もどる


画像をクリックすると大型の画像が見ることができます。
ただし、大きなファイルの場合がありますので注意ください。

Essay ▼ 184 石見畳ヶ浦:大地のずれ
Letter▼ 調査中止・自粛ストレス


礫岩の地層中にでた海蝕洞。


千畳敷。何列かのノジュールと節理の筋が見える。


ノジュールがきれいに並んでいる。


礫岩の地層がノッチとして残っている。


礫岩の地層と上に少し砂岩の地層が見える。


ノジュールの中の化石の集合。貝化石が多数見える。


化石が集まっている化石床。


炭化した木の化石。


海蝕洞だが、もともと断層。左側が礫岩で右側が砂岩となっている。断層で右側の地層が落ち込んだ。

(2020.04.15)
 現在の島根県西部には、石見とついて地名や建物、店などがあります。石見は古い地名です。石見の小さな町の外れにある海岸。そこには大地のダイナミックな歴史が残されていました。

 山陰の石見(いわみ)は、昔の呼び名ですが、現在の島根県西部に当たります。石見は、東から大田、江津、浜田、益田が主な町として、日本海側に連なっています。山陰地方は、北側が日本海に、南側は中国山地に続く山並みが海岸近くまで迫っているところが多くなっています。そのため、町も海岸に点々とあります。石見の日本海側に面した町の多くは、河川によってできた小さな沖積平野や山沿いにつくられています。
 石見といえば、世界遺産となっている石見銀山が有名です。以前にも、エッセイ「180 石見銀山:暮らしの中の世界遺産」(2019.12.15)で紹介しました。石見銀山は、東の大田市に位置しています。
 今回紹介する浜田は、石見でも西に位置しています。浜田もいくつかの地区に市街地が別れています。浜田市の中心街は、浜田川の河口付近や山地を削って拓かれています。そこから北東にある下府(しもこう)は、下府川の河口の小さな沖積平野に拓かれた町です。町の周辺は、侵食の進んだ山地になっています。
 今回、紹介する石見畳ヶ浦は、浜田市下府の町の北はずにあります。畳ヶ浦へは、昨年の秋に訪れました。行きには浜田の山の方でアルカリ火山岩を見るために登ったのですが、大雨のために諦めました。帰りに浜田を通ったときは、旅行日程の内、唯一とっていいほどの数少ない晴れ間でした。
 畳ヶ浦は、平坦な岩が海岸沿いに広がっているところで、国指定の天然記念物となっています。いくつかの地質学的特徴があるための指定なのですが、そのひとつに、浜田地震によって海岸隆起が起こった地形で天然記念物の指定の理由として、「有史後ノ隆起海床トシテ模範的ノモノナリ」とされています。
 浜田地震は、1872(明治5)年3月14日の夕方、浜田を中心にマグネチュード7.1と推定される地震が発生しました。それまで畳ヶ浦は馬の背と呼ばれる山地から延びた尾根の部分が、海岸に少し顔を出してる程度でした。この地震により、国分(こくぶ)海岸一帯が、1.5mほど上昇しました。その結果、畳ヶ浦が現在の姿になりました。
 ただし、地震の上昇に関して疑問も提示されています。その理由は、1845年頃の作成されたとされている江戸時代(1845年ころ)の沿岸絵図に、明治5年に隆起して現れたとされる地形が、すでに描かれているということです。もしこの絵図の制作年が正しければ、地震により突然現れたのではなく、以前から干潮のときに見えていて、地震によって完全に陸化したことになります。ですから、地震で一気に1.5mも上昇したというのは、大きすぎる値だったかもしれません。
 上昇の原因や時期はさておき、畳ヶ浦には、海岸での隆起地形があります。波によって平らに侵食された平坦な波食棚(波食台、海食ベンチとも呼ばれます)が広がっています。その広い波食棚を千畳敷と呼んでいます。海岸沿いには、波食棚だけでなく、海食崖や波食窪、波食溝など、海での侵食地形を観察するには適しています。海食崖には礫岩層と砂岩層の地層がよく見られます。
 畳ヶ浦で海食地形ができているのは、波で削れられるほどの柔らかい地層であるためです。畳ヶ浦周辺の地層は、1500万年前ころ(中新世中期)にたまったもので、唐鐘(とうがね)層と呼ばれています。地層の下位に大きな礫を含む礫岩層があり、その上位が砂岩層になっています。このような地層の配列は、陸に近いところで礫岩が堆積した後、沈降して沖合の海になり砂岩はたまったと考えられます。
 また、地層から産出する化石の特徴から、海の環境であることが推定されています。化石には貝類が40種ほど見つかっており、その大部分が暖流の影響を受けた熱帯から亜熱帯の気候に棲んでいたものだったことがわかっています。他の化石として、クジラの骨、フナクイムシの巣穴、木などが見つかっています。
 千畳敷の地層には割れ目が発達していて、ある地層の中に丸い石が連なっているのが観察できます。その丸い石の並びは、11列あるそうです。このような丸い石は、ノジュール(団塊)と呼ばれています。化石の多く集まっているとこでは、化石の成分から滲み出た石灰分(炭酸カルシウム)が周りの砂岩を固めて丸くなりました。ノジュールは、石灰分が多く含まれているため、周りより固くなっているます。固いため、周りが侵食されても残ったと考えられています。そのため、ノジュールの中に、化石が多数集まっているのが観察できます。
 畳ヶ浦の後ろには、「馬の背」と呼ばれる山が迫っているのですが、見ると崖がいくつか見えます。その崖では、本来であれば礫岩層がつながっているべきところに、砂岩層が見ます。もともと礫岩の上に砂岩が重なっているのですが、海側の砂岩側の崖が下がっていることになります。その間には、くぼんだ谷が見えます。これは、断層によって地層がずれて、その断層のところが谷になっていと考えられています。この断層の形成は、明治の海岸上昇よりずっと前の出来事になります。畳ヶ浦の地層には、他にも断層がいくつか見ることができます。
 畳ヶ浦周辺は、地域の人たちの散歩や魚釣などのレジャーの場となっているようで、多くの人が歩いていました。気軽に来れる散策コースですが、地質も見どころもいろいろあります。なかなか見ごたえがある海岸でした。


Letter▼ 調査中止・自粛ストレス

・調査中止・
ゴールデンウィークに予定していた調査日程が、
大学の方針で中止になりました。
また、5月中の実習指導の出張と兼ねて
周辺地域への調査へ行く予定を組んでいたのですが、
それも5月なのでキャンセルとなります。
すべての予定が変更となってきました。
世界的な疫病ですから、自粛は仕方がありません。
このエッセイのネタも、
新しいものが仕入れられなくなります。

・自粛ストレス・
自粛が多くの人にストレスをもたらしていると思います。
私は通勤時の歩行で運動ができています。
また、大学の研究室には人があまりこないので
隔離状態で研究ができます。
いつものように淡々と研究すればいいとなります。
またテレワークはできません。
関係資料やデータが研究室においているため、
自宅では本格的な研究は難しくなります。
本来であれば、この時期は、
新学期の授業に忙殺されているはずなのですが、
4月中は大学の講義は休講です。
5月から再開しますが、
5月中はWEB講義をおこなうことになります。
どう講義をすればいいのかわからず、
教員は右往左往しています。
6月以降については通常講義になるはずですが、
まだ未確定となっています。



もどる