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Essay ★ 05 樽前山:過去を知る重要性
Letter★ 節理と地形・恩師


地形データにLandsat画像を合成して樽前山を南側上空1000mから見たCG画像。


地形データに航空写真を合成して樽前山を江別から200mm望遠レンズで見たCG画像。


10mメッシュ標高データを用いて樽前山を南東側の100m上空から見たCG画像。


50mメッシュ標高データを用いて樽前山を南東側の100m上空から見たCG画像(上とのMeshによる違いの比較)。


10mメッシュ標高データを用いて樽前山を南東側の1000m上空から見たものに地図情報をはりつけたCG画像。


50mメッシュ標高データを用いて樽前山を南東側の1000m上空から見たものに地図情報をはりつけたCG画像(上とのMeshによる違いの比較)。


10mメッシュ標高データを用いて樽前山周辺の地形。
西側および南東山麓に火砕サージによると考えれる波紋上の地形が見られる。


10mメッシュ標高データを用いて地上開度による地形解析の結果。
西側および南東山麓に火砕サージによると考えれる波紋上の地形の影響による不思議な模様が強調されている。


10mメッシュ標高データを用いて地下開度による地形解析の結果。
西側および南東山麓に火砕サージによると考えれる波紋上の地形の影響による不思議な模様が強調されている。


10mメッシュ標高データを用いて傾斜量による地形解析の結果。
西側および南東山麓に火砕サージによると考えれる波紋上の地形の影響による不思議な模様が強調されている。


支笏湖東岸からみた初雪の風不死(右の山)と樽前山(黒いドーム上の山)。


支笏湖東岸からみた初雪の樽前山の望遠による撮影。


火口縁の南東側からみた樽前山のラバードームと噴煙。

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火口縁の南東側からみた樽前山の噴煙の望遠による撮影。


火口縁からみた樽前山の裾野の地形。


火口縁からみた樽前山の360度パノラマ合成画像。


火口縁からみた樽前山のパノラマ合成画像。
クリックすると、MOV形式のファイルで、QuickTimeのプラグインがインストールされていれば、自由に回転、拡大して見ることができます。

