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Essay ★ 91 津軽平野:お岩木の麓から
Letter★ 教育実習・立佞武多


田んぼ越しの岩木山。


岩木山と津軽平野南部の20万分の1地形図。


上のと同じ範囲を10mMesh数値標高による地形図。


上と同じ範囲を地形解析の傾斜量図。


十腰内小丘群のある流山地形の地形解析の傾斜量図。


上と同じ範囲の流山地形の地形解析の地下開度図。出っ歯た小山が黒っぽく見える。


上と同じ範囲の流山地形の地形解析の地上開度図。


田んぼ越しの岩木山。

 


t青森空港に向かう時津軽山地の裾野を通った時みえた火山灰層。


田んぼの風景。


津軽鉄道。


タチネプタ。テーマは大震災にちなんだもの。地震鯰を要石で鹿島大明神が押さえ込んでいる。

 

 

(2012.07.15)
  6月の津軽平野は、水を張られた田んぼに植えられた稲がきれいでした。田んぼごしにみえる岩木山は、雄姿ながら雲の上に霞んでい見えました。ゆったりと流れる津軽平野の時間を、出張の合間に堪能しました。


Essay ★ 91 津軽平野:お岩木の麓から

 今年の6月中旬に、青森県五所川原に出張しました。もともと1泊の予定でしたが、帰りの飛行機の便がとれずに、2泊するか、秋田空港から帰るかの選択を余儀なくされました。所用は半日ですむのに、3日もかけるのは辛いので、秋田まで4時間ほどかけて移動することにして、1泊2日の出張のつもりでした。
  青森からの最終便でキャンセル待ちをしていたのですが、幸いなことキャンセルがありチケットがとれました。
  都会に住んでいると、交通の便がいいため、あまり時刻表を気にせずに公共の乗物が利用できます。来た便に乗ればいいのです。しかし、地方では、ある便に乗れないと数時間待つこと、あるいは待ち合わせに2、3時間できることがザラにあります。
  今回の出張でもそうでした。長い待ち時間がありました。こんな時は心を切り替えて、のんびりとした時間の流れを楽しむことにしています。歩くのも苦ではないので、時間があれば、のんびりと歩いていきます。
  五所川原からの目的地までは、津軽鉄道を利用しました。太宰治の出身地でもある金木(かなぎ)は観光地ですが素通りして、もっと先の小さな駅で降りました。そこま目的地のとなり町です。駅から目的地まで3km弱ほどしかありません。田んぼの中をのんびりと歩きました。時間はタップリとありました。
  田んぼの中の舗装された、人通りはもちろん車の通りも少ない道を、30分ほど歩いて、目的地付近までたどり着きました。
  私が五所川原にいったのは、初夏の暑い日でした。なかなか心地よい運動でしたが、汗をかきました。時間もたっぷりあったので、近くの神社で、一休みしました。田園風景と岩木山を眺めながら、汗の引くのを待ちました。
  今回、五所川原にいったら、岩木山(いわきさん)がきれいに見ることを願っていました。とても見て回る時間ないので、眺めることでもできればと思っていました。天気は良かったのですが、雲がかかっていたり、霞んでいたりで、きれいには見えませでした。でも、2日間、所々で眺めることができました。
  岩木山は、津軽富士や「お岩木やま」とも呼ばれ、歌にもでてきます。地元の人には親しまれているようです。五所川原は平野ですので、そこからみる岩木山は、平野の先にデンと居座った風格のある山容となっています。
  岩木山のどっしりとした姿は、火山によってできたものです。裾野が広がっているため、津軽富士として「富士」の名前がつくのでしょう。このような形の火山は、成層火山(コニーデ型)と呼ばれています。何度も繰り返し噴火した結果できたものです。
  岩木山は、古くから活動している火山で、年代測定で一番古いものは33±4万年前から10±5万年前(1±24万年前がありますが少々誤差が大きい)の測定値があります。
  何度も、安山岩のマグマを噴出して、成層しながら火山として成長していきました。20万年前ころには、現在のような大きさの火山なっていたと考えられています。しかし、20万年前の大きな噴火によって、山体が大きく破壊されました。
  その時に山体が壊れて流れた方向が、北東でした。崩れた大小の岩塊が裾野に流れ下りました。現在、その地域には、こんもりとした小さな山が多数あり、十腰内(とこしない)小丘群と呼ばれています。小さいな小山が多数ある地形を、流山(ながれやま)と呼んでいます。まさに山が壊れて流れたのものなのです。
  その後も、火山噴火が続き、壊れた山体を覆って現在のようなきれない形になりました。そして、1万年前ほどからは、マグマの化学組成が少しかわり、安山岩からより白っぽい安山岩質からデイサイト質のマグマになりました。その結果、マグマの粘性が少し高くなりました。粘性の高いマグマが、溶岩ドームとして成長しました。これが現在山頂にあるドームです。
  その後も現在まで、火山の活動記録が残されています。古くは1600(慶長5)年2月22日の噴火が記録されています。山頂の鳥の海火口で爆発が起こり、火山灰を飛ばしたとの記録があります。最近では、1978(昭和53)年5月6日に、活発な噴気活動が起こっています。岩木山は活火山なのです。
  津軽平野は、岩木川沿いにできた沖積平野です。南部は白神山地から岩木山が境となり、北東には津軽山地があります。津軽平野の東側には、砂丘堆積物があり、岩木川が津軽平野の北側で日本海に流れ込み、そのあたりは三角州の地帯となっています。
  津軽平野は、岩木川による沖積平野ですので、稲作には適しているようで、広々とした田んぼ広がっていました。そんな田んぼの中の道を歩きます。道の脇には、防風用の柵の支柱が延々と付けられています。私がいったのは6月でしたので、風よけの鉄板は外されていましたが、冬に日本海からふく風が強いようです。海岸沿いに小高い砂丘があるのですが、あまり風を防がないようです。
  地元の人にきくと、冬の風の強い日には、地吹雪になり、前を向いて歩けないし、車でも前が見えず走れないといいます。夏の田園風景からは想像できませんが、季節風の強さ、冬の厳しさに思いを巡らせました。北海道に似た冬の寒さに思いを巡らせても、体の暑さはしばらく抜けませんでしたが。


