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Essay ▼ 200 十勝川河口:異質の会合点
Letter▼ 十勝平野・重点措置


十勝川河口。海側には霧が覆っている。


ハルニレ。


2つのハルニレ。


十勝平野から眺めた日高山脈のパノラマ。


十勝川の流域と北海道の東半分の地形。


十勝川中流から下流の地形。


上と同じ範囲の地下開度の地形解析図。


上と同じ範囲の地上開度の地形解析図。


上と同じ範囲の傾斜量の地形解析図。

(2021.08.15)
 今回は、久しぶりで野外調査に出たので、その話題になります。とはいっても、道内の調査ですが。今回は、以前にも訪れているところです。十勝川の河口付近は、異なったものが会合する場になっているようです。

 大学の危機管理レベルの緩和と申請時間から、野外調査に出かけられたのは、2021年7月の3週目の週末でした。札幌は、まん延防止等重点措置が解除される直前でした。十勝から襟裳岬をまわって、様似から新冠を通って戻るコースでした。久しぶりの野外調査になり、野外で空気を胸一杯吸うことができました。
 今回は十勝川の河口から眺めた地形の紹介しましょう。
 十勝平野の主流河川は十勝川です。十勝川は、大雪山の十勝岳(2077m)を源流とし、大雪山の東から十勝平野に出て、豊頃町大津で太平洋に流れ込みます。
 十勝岳は活火山で、大雪山全体も火山が集合した大きな山塊です。北海道の東側では、十勝平野が特徴的ですが、十勝川はその平野を生み出すために重要な河川となっています。
 平野を流れた十勝川は、河口に向かいます。十勝平野の出口のように見えますが、実は海側は丘陵で蓋をされたような地形になっています。十勝川は、その隙間を縫って海に注ぎこんでいます。河口の川と海の会合の場です。
 道東自動車道を池田で降りて、十勝川の河口に向かいました。その途中に大きなハルニレの木を見学しましたが、そこは大きな河川の河川敷で、牧草地になっていました。ハルニレの背景には、なだらかな丘陵が見えました。十勝川の河口は、かなり前にも一度訪れているのですが、あまり記憶が定かではありません。ただ、広い河口の景観だけが印象に残っています。
 ハルニレの木がある所は、河川内の牧草地でしたが、背景に見えたのは豊頃(とよころ)丘陵です。反対側には白糠(しらぬか)丘陵も見えます。ハルニレの木は、豊頃丘陵と白糠丘陵に挟まれたところに位置します。十勝平野は広い平坦地ですが、河口付近は丘陵に挟まれています。丘陵は侵食で緩やか地形になっていますが、十勝川は合間を抜けて河口に向かいします。
 十勝の歴史を少しみましょう。アイヌ民族は、北方から北海道に渡ってきて、十勝川のほとりでも暮らしていたことが、遺跡の発掘でわかっているようです。十勝は、長らくアイヌの暮らすところでした。北海道への和人による進出は、大きな河口からはじまりました。大津は、和人の十勝への入り口となっていたようで、「十勝発祥之地」と書かれた碑がありました。
 和人はアイヌとの交易のため入ってきて、商場として「トカチ場所」が開かれていたそうです。河口のある豊頃町の大津には、1799(寛政11)年から漁業のための番屋が置かれていました。さらに、漁業だけでなく、7頭の駅馬を備えた交易のための施設もできました。十勝川河口の大津は、アイヌと和人の会合した場となっていました。
 江戸時代の1858(安政5)年に、松浦武四郎が狩勝峠を越え、十勝川とその流域の風土や生活などを「十勝日誌」にて著したことでで、十勝は注目を浴びることになりました。
 明治2年(1869年)には「十勝国」ができ、多数の入植者がきたのですが、その時、この大津が、入植だけでなく、行政の中心ともなっていたようです。大津は、明治20年前後はニシン漁が盛んとなったことで栄え、その後は開拓のための入植者の受け入れたのために、函館から大津までの定期航路や内陸への交通網なども整備されていきました。本州から十勝内陸への中継地、会合の場ともなっていました。