 樽前山は、支笏湖カルデラの縁にできた火山です。樽前山に登って、噴煙とドームを間近かに見ながら、科学的に探る歴史の重要性を考えたことがあります。

★ Essay 05 樽前山:過去を知る重要性 

 私のいる大学は、札幌の隣町の江別市というところにあります。そこは、野幌丘陵と呼ばれる小高い丘になっているところです。天気にいい日に、大学の高い建物から眺めると、遠くの山並みが見えます。
 北側には暑寒別の山塊、東には馬追丘陵と遠くの夕張山地、西から南に向かっては手稲山、藻岩山、無意根山、恵庭、漁岳、樽前山へと山並みが連続します。
 中でも、樽前山は、その山の形が変わっていることから、すぐに見分けられます。その変わった形とは、江別から見ると台形に見え、冬でも黒々として雪の少ない姿が眺められます。横から見ると台形ですが、立体的に見ると、円錐を途中でちょん切ったような薄いプリンのような形になっています。
 これは、ラバードームと呼ばれるものです。このラバードームのラバー(lava)とは溶岩のことで、ドーム(dome)とはおわんを伏せたような丸い状をいいます。日本語では溶岩円頂丘(えんちょうきゅう)や溶岩ドームと呼ばれています。
 ラバードームは名前のとおり、マグマによってできたものです。流れにくい(粘性が大きいといいます)性質のマグマが、地表に出て、流れることなく、そのまま固まったときにできるものです。
 樽前山は、支笏湖の南湖畔に面して聳える風不死(ふっぷし)火山の南南東側に約3kmのところにあります。支笏湖畔には、東側に支笏湖温泉、西側には小さいですが伊藤温泉、丸駒温泉、オコタン温泉があります。支笏湖周辺は、支笏洞爺国立公園にも指定されていて、風光明媚な観光地です。しかし、それらの名所は、火山活動によってつくられたものなのです。
 今は一見穏やかにみえる樽前山ですが、火山活動は現在も活発で、噴気も出ていますし、火山性地震もあり、噴火の危険性があるため常に監視されています。
 ラバードームは、1909年(明治42年)の噴火活動によってできたものです。その時の様子を、少しみていきましょう。
 樽前山は、1909年の1月から小規模な噴火をはじめていました。3月30日と4月12日には、激しい噴火を起こして、火山灰を降らしました。その火山灰は札幌にも届いて、降りました。4月17日の夕方から山頂には雨や雲がかかり、それ以降の様子は観察されていません。しかし、19日の夕方に山頂が見えたときには、ドームが見えたそうです。これが現在もあるラバードームの誕生の物語です。神秘的な誕生なのですが、長くても48時間、少なければもっと短時間で、このドームが形成されたことになります。
 現在、ラバードームは直径が300から400m、高さが130mほどあり、体積は約2000万立方mあります。このようなラバードームが、たったの2日足らずでできたのです。火山活動の脅威、あるいは威力を見せ付けらる気がします。
 このラバードームは、マグマの出口をフタをするようにできました。下にはまだ熱いマグマが残っていました。そのため、ラバードーム近くの火口では、火山のガスを噴出すような小規模な噴火をたびたび繰り返してきました。
 札幌管区気象台火山監視・情報センターの観測では、火口の中は、2005年3月でも約600℃という高温であることがわかっています。火山性地震や噴気も続いています。100年たってもまだ、熱いマグマがラバードームの下にはあるのです。樽前山は活火山なのです。そして、いつ噴火してもおかしくないのです。
 樽前山のラバードームには、以前は近くまでいけたのですが、今では噴火の危険があるので、立ち入り禁止になっています。火口縁の登山道までは、許可されていますが、残念ながらドームに近づくことはできません。私もラバードームを眺めたのは、火口縁からでした。
 しかし、100年も続く活動をしているラバードームの形成は、樽前山の噴火の歴史では、小規模なものと位置づけられているのです。それは、火山の歴史を探ることからわかってきたものです。
 1909年のラバードームをつくった火山活動は、多くの人が見て、記録をしていたので、私たちはその活動を知ることができのです。もっと古い時代の火山の噴火の歴史は、近くに人が住んでいれば、古文書などが残っていることがあります。それを手がかりにして、火山噴火の記録を探ることができます。
 そのような記録によると、樽前山の噴火は、1874年(明治7年)、1867年(慶応3年)、1804-1817年(文化1-14年間)、1739年(元文年)、そして最古の記録が1667年(寛文年)のものです。北海道にはアイヌの人が住んでいたのですが、記録は残していませんでした。ですから樽前山に関する最古の1667年(寛文年)の文書は、津軽での記録となてっています。
 古文書の記録から、樽前山噴火の概略を紹介しましょう。
 1667年(寛文年)の噴火は、記録のあるものの中では最大のもので、大量の火山噴出物(火砕物と呼びます)が放出されました。この噴火はプリニー式噴火と呼ばれるもので、大噴火とともに噴煙が成層圏まで上がり、噴煙はきのこ雲となり、大量の火砕物を風下に降らします。爆発で吹き上がった火砕物は東向きの風に乗り、苫小牧ではなんと2mの厚さの火砕物が降ってきました(降下火砕物といいます)。また、火山の近くでは、火砕物が流れ下りました(火砕流や火砕サージと呼ばれます)。このときの噴火の音が津軽まで聞こえたというのが、上の古文書の記録に残ったいたのでした。
