はじめてこの講義を受講するかた、
PC Lectureを試したいかたは
まずはじめにここをお読みください。

もどる


講 義■ Lec 009(その3)わかること・わからないこと:私たちとは何か
掲示板■ 花盛り・若さとは 


 「わかること・わからないこと」をテーマにしていますが、今回から、いよいよ「私たちとは何か」について考えていきます。


▼ 講義ファイル
Lec009_3の講義ファイル(講義時間 21:58)
ブロードバンド用(ファイルサイズ 5.5MB)
ISDN用(ファイルサイズ 2.8MB)


講 義■ Lec 009(その3)わかること・わからないこと:私たちとは何か

▼ 私たちとは何か:還元主義的展開
1 問い:私たちとは何か
 「私たちとは何か」という問いは、実は、非常に昔からある、一般的な問いです。しかし、なぜか、まだだれもその答えを出してない問いでもあります。ですから、「私たちとは何か」とは、もしかすると、人類永遠の問題なのかもしれません。
 画家のポール・ゴーギャンの絵画に「われわれは何処から来たのか、われわれは何者か、われわれは何処にいくのか」というタイトルの作品があります。「われわれは何者か」は「私たちとは何か」と同じことを意味します。
 芸術作品は、見るものの判断に任されているために、タイトルがあっても、どのような意図で書かれたかは、なかなかわかりません。しかし、ゴーギャンは、この作品を描き終えたのち、友人に作品を説明する手紙を送っています。そして、その手紙も絵画と一緒に展示されています。ですから、この作品の作成意図がわかる数少ないも一つなのです。
 ゴーギャンの「われわれは何処から来たのか、われわれは何者か、われわれは何処にいくのか」という作品は、右から左に見ていきます。右の3人の子供を連れた女性は生のはじまりを表わし、真ん中でりんごをもぎ取ろうとしている女性は青年期の象徴で、左に座り込んでいる女性は死が近づいている様子を表わしているといういのです。
 ゴーギャンは、絵画で「私たちとは何か」に対する一つの答えを出しました。ゴーギャンだけでなく、多くの人が、この言葉のような内容に悩み、そして答えを出したはずです。
 しかし、絵画では、基本的に見る人の解釈にまかされているので、誰もがわかる明確な答えが示されているわけではありません。いってみれば、この絵画を見ても、「私たちとは何か」の答えはまだ、出ていないのです。
 哲学や倫理学、心理学などの他の方法でも、「私たちとは何か」に対する答えを先人たちが出してるはずです。しかし、誰もが理解できるものとして示されていません。少なくとも私に分かる方法で示されているものはありません。
 しかし、この講義で、「私たちとは何か」という難題に挑戦してみます。そして、条件を限定し還元論的に考えれば、ある種の答えが出せることを示します。

2 定義:「私たち」とは
 まず、「私たちとは何か」を考えるとき、この文章あるいは質問の意味が分からなくてはなりません。意味を明確にしておきましょう。「私たちとは何か」は、「私たち」と「何か」という2つの言葉からできています。
 最初は、「私たち」です。「私たち」とは、複数です。「私」が含まれているグループ全体のことを示しています。
 「私」の意味を、まずみておきましょう。「私」は、日常的に使うときは、はっきりしています。物質としてみると明瞭なものがあります。人、人間としての形のある自分自身です。これ以上、小さくすると自分自身でなくなります。また、自分の肉体以上には、自分を拡大できません。
 「私」とは、自分自身以上でも、自分自身以下でもないのです。
 では、次に「私たち」の意味です。「私たち」という複数になると、見方により、「私たち」の範囲やグループはいろいろと変化していきます。
「自分自身(単数の私)」
   ↓
「私たち、日本人」
   ↓
「私たち、ヒト・人類」
   ↓
「私たち、動物」
   ↓
「私たち、生物」
   ↓
「私たちの地球・惑星」
   ↓
「私たちの太陽系」
   ↓
「私たちの銀河」
   ↓
「私たちの宇宙」
というように、「私たち」という対象は、拡大していくと、さまざまなものであると、とらえることができます。「私たち」には、最小である一個の「私」から、最大である「私たちの宇宙=この世」までの間、さまざまな階層があります。「私たち」とは、そのすべてを指しうるです。
 「私たち」が指す範囲を限定してしまえば、もしかすると、「私たちとは、なにか」という課題に答えが出るかもしれません。実際にそれぞれの「私たち」に対応する学問分野がありますので、範囲さえ限定できれば、多くの知識、情報が手に入ります。

