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Essay ▼ 223 汗見川:変成帯の再編
Letter▼ 前半の調査終了・じっくりと


澄んだ汗見川。


澄んだ汗見川。


三波川変成岩(四万十変成岩)。


三波川変成岩(四万十変成岩)。

(2023.07.15)
 三波川変成帯として詳しく調べられている汗見川があります。吉野川の支流なのですが、世界的にも有名なルートになっています。この変成帯の成因には諸説あります。


 6月上旬に四国中央部を横断しました。四国は中央部に山脈が東西に走っているので、山地に平行に横断することになります。行きは瀬戸内海側を自動車道で香川までいき、剣山から山に入り、山脈沿いに西に向かいました。
 いくつか訪れたいところはあったのですが、激しい雨の後だったので、川が増水していたり、道が土砂崩れで通れなかったりと、なかなか厳しい条件での調査となりました。
 今回は、三波川変成帯を見ることが重要な目的のひとつでした。四国の地質構造は東西に並列しています。有名な中央構造線は四国の北側を東西に走っていますが、それと平行に三波川変成帯も走っています。三波川変成帯の地質の変化をみるためには、南北断面で見ていくのが効率的です。吉野川が南北に曲がっているところがありますが、大きな川なので調査がなかなか大変になります。
 汗見川(あせみがわ)は、以前にも来たことがあるのですが、調査を予定していました。汗見川の上流に向かっていったのですが、土砂崩れで作業中だったので、冬の瀬までしかいけませんでした。
 吉野川の支流の汗見川は、南北に流れているのに、川幅も狭いため、効率よく調査ができます。三波川変成帯を調べるために、国内外の地質学者がいろいろなテーマをもって、多数、汗見川で調査を進めていました。詳細な研究がなされ、詳しくわかっているところでもあります。
 汗見川には、重要なポイントに案内板が設置してあり、見学には便利なところです。アプローチの道も整備されています。今では、案内板も道もかなり古くなっており、現在はあまり整備されていないので、分かりにくく、アプローチできないところもありました。
 三波川変成帯は、低温高圧型タイプの変成作用を受けています。この変成作用は、海洋プレートが海溝に沈み込む時に起こったものです。海洋プレートとその上部に堆積した、層状チャートやタービダイト層(砂岩泥岩の互層)が沈み込むと、深さに応じて圧力は上がっていきますが、冷たい岩石は温まりにくいので、低温高圧の変成作用を受けることになります。低温高圧型変成岩は、沈み込み帯があった証拠となります。
 現在の沈み込み帯の岩石は、地下深部にあるので入手できませんが、三波川変成帯では地表で岩石が入手できます。低温高圧型の変成帯は、プレート沈み込み帯での深部の出来事の解明には、重要な地域となります。
 三波川変成岩は、1億4000万から1億3000万年前に形成された岩石が、1億2000万から1億1000万年前に変成作用を受けたと考えられてきました。15年ほど前、岩石の形成年代が、変成作用に強い鉱物(ジルコンと呼ばれるもの)を用いて決定されていきました。するのひとつにされていたが三波川変成帯には、異なった時代に形成された岩石が、異なった年代に変成作用を受けていることがわかってきました。
 1億3000万年前より古い時代に形成された岩石は、1億2000万から1億1000万年前にもっとも高圧状態になっています(もっとも変成度が大きい)。9000万から8000万年前にできた新しい岩石は、7000万から6000万年前に変成作用を受けたことがわかってきました。そして、新しい方の岩石は、四万十帯北帯の岩石と同じ時代にできたことがわかってきました。
 そこから、古い時代のものを狭義の三波川変成帯として、新しいものを四万十変成帯と呼ぶことが提案されました。これまでの三波川変成帯の北半分が新らたに狭義の三波川変成帯となり、南半分は四万十変成帯になります。狭義の三波川変成帯のもとの岩石は時代を考えると、より太平洋側に分布する秩父帯南帯と呼ばれる地層になります。つまり、中央構造線の南側には、狭義の三波川変成帯(原岩は秩父帯南帯)、四万十変成帯(原岩は四万十帯北帯)、御荷鉾(みかぶ)帯、秩父帯南帯、四万十帯北帯という順になっていました。
 その後、2019年には産総研の地質調査総合センターが「本山」地域の地質図幅を刊行しました。この地域には汗見川の南側が入っています。この図幅によると北から、三波川帯(3つのユニットに区分)、御荷鉾帯(2ユニット)、秩帯父帯北帯(3ユニット)と並んでいます。それぞれのユニットは、海溝に堆積した時代が、南ほど古くなり、沈み込み帯で変成作用を受けた時代も古くなることがわかってきました。つまり、若い形成時代の岩石、若い変成年代のものが陸側(北側)にあるということを示しています。
 より詳しい区分と、年代がわかってきました。時代の異なった変成帯の並びが、どのようにしてできたのかを考えていかなくてはなりません。変成帯は、沈み込み帯で形成されていますが、その時期にズレがあります。
 それを説明するために、先の仮説では、大規模に圧縮する力が働いたと考えます。その時代は日本海が開いて、日本列島が大陸から切り離される時です。圧縮によて、沈み込み帯(海溝)の位置が海側にジャンプします。すると、古い沈み込み帯の活動が止まり、その地域の岩石類が縮められ、押し上げられていきます。陸側の古い岩石の上に高圧低温の変成岩が持ち上げて、乗っかってきたと考えています。日本列島での三波川造山運動と四万十造山運動が起こったと考えられています。
 ある地質体が別の地質体の上に逆断層で押し上げられるような作用で、大規模なものはナップと呼ばれています。アルプス山脈やヒマラヤ山脈などの造山帯では起こっていることが知られています。
 後者の仮説では、一連の沈み込み帯の場で、新しい地質体が、古いものの下に押し込まれて付け加わること(底付けと呼ばれています)が起こっていたと考えています。その後の正断層に今の状態になったと考えています。
 いずれの仮説でも、ダイナミックな大地の運動があったと考えられています。
 大雨の後に汗見川にいったのですが、本流の吉野川は増水していましたが、支流の汗見川は水量は多かったですが、澄んでいました。昼食を河原で食べたのですが、心地よかったです。しかし、澄んだ汗見川の周辺の岩石には、沈み込み帯でのダイナミックな営みがあったのです。そんな大地のダイナミクスに思いを馳せていました。


・前半の調査終了・
先日、3泊4日の野外調査では
高知西部の海岸と四万十川沿いにいきました。
各地で大雨で被害がありましたが、
幸い大雨に見舞われることありませんでした。
曇り空が多かったのですが、
調査は進められました。
時折激しいにわか雨と落雷がありましたが、
無事、調査はできました。
ただし、蒸し暑さでぐったりしました。

・じっくりと・
前半の調査は終わりました。
後半は8月下旬からスタートします。
近隣でも、訪れたいのだが
まだいっていないところ、
再訪したいところなどもあります。
7月から8月中旬までは
近隣を日帰りで出かける予定です。
論文の執筆にも集中したいと考えています。
これは、重要な論文となりますので、
たくさんの文献を調べ読みながら
書き進めていくことになります。
ひと月間はじっくりと研究に取り組みます。



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