 火砕流とは、プリニー式の噴火で立ち上がった噴煙柱が崩れて、火砕物が落ちて流れ下るときにおこるものです。火砕サージとは、火砕物を含む希薄な流れで、爆発的な噴火の時に横に方向に流れていくものです。サージはそれほど遠くまで流れず(約3km以内)、堆積物も薄いもので、断面で見るとレンズ状に消えていくように見えます。サージは、一度の噴火活動で、爆発のたびに起こり、堆積物が何層も積み重なっていきます。それは砂丘で見られるような波状の地形となります。
 1739年(元文年)には、再びプリニー式の大噴火が起こりました。東側の山麓は、この噴火で、3日間ほど昼でも暗かったと記録に残されています。20km東方の千歳では、今での1mの厚さの降下火砕堆積物が溜まっています。
 1804-1817年(文化1-14年間)、1867年(慶応3年)、1874年(明治7年)は、前の2回の噴火と比べると、小規模でした。1804年-1817年にかけての噴火では、火口の中に小さな火砕物でできた丘(火砕丘と呼びます)ができました。1867年の噴火では、その火砕丘の上にラバードームが形成されました。1874年の噴火はプリニー式で、このラバードームが破壊されてしまいました。
 これが、記録に残っている記述の実際の噴出物から探った火山の歴史です。これが樽前山の火山活動のすべてでしょうか。もちろん、人が記録をしてないもっと前から活動をしていました。では、人がつけた記録のない場合は、どうすれば、火山活動の歴史を読み取ることができるでしょうか。
 私は、2004年秋、初雪の降った樽前山に登りました。ラバードームの不思議さに目をうばれてしまいますが、山麓に眼を向けると。西と南の山麓に、不思議に地形が見えてます。その地形は、波を打ったような、魚のうろこ状の模様が規則的にあるように見えます。この地形は、実は火砕サージがつくったものでなのです。さまざまな景観の中にも、火山の記録が残されています。そのような火山活動によってできた地形、あるいはその地形をつくっている火山噴出物や溶岩などの調査から、火山活動の様子を探っていけばよいのです。
 時期の違う火山活動が読み取れたとしたら、それぞれの活動でできた溶岩や火砕物に埋もれた植物片などから年代測定をして、時代を決めていきます。溶岩や火山灰などの火山噴出物から正確な年代を決めるのはなかなか大変ですが、火山の周辺には火山噴出物が堆積して残っていることがよくあります。そのような火山噴出物を詳細に調べれば、年代は少々不確かでも、火山の噴火の順序による歴史は、かなり詳細に編むことができます。樽前山でも地質学者たちは、地道な野外調査から、その歴史を割り出してきました。
 そのような調査の結果、樽前山は、9000年前から火山活動をはじめたことがわかりました。9000年前の最初の噴火は、爆発的なプリニー式で大量の降下火砕物を降らし、火砕流や火砕サージなどの流れました。
 その後、6000年ほどの活動の記録がなく、3000年前にやはりプリニー式の噴火が起こりました。そして、また1500年の休止期を経て、上で述べた記録に残っている噴火として、活動を再開したのです。
 以上のように樽前山の噴火の歴史の全貌は、解明されています。このような長い休止期の後、大規模な噴火が起こった例は、他には知られていません。樽前山は、少々変わった活動の歴史を持っている火山のようです。江戸時代以降は、70年から30年ほどの間隔で、頻繁に噴火を繰り返しています。しかし、1909年の噴火以降、96年が過ぎようとしているのに、まだ噴火はありません。噴火の間隔に何らかの科学的根拠が見つかっているわけではないですが、不気味です。もし、マグマがある時間間隔で供給されるメカニズムがあれば、ある時間間隔で噴火をしてもおかしくはありません。
 樽前山は、今後も活動の可能性の高い活火山で、さまざまな観測方法で監視をされています。これは、火山の今の状態を観測することで、未来の噴火に備えるものです。一方、噴火の歴史を探ることによって、その火山がどのような噴火の歴史を持っていることが知ることができます。そして、有珠山のように規則正しい噴火をすることが多い火山だと、その噴火の記録は噴火予知に役立てることができます。また、他の似た火山の歴史を参考にして、目的の火山の噴火を考えることができます。樽前山の次の噴火について、小規模、中規模、大規模の噴火の3つの可能性が、勝井義雄北海道大学名誉教授によって考えられています。
 現在のラバードームを破壊する小規模な噴火(1874年に似た噴火)、噴煙柱と降下火砕流、火砕流、サージなどを伴う小規模なプリニー式噴火(1874年と1739年の中間的なもの)、大規模なプリニー式噴火(1667年や1739年の大規模な噴火)の3つです。どのような噴火がいつ起こるかは、まだわかりません。しかし、周辺の自治体ではプリニー式噴火を想定したハザードマップを作成して防災に努めています。