3 定義:「何か」とは
 つぎは、「何か」とは、何かです。「私たちとは、なにか」という課題で、「何か」意味するところは、「私たち」について「知り」そして「わかる」ということです。そうすると、「わかること・わからないこと」という今回の講義のテーマにつながります。
 「私たち」について「知ること」とは、「私たち」の「素性」を明らかにすることではないでしょうか。
 素性とは、特徴をしらべ、由来(起源)を明らかにすることです。
 特徴とは、「私たち」と「私たち」以外の「他のもの」の間の共通性と違いを明らかにすることです。共通性とは、その階層のものがすべて持つ普遍的な属性を知ることです。違いとは、「私たち」だけがもつ特異な属性を知ることです。つまり、「私たちとは、何か」とは、「私たち」の特異性と普遍性を記述することとなります。
 もうひとつの由来(起源)とは、「私たち」が現在に至った歴史を知ることです。どのような歴史で、今の私たちがいるのかです。現在までの歴史を調べればいいのです。

4 課題:「私たちとは何か」
 以上のことから、「私たちとは何か」は、次のように整理できます。
最小のサイズの課題:「自分を知ること」
   ↓
最大のサイズの課題:「宇宙を知ること」
 「私たち」のサイズに応じた学問体系を用いれば、「私たち」について、現在の人類が持っている知識を得ることができます。つまり、「私たち」の特異性と普遍性を知り、「私たち」が現在に至った歴史を知ることができます
 サイズが最小の命題である「自分を知ること」は、自然科学で扱う内容ではなく哲学や心理学など人文科学で扱う学問体系です。
 ある程度の大きさになると、地質学、惑星科学、天文学、宇宙科学などなど、自然科学の分野で取り扱えるものとなります。自然科学で扱えるものとなると、論理と証拠による手法が通じるので、客観的に多くの人にわかる答えが得られる可能性がでてきます。
 以上で、「私たちとは何か」についての意味が分かりました。その内容は次回としましょう。


掲示板■ 花盛り・若さとは  

・花盛り・
北海道もいよいよ春が深まってきました。
先週の末に桜が咲きはじめたなと思っていたら、
今週のはじめには一気に満開になりました。
そして週末には、葉桜となっています。
遅咲きの桜が残っていますが、
少し遅れて梅が咲いていますし、
他にもいろいろ花盛りです。
週末には、天気がよければ
野に出て花見でもしてみようと考えています。
できれば、ジンギスカンでもしたいところですが、
今年は外でのジンギスカンは6月の最初までありません。
自宅でジンギスカンをやろうかと思います。

・若さとは・
ゴールデンウィークが終わり、
大学も、そろそろ落ち着いてきました。
私は新しい学科の教員となりましたが、
新設学科でもあり、学生たちが特別に張り切っています。
学部のいろいろな行事などの委員を進んで買って出て、
主だった役職をすべて新学科の1年生が占めてしまっているほどです。
彼らも、新学科の第一期生として、モチベーションが高いのでしょうが、
あまり走りすぎて、疲れたり、力尽きなければいいのですが。
でも、若さとは、そんな年寄りの心配など気にせず、
突っ走ることなのかもしません。
大変だけれでも、それは充実を意味します。
大変なことをやり遂げれば、
その経験はきっと将来の自分にとって宝物になるでしょう。
年寄りには、できないほどの若さの発露をみて、
年寄りの「心配」とは
実は若さへの「羨望」の裏返しかもしれませんね。


もどる