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Essay ★ 85 襟裳岬:山脈が海に没するところ
Letter★ ストーブの暖かさ・センター入試


襟裳岬。


襟裳岬の霧の筋。


襟裳岬の先端の海岸から南にみえる島々。


襟裳層の礫岩。


襟裳層の礫岩。


襟裳層の礫岩。一部砂岩のところも不規則にある。


襟裳層の礫岩。花崗岩の白っぽい礫が目立つが、多様な礫がみられる。


襟裳岬の西側海岸。手前の白い花崗岩礫は巨大なもの。


襟裳岬周辺の2.5万分の1地形図。


襟裳岬周辺の10mメッシュの数値標高による地形図(上と同じ範囲)。


襟裳岬周辺の地形解析の地上開度図(上と同じ範囲)。


襟裳岬周辺の地形解析の地下開度図(上と同じ範囲)。


襟裳岬周辺の地形解析の傾斜量図(上と同じ範囲)。


ゴマフアザラシ。

(2012.01.15)
  冬の襟裳岬は、雪と風の中にあるのでしょう。少ないながらも観光客が訪れているのでしょうか。昨年の秋、襟裳岬を訪れました。そこは、日高山脈が太平洋に没するところでもあります。襟裳岬の地層から、そのダイナミズムが感じられます。


Essay ★ 85 襟裳岬:山脈が海に没するところ

 札幌から襟裳岬にたどり着くには、苫小牧あたりから太平洋岸に出て、海岸沿いを進むことになります。JRでいくならば苫小牧から日高本線に乗ります。日高本線は、様似(さまに)まで、4時ほどかかります。日高本線は様似駅が終着で、そこからは一日数本の路線バスに乗り、1時間ほどで襟裳岬です。札幌からは5時間以上かけてたどりつける地となります。
  私は、卒業論文で静内川上流域の地質調査をしていました。原付バイクで調査していたので、調査地まで札幌から一日かけてたどり着きました。卒論の調査中に、様似にあるアポイ岳に登るためにバイクで出かけたのですが、それより先は、なかなか原付バイクではいけませんでした。
  車社会になり、道路さえあれば、行き着くことができます。大学院ころには、車をもっていた友人がいたので、何度か襟裳岬にいったことはあります。それでも私にとって、襟裳岬は、遠いところでした。
  襟裳岬は、歌でもうたわれたので、北海道でも有名な地となりました。観光化はしていますが、今でも最果ての地の感じがします。駐車場に車を停めると、土産物屋が何軒かあります。さき進むと灯台のある断崖の岬の先端にたどり着きます。いつも風が強く、霧もよくかかります。霧のために灯台が設置されています。昨年秋、家族でいった時も、強い風が吹き、海面には霧がかかっていました。
  観光客は襟裳岬の断崖に立ち、そこから眺望を楽しみます。そして「風の館(やかた)」を訪れる方もいるでしょう。ガラス越しに風景を見ることができます。冬には窓越しですが、迫力のある眺めとなるでしょう。
  私は、襟裳岬に行くときは、いつも先端にある海岸に降ります。時には、観光地である灯台や土産物屋にはいかず、海岸だけに降りることもありました。東側の細い道を降りていきます。以前は漁師の民家があっただけでした、今では小さな駐車場ができていました。
  海岸に降りるのは、日高山脈が海の没する大地のダイナミックさを体感するためです。海岸では、面白い地層がみれます。
  岬の先端が切り立った崖になっているので、その崖の下は露頭として地層を見学できます。小さな入り江で漁港になっています。以前、昆布とりをしている光景を見たこともあります。海岸を北に向かって進むと日高山脈を構成している地層(日高累層群)を見ることができます。頁岩や砂岩頁岩互層となっています。南にいくと、日高累層群の上(新し時代)に重なる地層の襟裳層が出ています。
  襟裳層でまず目につくのは、大きな礫をたくさん含んでいる礫岩です。礫岩は、礫が基質(周りを埋めている物質のことす)より多いところもあります。泥岩や砂岩の部分も混じっています。
  礫岩には、大きな礫が多数入っています。時には人の背丈より大きなものもあります。礫の中でも白っぽい花崗岩の礫が目立ちます。他にも砂岩、火山岩、泥岩、頁岩、ホルンフェルス(接触変成岩の一種)などの礫もあります。非常に多様な礫の種類があります。
  礫岩のつくりを詳しく見ると、礫の粒子のサイズが下が大きく上に小さくなっていくところ(級化層理)、逆のつくりをもっているところも見られます。礫の大きさが急激に変化するところもあります。非常に複雑な構造の礫岩であることがわかります。
  襟裳層の泥岩から見つかった化石(渦鞭毛藻や貝)からは、後期漸新世(2500万年前ころ)に海底でたまったことがわかります。礫岩の構造からは、激しい浸食があったこと、不連続な堆積作用もあったことも推察されます。このような礫岩は、海底へ粗粒な礫を含む土石流などによってもたらされたと考えられます。このような礫岩は、点在して分布していることから、その成因はまだよくわかっていません。
  礫として含まれていた花崗岩の年代測定がされていて、約3000万年前であることがわかります。この付近で3000万年前ころの年代を持つ花崗岩の産地は、日高山脈南部にあります。そこから由来したと考えるの一番妥当です。もし、礫岩の中の花崗岩が、日高山脈の構成岩石であれば、日高山脈の歴史に重要な情報をもたらすことになります。
  深成岩は地下深部でマグマが固まったものです。その深成岩が2500万年前の堆積岩の礫として、含まれているということは、深成岩が500万年後(2500万年前の襟裳層の年代)には地上に顔を出して、侵食されていたことになります。その地は、日高山脈が太平洋に没する襟裳岬に当たります。
  襟裳岬の礫岩は、日高山脈の成立を考える上で、非常に重要な素材です。なによりも、そんな大地のダイナミズムを感じさせてくれるものです。
  10年ほどの前に、神奈川から北海道に転居してきて、車を使うようになってから、襟裳岬には何度かでかけました。家族で襟裳岬にいくので、最初の何度かは一般道でいっていたので、一日かけてたどり着き、遠いところという印象は変わりませんでした。あるとき、校務で浦川にいったとき、高速道路が富川まで延びていたので、とても早くつき、近く感じました。今までの印象と違ってきました。行程の半分が高速でいけるので、車での移動時間も大いに短縮できるようになったわけです。
  昨年秋は、様似で泊まって翌日襟裳岬にいったのですが、様似にあまりに早く着いたので時間をもてあますくらいでした。襟裳岬では、観光地と海岸の両方にいきました。土産物屋で昼食もとりました。海岸から上がってくるとき、ゼニガタアザラシを何匹かみることができました。霧も見ることができました。襟裳岬を満喫できました。


