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Essay ▼ 187 澄江:なだらかな丘陵からのSSF
Letter▼ 梅雨前線・行政執行


澄江動物化石群の碑。


化石が出る露頭。


化石が出る露頭。 。


化石が出る露頭。


化石が出る露頭。


リン鉱石の採掘地。


リン鉱石の採掘地。


南京大学の研究所。


南京大学の研究所。


撫仙湖。


撫仙湖畔のホテル。

(2020.07.15)
 今回は常春の街、昆明の近くの澄江(チェンジャン)の紹介です。澄江は、中国南部の雲南省の省都の昆明から南東にある町です。ここは古い時代の化石がでることで有名になったところです。

 新型コロナウイルスのため、まだどこにも出かけられません。3月以降、わが町を一歩も出ていません。基本的に自宅と大学の往復だけを日々繰り返しています。8月初めの校務(近隣市町村)での出張が最初の越境になりそうです。8月下旬にも校務出張があるので、その以降は道内の野外調査に出たいと考えています。今回も新しい話題が提供できないので、昔の海外調査を紹介しましょう。
 もう20年も前になりますが、2000年10月下旬に中国の澄江(チェンジャン)にいったときの様子を紹介します。Google Mapでみると、私がでかけた当時とは、かなり様変わりしているようです。そのため、以下の紹介は、当時の記憶と記録で紹介していきます。もしかすると記憶違いもあるかもしれません。ご了承ください。
 当時、私は研究テーマとして、大きな時代の境界、とくに原生代(エディアカラ紀、かつてはベント紀と呼ばれていました)と顕生代(カンブリア紀)の境界(V-C境界とも)が、どのような露頭で見られるのかを目的としていました。そのため、他にもカナダのバージェス、オーストラリアのエディアカラ、カナダのニューファンドランドのフォーチュン・ヘッドなどの露頭を見ては、比較していました。重要な露頭を観察することが一番の目的でした。当時、化石の産地や産状には興味がありましたが、化石や試料には執着はありませんでした。この傾向は今も継続しています。
 さて、中国、雲南省昆明の空港から車で2時間ほどいくと、撫仙(フーシエン)湖にたどり着きます。風光明媚なところで、小さいですが小綺麗なホテルが1軒あって、そこに泊まりました。Google Mapでは、現在、大きなホテルや都市化が進んだ町並みができているようです。
 翌日、北の山の方のなだらかな丘陵地帯に出かけました。丘陵の中のにある小さな崖が目的地でした。ここは、古い時代の化石がでることで有名になっており「澄江化石群」と呼ばれていました。この産地が、どのようなところかが、気になっていました。
 澄江へは、日本発で地質関係者向けの調査旅行があり、それに参加していきました。北京大学の地質先生が案内についてくださったので、一人ではなかなか入れないとろも見ることができました。
 澄江の帽天山周辺からは、20世紀初頭にはすでに軟体部をもった動物の化石の産地として報告されてました。しかし、注目されることはありませんでした。1984年に化石の軟体部が発見され、その量の多さと多様さで注目を浴びるようになりました。1990年ころまでに、次々と新たな化石の報告がされてきました。澄江化石群として、新種も多数見つかり、196種が記載され、多様性も多くの分類群に渡っていることもわかってきました。
 澄江が注目されているのは、カンブリア紀初期(5億3000年前こと)の化石がたくさん出るからです。一般に生物の多様な化石が出現するのは、カンブリア紀以降の顕生代と呼ばれる時代です。カンブリア紀は5億4100万年前からはじまるのですが、その直前から生物出現の兆しがあります。エディアカラ紀の化石は、いくつかの地域で見つかっていて「エディアカラ化石群」と呼ばれています。
 カンブリア紀初期になると、急激に多様な生物が大量に見つかることがわかってきました。古生物学者のシンプソン(G. G. Simpson)はそのような現象を「爆発(explosion)」と表現したことから、「カンブリアの大爆発」と呼ばれるようになりました。また、著名な古生物学者のグールド(S. J. Gould)が「ワンダフル・ライフ」という科学普及書で紹介したことから、「カンブリアの大爆発」という現象が、一気に有名になりました。最近では中国内でもいくつかの地域でカンブリア紀の化石が見つかってきましたが、当時、一番注目されているのが、澄江でした。
