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Essay ▼ 205 知床岬:段丘と断崖
Letter▼ 繰り返される大雪・大学入学共通テスト


知床岬。


知床岬。


カムイワッカの滝の河口部の滝。


知床岬。


知床の基盤の地層。


海食崖と海食台。


侵食地形。


エゾシカ。


ケイマフリ。


ケイマフリ。


アザラシ。


遠くに見えるヒグマ。


ヒグマの拡大写真。


ヒグマの拡大写真。


ヒグマの拡大写真。


知床岬。


ヒグマの拡大写真。


知床岬。


知床岬。

(2021.12.15)
 秋の洞爺湖にいきました。穏やかの湖面の背後の山には、過去の噴火の跡がいろいろと残っていました。火山の噴火が、洞爺に観光資源をももたらしていいます。火山との共存が必要なのでしょう。

 10月下旬、今年最後の野外調査として、道南にいきました。その目的地のひとつが洞爺湖でした。洞爺湖は、以前にも何度か訪れたことがありましたが、このエッセイで、まだ紹介したことがないことに気づきました。今回は洞爺湖を紹介してきます。
 洞爺湖は、2008年に日本ジオパーク、2009年には世界ジオパークにも認定されています。もともと洞爺湖は、湖やその中にある中島、外輪山からの景観など観光地として見ごたえがあり、加えて温泉街もあり保養地としても有名になています。
 訪れたのは秋の紅葉真っ盛りの頃でした。緊急事態宣言は解除されていましたが、まだコロナの影響がありました。観光客は戻りはじめていましたが、施設が閉館のところもありました。私が一番訪れたかった施設が三松記念館でしたが、閉館していたので残念でした。
 洞爺湖では、有珠山が活火山として強く印象に残っています。有珠山の最初の記憶は、1977年から1978にかけての噴火です。ちょうどその時期は大学生で、1978年夏に地質学を専攻とすることが決まったばかりでした。学科全体が騒然としていましたが、特に火山専攻の研究室や所属している大学院生などは、総出で有珠山への対応がなされていました。
 後に指導教員になる先生たちが中心となり、噴火への対応をされました。教授は、連日テレビに出て噴火状況を説明されていて、助手(現在の助教の職種)の先生も手伝いが、大学と有珠山を頻繁に往復されていました。助手の先生は、噴火の激しい時に、近くにいたため、自家用車が火山弾でボコボコになって買い替えたとのことです。
 1979年には、火山学の研究室に配属が決定し、助手の先生のもとで卒業論文を作成することになりました。研究テーマは、火山学ではあるのですが、大昔の海底で噴火した火山が対象となりましたが。
 次の2000年の噴火には、神奈川に住んでいたのですが、学会発表で札幌にいくために、家族同伴ででかけました。有珠山の噴火がみたかったので、洞爺湖に向かいました。激しい噴火で噴煙を上げている有珠山を見ました。子どもたちもまだ小さかったので覚えていませんが、私には強く印象に残っています。2003年には家族で噴火のおさまった有珠山に、ロープウェイで登りました。2002年には現在の大学に転職することは、2000年の噴火当時は、知るよしもありませんでした。
 洞爺湖の南側の湖畔は観光地なので設備も整っており、ジオパークにもなっているので、地質の案内も充実しています。ジオパークガイドも出版(全8巻)されているので、それを片手に観光名所とともに地質の見どころも回ることができます。
 有珠山の噴火では何度も溶岩ドームができる噴火がおこっています。有珠山の活動前には、違いう種類のマグマや火山活動が起こっており、非常に激しい噴火も起こっています。噴火の歴史をみておきましょう。
 11万年前(11.2万から11.5万年前)、洞爺湖は、大規模な火砕流を伴った流紋岩質マグマの噴火がおこりました。その時、直径約10km、水深最大179mの洞爺カルデラが形成されました。
 約5万年前、カルデラの中に火山活動が起こり中島が形成されました。中島は安山岩質マグマの活動で、主に3つのドームからなっていますが、水面下や小さな島として、合計11個のドームからできています。
 約2万年前からは、有珠山での火山活動がはじまります。玄武岩質マグマによる成層火山と周辺のドームなどから活動を開始し、その後も繰り返し噴火をしています。7000年前から8000年前には、山頂部が有珠湾側へ崩壊し(山体崩壊といいます)、麓に岩屑なだれが起こりました。その時、含まれていた大きな岩塊で、でこぼこした地形(流山地形といいます)が形成されました。
 いったん活動はおさまったのですが、1663年からは再度、火山活動が起こります。350年間で8回の噴火が起こっています。それが1977-1978年と2000年の噴火へとつながっています。いずれもデイサイト質から流紋岩質のマグマの活動で噴火して、溶岩ドームを形成しています。
 1977-1978年の噴火では、山頂から4回の噴火が起こり、火山灰が広く道内で降りました。この時、札幌に住んでいたのですが、雨まじりの火山灰が降ったのを覚えています。噴火で発生した泥流や火山灰、断層などで、洞爺湖周辺の大きな被害がでました。
 2000年は、噴火予測情報が出され、衆人環視のもと、噴火が起こりました。4日前の前兆現象(火山性地震)が多発したことで、火山噴火の予測がなされました。メディアが注目する中、噴火が起こりました。2000年の噴火予知とそれに基づいた避難が成功した世界でも稀な例となりました。その予知は、1977-1978年の噴火の経験が活かされた結果です。
 住民の事前避難がおこなわれました。家屋や施設には大きな被害がでましたが、直接の噴火による死傷者はでませんでした。火山学の成功した例となりました。
 さて、訪れた10月末の洞爺湖は、快晴でした。湖の周回道路を車で走りました。紅葉の赤や黄色、湖畔のキラメキ、青空の青、外輪山の向こうには白く冠雪した羊蹄山も見えます。絶好の調査日和でした。しかし、洞爺湖温泉の後ろの山麓を巡ると、噴火によって破壊された家屋、断層でずたずたにされた旧国道と交差点にできた池など、噴火の激しさを記録して残したジオパークの見学ポイントも設けられていました。
 洞爺湖は活火山と温泉と観光が密接し、共存しているところです。紅葉とドームの姿も、その地質学背景の現象を考えると、不思議な景観にみえてきます。


Letter▼ 師走の冷え込みと雪・4年生

・師走の冷え込みと雪・
師走となりました。
放射冷却で冷え込みもあり
一面が真っ白の霜が下りること度々ありました。
先日も大荒れという予報でしたが、
わが町では少しの積雪で済みました。
何度もの積雪もあり、冬に入りました。
そろそろ根雪も近いのかもしれません。

・4年生・
4年生は12月の上旬になんとか卒業研究の提出も終わり、
あとは報告会の準備へと移りました。
今年卒業の4年生のために、学位記授与式が準備されています。
今年度こそは、無事開催されることを願っています。
一昨年は個別にばらばらに学位記を取りに来るだけでしたが、
昨年度は、学科ごとに集まって学位記を渡すことができました。
いずれも全学的な集まりはありませんでした。
今年は、例年のようにホールに集まり式典がおこなわれる予定です。
しかし、祝賀会などの飲食は中止です。
学科の式のあと、少し話すだけの時間はとれそうですが、
少々さみしい学位記授与式となりそうです。
でも、一昨年の比べるとよくなっています。
卒業する学生と保護者の方々にとって
学位記授与式は一期一会の機会です。
例年のように華やかに送り出せないので残念です。



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