性のマグマの活動後、酸性のマグマが活動した地域のものが使われているようです。
 ロゼッタストーンだけではないのですが、古代エジプトの岩石の加工技術は、素晴らしいものです。現代のような道具を使えば、可能でしょうが、何トンもあるような岩石を切り出し、細かい加工をして、表面もきれいに磨き上げています。どのような技術を使ったのでしょうか。
 ロゼッタストーンの表面に刻まれた、小さいな文字、ヒエログリフの細かい模様、小さなギリシア文字、本当に細かい文字が刻まれています。素晴らしい技術です。
 一番感心したのは、古代エジプトの人々が、文字や絵で、「記録」するという重要性を十分知っていたことに驚きます。移ろいやすい人間は、せいぜい100年の寿命です。でも、死者は、ミイラになれば永遠に生きながらえます。そして、文字として石や紙(パピルス)に記録されたものは、やはり永遠にその記録は残ります。そんなことを、彼らは悟っていたのです。
 エジプト人は、庶民から王様まで、住まいは、日干し粘土で固めたような粗末な家に住んでいたようです。現世の富や名誉より、死後に残すものに、財力や精力をつぎ込んだようです。その結晶が、ヒエログリフが刻まれた多くの死者の副葬品です。
 現代生活にその教訓を、活かせないでしょうか。「今」の快楽を求めて刹那的に生きるより、後世に残る仕事、あるいは知的資産の積み上げに、精力を使って生きればどうでしょうか。そうすれば、必要以上のものや富、労力は使われず、後世の人のためにとって置けます。あるいは自然に対しても必要以上に負担を強いることがないかもしれません。
 古代エジプト人は、自分たちの言葉は永遠に消えないと信じていました。古代エジプト人は、こんな格言を残していたそうです。
「未来に向けて語るべし、それは必ず聞かれん」
 われわれは、未来に何を語るのでしょうか。今のみを語っているのではないでしょうか。


・なぜ、大英博物館なのか(これもライブです)・
 本来なら、私の志向や興味から言えば、自然史博物館に行くべきではないでしょうか。ところが、なぜか、大英博物館なのです。9月6日夕方、エディンバラからロンドンに着いて、9日の昼にロンドンを発つまでの、2日間すべてを、大英博物館の中ですごしました。両日とも8時間ほどいました。もちろん、トイレから食事まで内部にあり、そして世界一級の資料が、すぐそこにあるのです。さらにいえば、その2日間の半分以上はReading Room、つまり図書館にいました。
 ロンドンの町は、ホテルと大英博物館(徒歩5分ほど)のホテルの近くで夕食を食べるほか、ほとんど見ていないことになります。それに、展示物を見るだけが、大英博物館の見方ではないと思います。そこに流れる長い時間に浸ること、それも、大英博物館の見方ではないでしょうか。
 その理由は、いくつかあるのですが、世界最高の知の集積の場で、その雰囲気を胸いっぱいに吸い込みたいと思ったからです。
 大英博物館が資料としてあつめたもの、そして現在も集めているもの、それは、人の営為かも知れません。
それを為した人:芸術家や職人、必要に迫れて作った庶民、名も亡き人、などなど。
それを為さしめた人:皇帝、王、貴族、支配者、神官、宗教家、などなど。
それに協力した人:市民、庶民、納税者、奴隷、下層に人々、などなど。
それを観る後世の人々:解読する人、解析する人、感動する人、味わう人、圧倒される人、たたずむ人、観光する人、学ぶ人、老若男女、過去の人、現在の人、未来の人、などなど。
そんないろいろな人の営為の集積、そんな人の知恵と知恵の衝突の集積が、ここにはあるのかもしれません。
 ならば、そんな人の営為の集積、そんな人の知恵と知恵の衝突の集積を、ほんの短い時間ですが、体全体で感じたいと思ったのです。

・ロゼッタストーン解読・
 今回、ロゼッタストーンを見に来るにあたって、レスリー・アドキンズ、ロイ・アドキンズ著「ロゼッタストーン解読」(ISBN4-10-541601-4 C0020)を、滞在中に読みました。ロゼッタストーンに書かれた文字の解読にまつわる話です。
 ロゼッタストーンのヒエログリフは、フランス人のジャン=フランソワ・シャンポリオンが解き明かしたものです。彼は、ライバルたちからの誹謗、中傷、妨害にあいながらも、病気と貧困に打ち勝って、1822年、31歳のとき、ヒエログリフの解読に成功しました。この本から、彼の熱意、彼の努力、そして弱音、
人間としてのシャンポリオンがわかりました。そして、彼のエジプト学に対する情熱も伝わりました。そして、ここまで一つのことにのめり込めた、彼の偉大さを尊敬しました。
 この本を読み終わった直後に、ロゼッタストーンを見ました。感動もひとしおでした。写真をとれなくて残念でしたが、そんなことは些細なことで、ロゼッタストーンに刻まれた人類の叡智に感動しまた。
 そして、大英博物館は、なぜ、こんなにも他の地域のものを集めているのか疑問に感じました。この世に一つしかないものは、あるべきところに収めるべきではないかとも思ってしまいます。ただ、これだけの宝物を、無料に世界の人々に解放しているのは、素晴らしいことだと思います。でも、罪滅ぼしかなとも思ってしまいました。

・なぜ、ロゼッタストーンなのか・
 イギリスにいってロゼッタストーンをみたいと思っていました。そのきっかけとして、ひとつは、かつて担当した特別展「地球再発見」の図録の目次の背景に、ロゼッタストーンの画像を使ったこと。もうひとつは、サイモン・シン著「暗号解読」(ISBN4-1-53902-2 C0098)を読んだときに実物を見てみたいと思っていたものです。
 エジプトなどの古代の文化は、長い時間にわたって継続してきたものです。古代エジプトのヒエログリフは、紀元前3000年以上も前から、紀元4世紀はじめまで使われていました。少なくとも3000年以上にわたって使われてきたわけです。人類がもっと長く使った文字といえます。
 しかし、ヒエログリフは、エジプト人がギリシア文字を使うようになってから、忘れられ、解読できるものもいなくなっていたのです。ヒエログリフの解読によって、古代エジプトの人々の長い歴史が、解明されてきたのです。
 ヒエログリフを通じて、古代エジプト文明の緻密さと精神性の高さが伺えます。たとえば、墓しか彼らは残さなかったのです。それは、「ロゼッタストーン解読」によれば、
「質素な家や宮殿は生きているあいだしか使わないが、墓は『永遠の家』だった。」
からだそうです。
 人類の知的遺産象徴として、ロゼッタストーンやヒエログリフの本物を味わってみたいと思っていました。
 蛇足ですが、私たちが日ごろ使っている漢字。これも3000年以上の歴史があり、なんといっても現役の文字として、しかも、中国、日本だけでなく、東南アジアのいくつもの国々で、文字として、利用されています。私たちはこんな素晴らしい文字を、日々使っているのです。ゆめゆめ忘れずに。