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講 義■ Lec 009(その2)わかること・わからないこと:私たちとは何か
掲示板■ 遥かなる道のり・危うい基盤 


 「わかること・わからないこと」の2回目です。前回は要素還元主義の考え方について見てきました。今回は要素還元主義にも限界があることを紹介します。


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講 義■ Lec 009(その2)わかること・わからないこと:私たちとは何か

▼ わからないことの発見:複雑系
1 不確実性:還元主義の破綻
 科学で証拠を集めるときは、観察することが重要な方法の一つです。観察は、完全に客観的なもので、観察なくしては、科学のデータ収集、証拠集めはありえないと考えられているほどです。
 しかし、観察するということは、よく考えるとどんなに客観的に観察していても、対象に対して、多かれ少なかれ観察者という存在自体が関与してしまいます。
 そこに、問題がありました。
 非常に小さい世界(量子力学という分野で研究されています)では、観測をしようとすると、ある量を正確に測定しようとすると、他の観測すべき量に大きな誤差が生じる(不確定性といいます)ことがわかってきました。これを、ハイゼンベルクの不確定性原理とよんでいます。
 式で書くと
 Δx・Δp ≧ h/2
となります。ここで、xは位置を、pは運動量を表しています。Δxと Δpはxとpのばらつき(標準偏差とよばれます)のことです。そしてhはプランク定数とよばれるある値です。
 この式の意味することろは、2つのばらつきをかけたものは、ある一定量より小さくなれないということです。Δxを小さくしようとすると、Δpはそれに呼応して大きくなるということです。その逆に、Δpを小さくしようとするときは、Δxが大きくなります。
 つまり、どんなに観測の精度を上げようとしても、一定以上には上げられないということです。
 アインシュタインは、世界が「すべての数学的問題を解決するための一般的代数的手続きが存在する」という要素還元論(決定論ともよばれています)立場をとっていました。その考えで相対性理論は考え出されてきたのです。するとアインシュタインと考え方と、ハイゼンベルクの不確定性原理は相反するものです。
 もし、ハイゼンベルクによる不確定性原理が正しければ、ニュートンの運動法則では素粒子レベルの動きを正確に予測することが不可能になるのです。つまり、数学的に解けないことがこの世にはあるということなのです。
 もちろん、アインシュタインは、ハイゼンベルグの不確定性原理に反対しました。アインシュタインは、この不確定性原理が間違っていることを示すために、いろいろの思考実験を考えました。しかし、なかなかうまくいきませんでした。
 このようにして、物理学の世界で、要素還元主義の手法に弱点が見つかってきたのです。
 一方、論理だけの世界である数学でも、ゲーデルの不完全性定理が示されて、還元主義は破綻をきたしました(第8講で紹介しました)。
 そして、要素還元主義がまったく通じない世界として、芸術があります。オックスフォード大学数学科教授ロジャー・ペンローズは、「計算をいくら積み重ねても新しい芸術的な感性を創造することなど出来はしない。芸術はいわば計算不能物理学なのである」といって、計算不能の不確定性の世界を人間が操っていることを賞賛しました。
 ある生物の行動を分析するとき、人間の考え、原理で考えてしまいます。しかし、対象である生物が、そのような考えや原理で行動しているという保障はありません。客観性を導き出すためには、慎重にならなければなりません。
 野生生物を調べるとき、その中に入って生物の行動や社会などを考えることがありますが、動物を人間が観察するとき、観察者である人間の影響は必ずあるはずです。
 たとえば餌付けしたサルの行動から何らかの考えを示したとしましょう。これは、野生のサル一般に通用するのか、それとも餌付けされたサルだけに起こることなのか、常に疑問が残ります。野生の状態に人間が入り込んだとしても、程度が違いはありますが、疑問は残ります。
 生物学では、DNAの発見や分子レベルの生物学の進展によって、生物のすべての仕組みは、分子レベルで説明可能だと考えられてきたことがありました。しかし、生物の行動や社会性など、答えられないことがいっぱいあることがわかっています。
 要素が全体(総体)を作り上げているのは確かですが、全体の大きさや、規模によって、要素から推し量れない特性や属性が生まれることがありうるということです。

