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Essay▼ 117 錯綜する歴史:四万十川河口
Letter▼ 残る清流・弱線


霞む四万十川下流の川面。 右奥に河口がある。


四万十川下流の川上流側を眺める。


四万十川河口を左岸の丘から眺めた。コンクリートの護岸mが目立つ。


四万十川河口から四万十市の5万分の1地形図。


上と同じ範囲の10mメッシュによる地形図。


上と同じ範囲の地質図。


上と同じ範囲のLandsat衛星画像。


上と同じ範囲の1974年の航空写真。


上と同じ範囲の地形解析の地上開度図。


上と同じ範囲の地形解析の地下開度図。


上と同じ範囲の地形解析の傾斜量図。


朝霧に霞む四万十川の下流域(パノラマ合成写真)。


四万十川の河口域(パノラマ合成写真)。

(2014.09.15)
  四万十川の河口は、中流から下流域とは明らかに様相が違っています。中流から下流域は通常は穏やかな流れがみられます。河口は海との接合点で激しさが常駐しています。四万十川の河口付近には、川と海、そして大地と地形という自然と人の営みが複雑にからみ合ってあっていました。


Essay▼117 錯綜する歴史:四万十川河口

 9月の上旬、高知県西部の調査に1週間でかけました。最近は忙しくて、なかなか調査にでることができないのですが、なんとかやりくりをして、1週間、野外調査にでかけました。今回の調査は、いくつかの目的があったのですが、すべてが以前行ったことのある場所への再訪となりました。前半は不安定な天候でしたが、なんとか目的の調査ができました。後半は天気がよかったのですが、体調の問題で、不本意ながら不十分な調査しかできませんでした。再訪したいものです。
  四万十川の河口へは、今回で3度目の訪問となります。実際には、一回の調査で河口を何度が訪ねることもあります。今回は、一度の訪問のつもりだったのですが、2度、河口に立ち寄りました。最初は、朝に右岸の河口付近を通りました。通り過ぎるだけのつもりだったのですが、朝霞がきれいなので、思わず立ち寄って写真撮影をしました。2度目は、数日後、河口を見るために河口の左岸に立ちました。そして海岸付近をうろうろしていたのですが、激しい雨に見まわれ、早々に切り上げ、四万十市の中村にある中村城跡の郷土資料館にいきました。その後雨はこぶりになったのですが、時間もないので、ホテルに入りました。
  今回宿泊したのは四万十市の市街地にあるホテルでした。四万十市は、平成の市町村大合併で、2005年に中村市と西土佐村が合併して誕生しました。旧中村市は四万十市の中心となっていてます。中村の市街地は、土佐一条氏により支配されていたところで、区画整理をされた整然とした町並みになっています。しかし、1946年の南海地震により市街地が倒壊や火災を起こして、古い町並はほとんど残っていないそうです。区割りは今も残り、狭い道が多く、車での移動は注意が必要です。
  中村の町には、西側に山並みが南北に連なっています。その山並みによって四万十川と区切られています。中村の東側には、四万十川の支流である後川(うしろがわ)が流れています。ですから、中村の町は後川の扇状地あるいは氾濫原による沖積平野となっています。
  また、四万十川の右岸側には、具同(ぐどう)や赤松町の町並みが広がる平野があります。この平野は、西から流れ込む中筋(なかすじ)川と四万十川の合流域に形成されたものです。具同の平野は、中筋川の北、四万十川の西に広がり、中筋川は平野の東南端で四万十川に合流します。同じ四万十市の町でも山並み一つによって平野をつくった河川が違っていました。
  中村の市街地の南端で、四万十川と後川が合流しています。そこから河口まで5kmほどあります。四万十川は、河口まで、滔々とした嫋やかな流れとなります。
  また、四万十川の河口付近の左岸で竹島川の小さな流れが合流しています。合流部は下田の港になっており、対岸の初崎までの渡し船が、今もあります。渡し船は、いったんは廃止されたのですが、復活され利用できます。私は利用したことがないのですが、今でも毎日、利用者がいます。以前来た時も、初崎で子どもが下田のおじいちゃんのところにいくのだと、小さい渡し場で船を待っていました。
  四万十川の河口までの穏やかな流れに比べて、河口では複雑な流れをつくっています。私がいったときも低気圧の影響で海の波が高く、河口にもかなり大きな波が打ち寄せていました。河口では、他にも北から南へ向かう沿岸流があるようで、砂嘴のような地形が、河口の左岸から延びていました。港を守るためでしょう河口には、コンクリートのブロックが置かれていたり、防波堤などもありました。