Letter★ 教育実習・立佞武多

・教育実習・
五所川原ヘは教育実習の指導にいきました。
学生が地元の小学校で
実習のお世話をしてもらっているので、
お願いする側として、
遠くても誰か行くようになっています。
今回は私のゼミの学生ではなかったのですが、
私が行く事になりました。
大学で1校目の講義を終えて、青森に向かいました。
前日に五所川原に着き、
翌日の朝からの研究授業に参加しました。
実習生の実家が近くにあるので、
地縁の深いところのようです。
小さい小学校で、あまり実習生もこないので、
手厚い指導を受けていました。

・立佞武多・
今回の五所川原出張の2日目は、
昼過ぎには仕事が終わり、
再び津軽鉄道に乗って、
五所川原にもどりました。
秋田空港からの帰札なら
五所川原で、のんびりとはできなかったのですが、
青森空港の最終便がとれたので、
たっぷり時間ができました。
空港までのバスにも2時間ほど時間がありました。
そこで、五所川原駅の近くに
「立佞武多(たちねぷた)の館」があったので、
見学することにしました。
青森はねぷたが盛んですが、
上に高くそびえるようなねぷたは五所川原固有で
近年では街に電線が貼りめぐされたのでやめていたものが、
設計図が見つかったので、
復元され、毎年練り歩くようになったようです。
その保管庫と展示場を兼ねた
「立佞武多の館」を見学したのです。
たちねぷたは、なかなか見事で、感動しました。
夏の祭りのころに見たいのですが、
なかなか行けそうもありません。



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