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Essay ▼ 201 襟裳岬:礫岩の多様な不思議
Letter▼ 緊急事態宣言継続中・教育実習


襟裳岬周辺の地質。赤が日高変遷岩類。西北西−東南東の断層で南には分布しない。淡いオレンジが礫岩層を含む襟裳層。


襟裳岬側からみた黄金道路。点々と日高変成岩がでている。


襟裳岬の礫岩と間に挟まる泥岩層。


襟裳岬の礫岩。


襟裳岬の先端まで点々と礫岩が続く。


襟裳岬の礫岩。


襟裳岬の大きな岩塊。礫も見えるが、変形による構造が顕著になっている。


襟裳岬の先端から見た黄金道路。

(2021.09.15)
 このエッセイでは、襟裳岬の紹介は何度がおこなってきました。何度でも訪れたくなるような魅力が、襟裳岬にはあります。初夏の海岸でみた礫岩には、化石が見つかっているのですが、化石が示す時代には食い違いあります。

 前回紹介したように、7月の中旬に、十勝から襟裳岬を周り、様似、静内へと調査をしました。今回は襟裳岬を紹介します。
 広尾から西側の海岸に抜けるには、236号線で浦河に抜けることができます。時間があれば、襟裳岬を周り、襟裳岬の先端を訪れます。襟裳岬は観光地なので、大きな駐車場があり、「風の館」や土産物屋さんもあります。灯台の近くで岬を眺められる展望台や、さらに海に近いところまで降りる遊歩道もあります。しかし、博物館も土産物屋さん何度もいっているので、最近では寄ることはありません。ただ、トイレを使うために寄ることはありますが。
 襟裳岬の先端は、点々と岩礁が並び、岬が急激に海に没していくことが感じることができます。襟裳岬は、日高山脈の南延長に当たります。ですから、日高山脈が海に没していることになるはずです。その先の海底には、日本海溝があり、そして海溝が曲がる屈曲点になっています。地質学的にも、重要な位置にあることになります。
 遊歩道を下っていく途中から、コースをはずれて、海岸まで降りていく漁師さんたちの道がります。その先には、漁や昆布をとったりするための舟をもやう、小さな入り江があります。そこが襟裳岬の先端に当たります。崖になっており、地層が出ています。
 この地層が、なかなか面白いものです。さまざまなサイズ、さまざまな種類の礫を含んだ地層がでています。礫岩の礫が断層で切れているところも見られます。礫岩自体の不思議さもさることながら、礫岩からできた岩礁が、海向かって転々と続き、やがて海に消えてきます。いかにも、海底に向かってこの礫岩層が続いているように見える不思議な景観もあります。さらに不思議さはあります。
 本来なら、日高山脈の中核をなす、日高変成岩や日高累層群がでているべきところなのですが、礫岩が目立つ厚い地層になっています。このような礫岩は日高累層群にはみられません。ですから、上で述べた、日高山脈が続いている地形ではあるのですが、地層が続いているわけではなさそうです。地質図をみると、日高変成岩は、庶野までしか確認できず、西北西から東南東に延びる断層があるようなので、そこで途絶えているようです。襟裳岬は、北海道の脊梁山脈の形成、またその複雑な地質構造と地質学史も関係していくる重要な現場となりそうです。
 この崖の礫岩をみると、細粒の泥岩の部分を挟んでいるところがあります。海岸際には、礫岩の泥岩の互層が激しく変形した地層も見られます。しかしなんといっても、大きな礫が多数入っているのが特徴となります。礫としては、花崗岩の大きな礫が目立ちます。他にも黒色泥岩や緑色の火山岩(玄武岩)、赤色チャートの礫なども見えます。花崗岩以外は、沈み込み帯で形成される付加体と呼ばれる地質体の構成物からなります。また大きな花崗岩礫は日高変成岩類の構成物が混じっていることになります。
 この礫岩層は、襟裳層と呼ばれる地層の下位に当たります。地層の中から見つかった貝化石の年代から新第三紀の中期中新世と考えられていました。しかし、礫岩の間にある泥岩の中から化石(渦鞭毛藻とよばれる化石群)が見つかったことから、古第三紀の後期漸新世(2782万年前から2303万年前)であることがわかってきました。
