はじめてこの講義を受講するかた、
PC Lectureを試したいかたは
まずはじめにここをお読みください。

もどる


講 義: Lec 006(その2) 不変と変化
掲示板■ どたばた・フリードマン
 


 さて、前回紹介した背理法を用いて不変がないことを証明しましょう。まずは、その考え方です。


▼ 講義ファイル
▼ 講義ファイル
・Lec006_2の講義ファイル(講義時間 9:25)
ブロードバンド用(ファイルサイズ 4.2MB)
ISDN用(ファイルサイズ 1.2MB)

・Lec006_3の講義ファイル(講義時間 6:02)
ブロードバンド用(ファイルサイズ 1.5MB)
ISDN用(ファイルサイズ 0.8MB)


講 義: Lec 006(その2) 不変と変化

▼ 変化と不変とは
1 物事や出来事の分類
 ものごと、できごと、ものなど、この世に存在するありとあらゆるものは、その性質によって、2つに分けることができます。それは
・変わらない
・変わる
の2つの性質です。
 変わらないとは、いつでも、どこもで同じであるということです。それは、昔も、今も、そして多分未来も同じであるということです。変わらないとは不変であることです。
 変わるとは、ある時と別の時を比べると、違いがあるということです。わかりやすい例でいうと、以前はなかったのにある時から存在するという場合、あるいはその逆で、以前あったのにある時からなくなったという場合などです。前の例は、「生まれた」、「できた」、「完成した」、「起こった」などといういい方がされるでしょう。後の例は、「死んだ」、「消えた」、「終わった」などと呼ばれるでしょう。
 このように、この世のあるとあらゆるものは、不変と変化のどちらかに分けられるはずです。

2 変化するということ
 まず、変化することを考えてみましょう。もし、ものごとにおいて、一番大きな変化あるいはイベントを考えなさいといわれたら、なにをあげるでしょうか。ものごとによって、あるいは考える人によって、一番は違うでしょう。しかし、次の2つは、誰もが納得するような重要なイベントの候補になるはずです。それは、
・はじまり
・おわり
です。
 考えてみると、「はじまり」と「おわり」の間のいろいろなイベントは、ものごとの種類や、見る視点や、選ぶ人によって違ってくることでしょう。でも、変化の一番の区切りとして、「はじまり」と「おわり」なにより重要になってくるでしょう。
 では、「はじまり」と「おわり」とでは、どちらが重要でしょうか。あるいは変化を普遍的に考えたとき、どちらを重視すべきでしょうか。
 それは「はじまり」です。なぜなら現在「この世」に存在するものは、まだ「おわり」を迎えていないはずです。ですから、重要な「おわり」のイベントが、これから起こるかもしれませんが、起こってからでなければ、考えることは出来ても、科学的に調べることや証拠を探すことができません。でも、「はじまり」は、今存在し、変化するものには、必ずあったはずです。
 ですから、「はじまり」があることを示すことができれば、変化するということの証明ができるはずです。

3 不変
 変化するというものがあるという証明は、実は、簡単です。たとえば、「卵からひよこが生まれた」、「車が生産された」、「火山が噴火した」などは、変化のうち「はじまり」の結果として、ものが存在します。ある時にそれが生まれ、作られ、できたのです。ひよこ、車、火山の存在こそが、変化の動かぬ証拠となります。
 ところが、不変とは、あるものごとには、昔から今も、そして多分、未来も、ずっとそのままあり続けることです。このような「不変」というものは、概念としてはありうることです。しかし、不変を証明することはなかなか難しいことです。
 例えば、地球ができた45億年前にすで今と同じようし存在しているものがあるとしましょう。その45億年間、変わることなく不変だという証拠が見つかったしましょう。しかし、45億年前以前、あるいは未来永劫に、不変だという保障があるでしょうか。じつはそんなもの存在しません。ですから、不変を証明することは不可能なのです。
 しかし、「この世」には、どこか私たちの知らないところに、不変のものが隠れているかもしれません。言語として、不変という言葉があり、実用されているのですから、どこかにあるかもしれません。すべてを調べつくすこと出来れば、不変があることを証明できるかもしれませんが、現実的には、調べつくす不可能でしょう。
 さて、どうしましょうか。