Letter★ ストーブの暖かさ・センター入試

・ストーブの暖かさ・
襟裳岬の2月ころに行ったことがあるのですが、
思ったより雪が少なく驚きました。
しかし風は強く、寒さは一層強く感じました。
雪が少ないのは風で飛ばされているのでしょう。
襟裳岬は、最果ての地の印象を強くもたらします。
土産物屋のストーブの暖かさが救いとなります。
そんな暖房の暖かさは今日もあるのでしょうか。
「悲しみを暖炉で燃やし」ているのでしょうか。

・センター入試・
大学のセンター入試の最中です。
私の大学も会場になっているので、
教職員総出で対応しています。
前日には全学休校にして、
職員は、準備をしていました。
教員は当時の運営に当たります。
最大限の努力をはらいなが、
受験生への対処をします。
無事試験が終わることを祈るのみです。


「この地図の作成に当たっては、
国土地理院長の承認を得て、
同院発行の数値地図200000(地図画像)、
数値地図50000(地図画像)、
数値地図25000(地図画像)、
数値地図250mメッシュ(標高)、
数値地図50mメッシュ(標高)、
数値地図10mメッシュ(火山標高)及び
基盤地図情報を使用した。
(承認番号 平21業使、第53号)」

解析データは
北海道地図株式会社作成の
高分解能デジタル標高データを使用した。

地図、Landsatの画像合成には
杉本智彦氏によるKashmirを使用した。


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