 同じ化石による年代決定ですが、異なった時代を示すのは、化石の年代
が間違っているのではなく、化石を含んだ地層のできかたに由来するはずです。
 論文を見ると、貝化石は、団塊(ノジュールと呼ばれるもので)状の部分と泥質(基質と呼ばれます)から出ているものがあります。団塊は円摩された形(堆積作用を受けた)から、礫として入ったのではないかと著者は考えられています。また、基質の中から見つかった化石にも、円摩されているものもあると書かれています。ですから、これは団塊と同じ礫としての起源と考えられます。しかし、基質の中には、現地性と考えられる形状をもった化石もありました。それも同じ中新世の年代を示しました。
 さらに、礫岩より下の地層になる砂岩層からも、貝化石がでています。ここでも団塊からも砂岩からもでていますが、数も少なく、産地も2箇所だけからしか見つかっていません。しかし、この砂岩層の化石と、礫岩層の化石の時代は同じなので、両地層とも中新世に堆積したと考えられました。
 礫岩の砂岩中の団塊などとして見つかる大型の化石は、地層と同時代に生きていた生物なのか、それとも別のところからもたらされたものなのか、見極めていかなければなりません。もしかしたら礫として、別の時代の地層から由来していることになります。その礫は、地層が堆積するより前の時代のものになるはずです。ですから、もし礫が中新世の時代なら、礫岩層は、もっと新しい時代となるはずです。判別するまでは、取り扱いには注意が必要です。
 一方、礫岩中の泥岩から見つかった化石は、渦鞭毛藻と呼ばれる小さなプランクトンの化石(微化石と呼ばれます)でした。泥岩の中から見つかった微化石ですので、泥と同時に溜まったと考えられます。プランクトンが生きていた時代が、地層の形成年代となります。細粒の堆積物中の微化石は、より正確に地層ができた時代を表していると考えられます。
 浦河から襟裳周辺には、礫岩を含む似た地層も見つかっており、そこから珪藻という微化石も見つかっており、それは中新世という年代だという報告もあります。微化石が地層形成の時代を示すとすると、礫岩の堆積には2つの時期があったことになります。
 そうなると、少々不可解なことが起こります。もし微化石の年代が礫岩の堆積した時代だとすると、その中の貝化石から決められた礫の時代は、それより古い時代となるはずです。しかし、貝化石の年代は新しいことになります。この矛盾をどう解決すればいいのでしょうか。まだ解明されていないようです。
 その礫岩や変形を受けた岩石が、海に向かって点々と続く岩礁も礫岩でできている景観も、日高変成岩類や日高累層群が消えている不思議です。さらに、襟裳岬先端の礫岩は、その地層自体のできた時代の未解決問題もあります。地質学の学問的な不思議さは、まだこれからのようです。


Letter▼ 緊急事態宣言継続中・教育実習

・緊急事態宣言継続中・
北海道は9月12日まで緊急事態宣言でした。
その間大学は夏休み中でもあり、
コロナ対策をしているので、
緊急事態宣言前の危機管理レベルを維持していました。
しかし、緊急事態宣言が9月一杯まで延長されので、
その間、大学では講義がはじまる9月下旬から
10月の最初の1週までの2週間
危機管理レベルが上がることになりました。
それに伴って大学の講義は
すべて遠隔授業に切り替えられます。
大学の職域接種がやっと始まったのですが、
まだしばらく自粛が続きそうです。

・教育実習・
教育実習が継続中の学生がいます。
その学生たちは研究授業をするのですが、
研究授業を指導教員が、
その学校で見学し指導できるかどうかは、
学校独自の判断となります。
担当する学生の一人では中止となり、
もう一人は実施することになっています。
今週、緊急事態宣言の中での出張となります。
その続きに、調査出張も許可がでているので
おこなうことになりました。
そのため、このメールマガジンは事前に予約送信となります。



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