2 複雑性の科学的発見
 以上のようなことから、私たちが知っている科学的手法、つまり還元主義的は方法では解けないものが、いろいろな分野でわかってきました。そして、その最大の衝撃が、複雑系の発見でした。
 最初の複雑系の発見は、カオスの発見からはじまります。カオスとは、「規則に従っているのだが、不規則な振る舞いをするもの」です。
 1892年、アンリ・ポアンカレが、天体が3つ以上あると、お互いに干渉しあって、複雑な軌道をとるということを、見ぬいていました。これは天体の運動が、カオス的であることを感じていたのでしょう。
 現在では、これは多対問題よばれていて、3つ以上の天体の運動は解析的(方程式によって解を得る方法)には解けないということが判明しています。しかし、当時のコンピュータのない時代ではカオスの実態には迫れなかったのです。
 1961年、気象学者のエドワード・ローレンツは、気象の簡単な微分方程式がカオスを示すことを、コンピュータを用いてはじめて発見しました。ローレンツは、初期値を0.506127と入力すべきところを、桁数を減らして0.506と入力したら、計算結果に大きな違いがあることを発見しました。これは、「初期値の鋭敏性」とよばれるものです。ローレンツは、この「初期値の鋭敏性」を「バタフライ効果」と呼んでいます。しかし、この論文は、気象学の学会誌「大気科学ジャーナル」に投稿されたので、10年ほど注目されることがありませんでした。しかし、現在ではその重要性は認識されています。
 雲や海岸線は、どのスケールでみても、似たような構造を持っていることに気づきます。このような性質を自己相似性といいます。自己相似性をもつものをフラクタルと呼びます。
 1967年、ベノア・マンデルブロは「英国沿岸の長さはそれだけあるのか?」という論文で、自然界には固有の長さを持たないものがあることを示しました。つまり、測る物差しの目盛りの刻み方によって、得られる長さの値が違ってくるのです。
 このような発見をきっかけにして、複雑系について研究が進んでくると、いろいろ不思議なものがあることがわかってきました。
 例えば、カントール集合とよばれるものには、1次元の線分の集まりですが、長さを持たないという線があります。つくり方は、まず、1の線分を3等分して真ん中を抜いていきます。残った2つの線分でも、それぞれを3等分して真ん中を部分を抜いていきます。これを繰り返していくと、抜き取られた線分の長さは、
1/3+2(1/3)^2+2^2(1/3)^3+………=1
なり、もとの長さと同じ1になってしまいます。しかし、作業としては2/3を残しているのですから、残った線分はあるはずです。ですから残った線分が集まったものがあるのに、長さがないという不思議なものができます。
 コッホ曲線というものは、有限の面積を無限の長さで取り囲むことができます。2次元でもそのような不思議なことが起こります。シルピンスキーのギャスケットというものは、2次元平面にものが存在するのに、面積を持たないものがあります。
 このようなフラクタル図形を考える時、新たに拡張された次元の概念が必要となります。その次元とは次のようにして計算します。
 まず、線分、正方形、立方体を考えます。それぞれの図形の辺を2等分します。線分では2^1(2)個の相似形ができ、正方形では4 =2^2(4)個の相似形、立方体では8=2^3(8)個の相似形ができます。このときの乗数をフラクタル次元とします。この考えを延長してフラクタル次元というものを定義していきます。
 フラクタル次元の定義は、「全体を1/aに縮小した相似図形b個によって構成されているとき、その図形のフラクタル次元Dは、D=log b/log aである」となります。
 このようなフラクタル次元を導入することによって、いろいろ自己相似性を持つものを、定量的に記述することができるようになりました。川の分岐のフラクタル次元数は約1.85(アマゾン川)、植物の枝分かれは約1.5、人体の血管の分岐は約2.17、人体の脳のしわは約2.73-2.79、銀河の空間分布は約1.2というようなものがはかられています。

3 複雑系:新しい科学の方法
 複雑系とは、「システムを構成する要素の振る舞いのルールが全体の文脈によって動的に変化してしまうシステム」と定義されています。少々難しいい方をしていますが、要素が全体をつくりあげているのですが、要素自信も全体の影響を受けているものがあるということです。そのようなものを複雑系というのです。
 要素還元主義が採用できるのは、実は「線形(直線)的な現象」には適していますが、複雑系には適していないのです。厳密に自然界をみると、ほとんどが非線形の現象となっています。ですから、複雑系がいろいろなところに紛れこんでいる可能性があります。
 しかし、私たちは、生命や社会現象、情報、組織など、全体としてとらえるべきものを調べる道具として、複雑系という概念を手にしたことを意味するのです。


掲示板■ 遥かなる道のり・危うい基盤  

・遥かなる道のり・
複雑系は、なかなかその基本原理を見抜くことは大変です。
しかも、その振る舞いは、さらに大きな相似形の体系があるのなら、
その影響を受けるのです。
全体の体系が見えない限り、複雑系はなかなか解明できません。
「この世」で最大のものが宇宙ですから、
複雑系の宇宙が最大の体系となります。
幸いなことに、私たちが対処しなければ、
無限の存在ではなく、有限の限りある宇宙です。
終わりのないものを調べるより、
有限で終わりのあるものを調べる方が
調べる側の気持ちとして、有限の方が
どんなに長い道のりでも気が楽です。
それは救いではあるのですが、
その宇宙についても、実はまだよく分かっていないのです。
道はまだまだ遠いのです。

・危うい基盤・
20世紀は科学や技術が大いに発展しました。
でも、最大の成果は、分からないものがあることの発見ではないでしょうか。
総体が要素以上の組織、特性をもつこと、
要素が総体の影響を反映しうること、
これらは、要素還元主義の根底を揺さぶるものです。
現代社会を支えているはずの科学や技術の基盤が、
それほど安心できるものではないことを示しているのです。
いつ、どこで大どんでん返しがあるかという
不安にさいなまれながら、現代社会が存在しています。
まあ賢い人類のことですから、ただでは転ばないでしょうし、
転んでもただでは起きず、何らかの成果や経験を得て
再興するでしょうが。
でも、現代の社会は必ずしも磐石のものとして
成立しているのではないことを心しておく必要がありますね。


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