 次に、十勝川を広域的、鳥瞰に見てみましょう。十勝川に流れ込む支流として、札内川(82km)や利別川(150km)、音更川(94km)、浦幌川(90km)などもあり、その流域面積も9010平方kmにもなります。この広さは、北海道では石狩川に次いで2番目となっています。北海道を代表する河川です。
 北海道の中央から東側の地形をみると、中央部には日高山脈が南北に走り、脊梁となっています。ただし、その中央には大雪山の巨大が火山群があります。十勝川は火山のひとつ十勝岳を源流としていました。
 北海道の東側では、北東ー南西に伸びる山並みが、白糠丘陵、知床半島、さらに国後島、択捉島・・・と連続しています。しかし、それらの幾筋か山並みは、連続せず、なおかつ位置も少しずつずれています。このような並び方は、雁行状といいます。このような地形は、太平洋プレートの沈み込みが、北海道に対して斜めになっているため、その時かかる力が斜めの圧縮になるために形成されます。
 ところが、中央の脊梁、日高山脈は南北に伸びて、東側の山並みとは方向が異なります。これは、日高山脈のできかたが、過去のプレート境界で、ユーラシアプレートと北米プレートの衝突によって、めくれ上がってできたものだからです。それは雁行状の地形形成より、古い時代のできごとです。ですから、東側の山並みのでき方が異なっているのです。ただしよく見ると、日高山脈の南側は、南東に折れ曲がっています。雁行状地形に直行していますが、これは古い地形が新しい地形をつくる運動によって曲げられたと考えられます。したがって、十勝川の河口は、異なった時代の会合するところでもあります。
 十勝平野には、日高山脈から流れ込む、もうひとつの大きな河川である歴舟川があるのですが、それは過去の衝突帯である日高山脈系の河川です。東側の釧路川は、雁行状の山並みから由来している河川です。
 十勝川は、十勝岳という新しい火山を源流とします。日高山脈からくる美生川(びせいがわ)と札内川(さつないがわ)が、十勝平野で合流します。雁行状の地形である白糠丘陵の最奥部を流れてくる利別川と、河口付近では浦幌川が合流します。もっとも西にある雁行状地形の豊頃丘陵の北を通り抜ける猿別川が十勝平野で合流し、また丘陵内の小さな河川は河口付近の谷で合流します。起源の異なった山脈、丘陵から流れて、本流の十勝川に合流します。十勝川の河口には、由来に異なる大地を流れる河川が会合している場なのです。
 十勝川の河口は、海からの霧が流れ込んでいました。そのおかげで、非常に暑い日でしたが、涼しい空気に触れてホッとできました。陸側は晴れていましたので、山脈は丘陵を眺めることができました。海からの霧の冷ややかさと快晴の陸地の暑さの会合するところに、久しぶりの野外調査を味わっていました。


Letter▼ 十勝平野・重点措置

・十勝平野・
十勝平野は広いので、
海に向かって広がっているように思えますが
中流域に広がる内陸盆地です。
海側には緩やかですが、
丘陵地帯が続いています。
その成因は本エッセイで示したものです。
十勝平野は広大な耕作地があり、
農業生産でも重要な土地になっています。
西側に日高山脈や大雪山があるので、
フェーン現象が起こりやすくなります。
そのため内陸ので、
夏の暑さ、冬の寒さなどが厳しくなります。

・重点措置・
8月になって札幌にはまん延防止等重点措置が発令され
わが町にも14日から重点措置がでました。
感染者数が増えているので
しかたがない措置でしょう。
その原因にオリンピックの開催や
市民の危機感の希薄化など、
長引くコロナ対策に疲れなどがありそうです。
公的機関や大学は、
政府や行政の指示に従わなくてはなりません。
そのため、厳しい状態が継続しています。
学生へのしわ寄せが、1年半も続いています。
ワクチン接種も遅れているようで、
なかなかコロナ禍が終わりません。



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