 丘陵地帯の道路を進むと、門があり、さらに進むと小さな露頭がありました。その小さなが露頭が、澄江化石群の産地だと紹介されました。そこに麦わら帽子をかぶり、竹の棒をもったおばさんが一人ポツンと立っていました。聞くとことによると、このおばさんは化石の出る露頭の盗掘を監視するために立っているとのことです。まったく人が来そうもないところですが、案内の方がそう説明されました。当時、中国では世界遺産として澄江を登録をする準備をしていたのでしょうが、ひとを雇って露頭を守っているというのには驚きました。
 案内の先生は、露頭からは試料は取れないが、落ちている石は保護対象ではないので採取可能だといったので、同行者たちはたくさん試料を拾っていました。専門の研究者が、すでに化石は採取しているので、ほとんど化石はなさそうでした。博物館用(当時は博物館に勤務していました)に、典型的な試料をひとつ採取しただけでした。
 露頭見学後、その道をさらに進むと、南京大学の研究所支所がありました。研究者用の宿舎もそなえた立派な研究施設が、丘陵の真ん中にぽつんとありました。そこで在住の研究者に会って話を聞きました。一通り話を聞いたあと、お土産にといって、好きな資料をお持ちくださいと試料がぎっしりつまったダンボールを出されました。いい化石の入ったものはありませんでしたが、化石の破片が見える試料も多数ありました。他の同行者は、喜んでその化石をもらっていきました。私はあまり興味がなかったので、博物館用に少しだけにしました。
 さて、露頭から丘陵側をみると、山を削って岩石を採取してトラックで運んでいるのが見えました。案内の人に聞いたら、この周辺にはリン鉱床があり、肥料として使うので採取しているとのことでした。リンは同時代のリン酸を殻としてもっている化石の集まりだとのことで、重要な化石の産地が消えていると嘆いておられました。
 この化石は、貝殻としては小さもの(small shelly fossils)でした。カンブリア紀のはじまりは、当時の貝殻の素材には、炭酸塩、リン酸塩、二酸化ケイ素が使われていました。ただし、必ずしも殻として体を守るためにではなく、体の一部となっているものもあるようです。
 現在多くの生物は、殻を炭酸カルシウム、あるいは二酸化ケイ素でつくっています。それは海洋生物にとっては手軽に入手できる素材だからです。カルシウムやケイ素は、大陸の侵食、風化があり、河川から定常的に海に供給されています。大気中の二酸化炭素や酸素は海水に溶けこみます。いずれも常に一定量海水にあります。現在の生物は、簡単に手に入る材料で殻を作っていることになります。
 ところが、カンブリア紀の生物には、リン酸という稀な成分で殻を形成していました。なぜでしょうか。リンはDNAには不可欠な成分です。それを確保するためであったものが、殻や体を支える骨格として利用されていったのではないでしょうか。その理由については、まだ解明されていないようです。
 帽天山周辺の地区は、当時、雲南省澄江国家地質公園という名称でジオパークに指定され、世界遺産に登録する手続き入ったところでした。2008年にはリンの採掘は禁止されたとのことです。14箇所もあった採掘場所がすべて閉鎖されました。土地をもとにもどす修復プロセスもおこなっているようです。
 澄江の露頭を見て、国際的なジオパークや世界遺産などへの登録を通じて、中国でも自然保護の意識が芽生えたことは重要でしょう。現在どうなっているか知りたいものですが、行けるのでしょうかね。


Letter▼ 梅雨前線・行政執行

・梅雨前線・
活発な梅雨前線の影響で、
日本各地で大雨となっています。
非常に長い期間つづくので大変です。
特に、九州を中心に洪水被害が各所でています。
被災された方にはお見舞い申し上げます。
北海道は幸い今のところ、大雨にはなっていません。
このような大きな被害の時は、
政府の支援や自衛隊の救援も必要ですが
人手も必要なのでボランティア活動も重要です。
しかし、新型コロナウイルスの危険性もあり、
気軽には呼べばない事態にもなっています。
悪い事態が重なってしまいました。
一日も早い回復を願っています。

・行政執行・
中国の自然保護の意識はどの程度でしょうか。
以前は、住民への保証はほとんどなく
強制的に強引に開発を進めているとも聞いていました。
澄江のリン鉱の採掘業者への保証は
どうなっていたのでしょうか。
他国のことながら気になります。
日本なら、たとえ行政執行をしたとしても
それなりの保証はあるかと思いますが。



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