★ Letter to Reader 節理と地形・恩師 

・節理と地形・
前回の屋久島のエッセイに対して
Hirさんから、花崗岩の方状節理について質問がありました。
私がエッセイの中で
「花崗岩による方状節理による地形の特徴をよく表している」
と書いたのですが、
「その特徴がよくつかめません」という質問でした。
その質問に対して、私は次のような返事を書きました。
「数値地図を使って地形解析をすると、
その地の地形の特徴を明瞭にすることができるのが大きなメリットです。
屋久島の特徴として、直交する2方向の直線的地形がみられます。
そのような地形的特長とは、
谷や尾根(谷の反映とみなせます)、河川などの形状として
あわられています。
地形的特長を岩石の性質から探ったものが、
今回のエッセイのひとつの目的でした。
方状節理とは、3次元的に直行する3つの割れ目ができることです。
それが、屋久島では、水平方向は明瞭ではないのですが、
垂直の2方向は、明瞭に見えます。
もちろん、等間隔に正方形として見えるものではありません。
自然の造詣ですから、さまざまな条件のため、
一筋縄ではいかない、複雑なものとなっています。
しかし、地形解析としてみると、
大づかみに見ることができるということです。」

この返事に対して、再びHirさんから、
「安房川の中流あたりに見られる地形が典型ですか」、
という質問がありました。
それに対して、私は再度次のような返事を書きました。
「節理が地形としてどう見えるかという質問だと思います。
エッセイでは、さらりと書いて、詳しく説明しなかったので、
わかりにくかったと反省しております。
花崗岩に見られる方状節理と、地形をつくる要素とは規模の違うものです。
地形とは、一般には数百mあるいは数kmの規模のものいうと思います。
一方、節理とは、もっと小規模なもので、
数十cmからせいぜい数mの規模のものです。
ホームページで示した地形解析のスケールはkmのものですから、
節理が今回示した地形から直接見られることはないと思います。
もし方状節理を見るなら、
崖で直接目で見てるようなスケールになると思います。
私は、実際に屋久島で、そのような規模の節理をたくさん見ました。
ですから、Hirさんがご指摘された地形は、
方状節理を直接見ているのではなく、
節理によってできた「地形」を見ていることになると思います。
いってみれば、方状節理を地形から間接的に見ていることになります。
Hirさんがご指摘されたは、本当の方状節理ではありません。
ちょっとわかりにくかったかもしれませんが、
節理が発達している地域で、
もし節理に、広域的に似たような方向性があれば、
その節理は侵食されやすいでしょうから、
侵食地形として際立ってくると思います。
最終的には広域的に地形に反映されていくはずです。
実際に屋久島の地形を大づかみにみていくと、
北西−南東方向の直線的地形、北東−南西方向の直線的地形が
地形解析の画像ではみえます。
このような直線的地形がどうしてでき方を考えるとき、
花崗岩の方状節理に規制されているのではないかというのが、私の考えです。
実際の節理が地形に与えている影響を統計的に示す手法もありますが、
私は実際に節理と地形の関係を調査したわけではありません。
しかし、人間の目は結構正確で、そのような傾向があるように見えるものは、
統計的にもそのような結果が出てくることがよくあります。
多分、そうなるであろうなという予測で、このエッセイを書きました。
書き方が、はっきりしなかったのでわかりにくかったかもしれませんが、
いかがでしょうか。」
このような説明で、節理と地形の関係について、
Hirさんも、ご理解いただけたようです。
画像や形状など視覚的状況を表現するときは、なかなか難しいものです。
自分には「こう見える」ということで、説明をしても、
他の人には「そう見えない」ことがあるのです。
そんな当たり前のことに気づかされた、質問でした。

・恩師・
上のエッセイ中で出てきた勝井先生は、
大学の学部と博士課程での恩師にあたります。
勝井先生は、高齢にもかかわらず、現在も元気に活動されておられます。
不思議な縁で、私は、勝井先生が北海道大学の定年後
しばらく教鞭をとられた大学の教員としての同じポストにいます。
直接の後任ではないのですが、不思議な縁を感じています。
時々お目にかかることがあるのですが、
そのたびに、元気で活動されているのをみて励みとしています。
先生の下を独立して長い時間がたちます。
本当は恩師に成長した自分をお見せしたのですが、
なかなか意に沿わず不肖の弟子と移っていることでしょう。
先生とは専門は違っているのですが、
なんとかがんばっているところをお見せしたいものです。
日々反省をしております。


の地図の作成に当っては、
国土地理院長の承認を得て、
同院発行の2万5千分の1地形図を使用したものである。
(承認番号 平15総使、第140-623号)

10mメッシュ標高データ及び解析データは
北海道地図株式会社作成の
高分解能デジタル標高データを使用した。

地図、Landsatの画像合成には
杉本智彦氏によるKashmirを使用した。


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