  四万十市は、南北方向に自然の構造が並んでいます。西から具同の平野、四万十川、城跡がある山並み、中村の平野、後川、そして石見寺山からの山並みが南北に並びます。地形は、地質の影響を受けて形成されます。この辺りは、四万十層群が分布する地域です。高知県の南半分は四万十層群が占めているのですが、時代(付加した年代)によって、大きく2つに区分されています。四万十層群は付加体によって形成されていますが、地層の主な形成年代によって、区分されています。
  北部が後期白亜紀から前期古第三紀の古い付加体で南側が中期始新世から前期漸新世の新しいものとなっており、その境界が中村付近を通っています。境界線は安芸−中筋構造線とよばれ、高知の西部では中筋川がその位置にあります。
  中筋構造線は、大まかには中筋川沿いなのですが、構成している岩石の年代をみていくと、複雑に絡み合っています。主たる構造線の位置は中筋川付近なのですが、構造線時代は場所によっては、多数の断層によって形成されているため、断層が複雑に入り組んでいます。ですから時代の違う付加体も、整然と並んでいるわけではなく、複雑な分布となっています。
  このエッセイでも何度か紹介していますが、付加体自体も複雑な形成の履歴をもっています。それがさらに構造線によって乱されています。つまり、四万十川河口付近は、地質の中にも何重にも複雑さが絡み合っているのが見て取れるところなのです。
  具同から中村の市街地までは、古い四万十層群なのですが、東の山並みでは新しい四万十層群となっています。新しい四万十層群は、黒潮町にまで広く分布しています。つまり、中筋構造線が中村あたりでずれていることになります。まあ、大地の大きな付加作用の一貫の営みですから、きれいな構造線で区切られるものではありません。
  構造線がずれているのには、それなりの理由があっていもいいのですが、確定した理由はないようです。私は、中村で中筋構造線をずらした断層が後川沿いにあるのではないかと思っています。その断層により東側の始新世の付加体が北に移動、もしくな上昇して、侵食によって現在の分布になったのではないでしょうか。またその断層が後川の通り道になっているのではないでしょうか。まあ、これは、地形からみた推測で根拠があるものではありません。
  今回紹介したのは、四万十川河口の話でした。四万十川の流域は、各地で護岸がされています。コンクリートの河岸もあります。ダムも目立たないところにつくられています。それでも、四万十川の流れは、きれいです。川漁師がいまも漁をしている清流でもあります。下流域だけでなく中流域もなかなかきれない流れで沈下橋も多数あり、のんびりと訪れるにはいいとこです。住んでいいる人達も穏やかで親しみやすい人たちです。私は、四万十川が好きで、愛媛にいる時もよく四万十川の流れを見にでかけました。
  そんな清流にも、さまざまな変動の歴史が刻まれています。その変動と人は戦ってきました。河口の波の激しさに対向するために、コンクリートで堤防や護岸しています。洪水などの治水対策や利水でダムや護岸をしています。地質を反映し、構造線や断層によって、地形が変化を受けます。その変化によって山と川、そして平野ができ、人びとは田畑をつくり、町をつくり、暮らしています。
  四万十川の河口は、海との接合点なので、川も海の影響を色濃く受けます。その影響が人の生活にマイナスになるのであれば、人は守るための対策をします。その対策がどの程度の継続性があるかはわかりませんが、自然や大地の営みと比べると明らかに短時間です。しかし、人には別の時間が流れています。人の時間内では、効力はありそうです。自然と人の営みの歴史の錯綜が四万十川の河口には残されています。


Letter★ 残る清流・弱線

・残る清流・
清流が残るには、それなりの理由があるはずです。
四万十川は高知県にあるため、
山が多く、発展が遅れていたため
自然のままに残されてたのでしょう。
川沿いも人口が急激に増加することがなく
土木技術が大規模に導入されれず
清流として残ったのでしょう。
このエッセイは地質や地形の紹介なので
人の歴史については深くは追求しません。
しかし、現在の自然の営みをみると
そこには人の影響は色濃く出ています。
その複合が日本の自然を形成しているともいえます。

・弱線・
付加体の地層は、砂岩泥岩の互層でできています。
泥岩に比べて砂岩は浸食に強いので、
砂岩が多い部分が、地形的に高まりとして残りやすくなります。
旧中村の市街の西にある山並みの部分には、
砂岩の多い地層からでてきます。
平野部は、泥岩のような軟らかい岩石や
断層や地層境界などの地質学的に弱い部分(弱線)で
浸食を受けやすいところが平らになり
窪みができ堆積物が溜まったところです。
中村や具同の平野は、そんな背景を持ったところなのでしょう。




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