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講 義■ Lec 014(その1) 見ること:この世の認識の拡大
掲示板■ 間違い・新学期


 新しい講義です。今回は認識することを取り上げます。「見ること」を例にして、私たちが、「この世」の認識をどのように拡大してきたかを考えていきます。


▼ 講義ファイル
・Lec014_1の講義ファイル(講義時間 29:21)
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講 義■ Lec 014(その1) 見ること:この世の認識の拡大

▼ 認識
  「認識」とはむつかしい言葉ですが、ものごとをはっきりと理解することです。今回は「この世」を私たち人間は、どのように認識してきたかを考えていきます。

1 信憑性
  信憑性(しんぴょうせい)とは、あるものや、できごと、誰かのいっていることなどが、どのていど、信頼できるかということです。信憑性を考えるために、3つの例を出しましょう。
  まず最初の例です。まずはUFOの目撃談です。ここでいうUFOとは、ETIの乗り物という意味で使われています。このような例はコンドンレポートとしてまとめられています。ここで紹介するのは、多くの人が見た事件(Case37)です。
  1967年のある夜、アメリカジョージア州でパトロール中の2名の警官が、「フットボールのような明るい赤色のUFO」を目撃しました。警官は、パトカーで州の外まで追跡しましたが、見失ってしまいました。そして、帰ろうとしたところ、またUFOが出現して、今度は彼らを追跡しはじめました。UFOは木の高さの2倍ほどの位置に停止し、色をオレンジから白に変え、徐々に消えていきました。その後、このUFOは4日間にわたってこの地区に出現し、ハイウェーで車を追いかけたり、森林パトロールの飛行機に追跡されたりしました。その後、調べたところ、11の町の警官に目撃され、写真まで撮られていたそうです。
  連絡を受けてコロラド大学の研究者が急行しました。調べたところ、UFOはマイナス4.2等星の明るさになっていました。さらに、このUFOの正体が、金星であることを確認しました。
  これについての議論はここではしません。次の例を示しましょう。
  地球が丸いことの証明についていです。
  多くの人は、地球が丸いと信じています。しかし、それを証明してみなさいというと、なかなか証明方法は思いつけません。証明方法を思いつけない人に地球が丸いと思う理由をたずねると、アポロやスペースシャトルの写真や映像を証拠として出して、説明します。写真や映像をみれば、証明するまでもないでしょう、ということです。学校で習ったはずの科学的、論理的な証明方法をわすれて、写真というものだけに基づいて、正しいと信じています。
  実は、地球が丸いのを直接自分の目で確認した人は、宇宙飛行士以外いないはずです。しかし、多くの人は、自分が宇宙飛行士でもないのに、地球が丸と信じています。これは、一種の「まだ聞き」の情報を基にしているのです。
  例の3番目は、原子が存在するかどうかです。
  多くの人は、原子の存在を信じています。しかし、人類のだれも、肉眼で原子を見た人はいません。なぜなら、原子とは目で見えないほど小さいものだからです。多くの人は、原子の模型やイラストを教科書で見たことがあるはずですが、その証拠ははたして信じるに足るものでしょうか。そしてそのイラストには、それぞれの人が独自に判断できるデータは与えられているのでしょか。原子の存在を示すものは、教科書を探しても見つかるのは、論理だけです。たとえ、見たことのないものであっても、論理とそれを示す証拠で、人は信じてしまうのです。
  では、問題です。次の、3人の中で一番もっともらしいのは、どれか考えてください。
・UFOを目撃した警官の説明(経験という事実の伝達)
・地球を丸いと信じている人の説明(写真の提示)
・原子の存在を信じている人の説明(イラストの提示)
これら3つを、これらに関してなんの先入観のない第三者から聞いたら、どれが、いちばん信憑性が高いと思うでしょうか。第三者はどれも見たことのないことですから、3つの例から与えられる情報においては、大きな違いはないはずです。
  それぞれ提示される証拠は、
・目撃者が直接体験した経験談
・誰かが見たという伝聞とその証拠写真
・論理とイラスト
です。
  多分、先入観のない第三者は、
1 警官での目撃談
2 地球が丸いこと
3 最後に原子の存在
の順に信憑性が高いと答えることでしょう。つまり、この順に、信憑性が高いと考えるのです。
  この例を見ると、どうも人が下す信憑性の程度も怪しいもののようです。

2 見ることから信じることへ:誤謬の混入
  他人が見るのではなく、自分が見たという立場なら、どうなるでしょうか。よく信じがたいことを目撃した人は、「自分の目で見るまでは、まったく信じられなれなかった」といいます。ですから見たら信じるということです。しかし、目で見たからといっても、必ずしも正しいとは限らないことが、上の例でもわかります。
  「自分の目で見たことは信じる」というは、どういうことでしょうか。「信じる」とは、個人のレベルでは、「本当だと思う」ことです。「本当だと思う」ということは、自分の目が得た情報を、自分の経験や記憶に基づき、いろいろ考えた後、事実だと判断し、信じるのです。
  このプロセスのどこかに、間違いが入り込むのです。
  しかし、見るということは、周辺から反射してきた光を、眼球に入れ、網膜に入れることです。そこまでは、間違いようのない現象の連続です。問題は、それ以降、脳のどこかの作用で、間違いを犯しているのです。
  間違いや正しいとは、どのように判断しているのしょうか。また、その判断を拡大していけば、直接目で見えないことも、正しいと判断できるようなことがあるのではないでしょうか。

3 感じることから信じることへ
  見る以外に、さまざまな感じるための感覚があります。「感じる」というのは、一般的には感覚器官を通じて、生物が、情報を得ることです。その感覚には、次のような5つ(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触角)あり、それぞれの器官で感じ、脳で理解されていきます。

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感覚 行為   外界からの刺激 器官 理解するところ
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視覚 みる   光       目  脳
聴覚 きく   音       耳  脳
嗅覚 におう  におい     鼻  脳
味覚 あじわう 味       舌  脳
触覚 さわる  圧力、温度   皮膚 脳
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 いろいろな感覚の内の一つが、視覚で「見える」ということです。私たち晴眼者は、外界の情報の8割は視覚からえているといわれています。今回は、外界を感じる感覚としていちばん情報も知識も多い、視覚を中心にみていきます。これと同じことは、他の感覚でもできるはずです。

4 間違いの混入
  入力系と感覚系では、間違いは起こりません。起こるのは中枢系です。人間のもっとも人間らしいところで、間違いが起こるのです。間違いは、「人間らしさ」でもあるのかもしれません。


掲示板■ 間違い・新学期  

・間違い・
人は、間違います。
そして、同じところで間違うこともありますが、
いろいろなところで間違います。
間違いが致命的で、人身や大きな被害につながると困ります。
そのために二重三重の間違いを回避する方法がとられています。
しかし、まるでその網の目をくぐるように人は間違いを犯します。
だから、人間が扱うものの間違いのチェックは
いくらおこなっても、やりすぎということはないのです。
機械やコンピュータはそんなことはありません。
間違うとしても、同じところを繰り返し間違います。
そして、その間違いは、人間が組んだプログラムミスや
入力ミスによるものです。
そこには信じられないくらい単純なミスも起こります。
やはり、人間は間違う生き物なのでしょう。

・新学期・
9月もいよいよ終わりです。
私の大学は10月から後期の講義がはじまります。
新たしい講義がはじまるので、
また大変な日々が続きます。
でも、それも私にとっては、良い勉強となります。
ですから、がんばれるのでしょうね。


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