4 論理の展開方法
 この不変の有無について背理法を用いて考えてみましょう。
 まず、仮定として、「この世」の何か、どこかに、「不変」の何かが存在する、としましょう。この仮定からスタートします。
 この講義では、「この世」とは、その最大ものが宇宙であるとしました。この最大の宇宙を使って、先ほどの背理法で考えて、不変かどうかを考えてきます。
 もし、宇宙に変化があるのなら、宇宙最大のイベントとして、「はじまり」と「終わり」があるということになります。宇宙は現在存在していますので、「終わり」は迎えていないので、その証明はできませんが、もし宇宙に「はじまり」があったとすると、過去に起こったことですから、何か証拠があるかもしれません。その証拠は、「この世」が変化していることを示すことになります。それはすなわち、「この世」で最大ものである宇宙に「はじまり」があることになれば、その中に存在するありとあらゆるものは「変化する」ということを証明したとこになります。
 その証明から、「この世」に「不変」の何かが存在するという最初の仮定と矛盾するということになります。従って、背理法として、「この世」のものはすべて変化することが証明できます。
 さて、この背理法でうまく証明できるでしょうか。

▼ アインシュタインの不変
1 宇宙方程式による不変の証明
 もともと宇宙は不変だと考えられていました。しかし、そこには根拠はありませんでした。漠然とそう考えられてきたにすぎません。ところが、アインシュタインが宇宙の不変に根拠を与えたのです。
 アインシュタインが1917年に発表した相対論的宇宙論において、この宇宙は有限の世界であることを、数学的に示しました。宇宙は、有限で、端はなく、等方で、物質の分布も一様であるとしました。
 しかし、宇宙のそのような不変の構造を保つには、重力だけでは不可能だと、アインシュタインは気づき、「宇宙項λ」というものを、自分の重力場方程式(宇宙方程式)に導入しました。その宇宙項λによって、方程式の上では、宇宙は、不変に存在できるようになりました。
 アインシュタインは、不変の宇宙において、時間は永遠に流れ、空間には物質は均質に分布していると考え、数学上の方程式とし示したのです。このときはじめて、宇宙の普遍性の根拠ができたのです。
 しかし、アインシュタインの論理には、いくつか問題がありました。まず、数学的な論理を無視して、自分の信条、仮説に基づいて、数学的に根拠のないこの宇宙項を導入してしまったことです。また、方程式が不変を示したとしても、宇宙が実際に不変かどうかは証明されたものではありません。
 最初の問題である数学の論理的には宇宙項が必要ないのであれば、宇宙項のない場合を数学的に考える必要あります。ロシアの数学者、そして宇宙物理学者でもあったフリードマンは、1922年にアインシュタインの方程式で宇宙項がない場合の計算を試みました。すると、宇宙は変化したのです。
 宇宙の全質量がある値より小さいと宇宙は止めどなく膨張する「開いた宇宙」になり、ある値より大きいと膨張ののち収縮を始める「閉じた宇宙」となり、膨張と収縮を繰り返す脈動する宇宙になることを示しました。そして、宇宙の全質量がある特別な値を持つときにのみ、宇宙は静止するということを数学的に解きました。
 論理的には、宇宙は不変でもいいし、変化してもいいということになりました。つまり、宇宙が不変かどうかという問題は、振り出しに戻ったことになります。宇宙は、不変なのか変化するのかは、わからないままです。


掲示板:どたばた・フリードマン  

・どたばた・
大学はどたばたしています。
学生たちは、一部を除いて、春休みに入りました。
ところが、教員はどたばたしています。
忙殺されているといった方がいいのでしょう。
今週で後期の定期試験が終わりました。
もちろん講義はすでに終わっています。
でもどたばたしているのです。
来週は、大学の一般入試です。
教職員は総動員で入試に当たります。
試験の2日間と採点で、どたばたします。
それと並行して、後期の定期試験の採点、成績の提出が来週末にあります。
そして、来週末には、
新年度の講義のシラバスを提出しなければなりません。
私は来年度は新しい講義を2つおこなわなければなりません。
その講義の概要を来週中に考えなければならないのです。
もちろん、このようなどたばたは
以前から想像されていたので、事前に対処すべきですが、
それでもどたばたしています。
期限のあるものは、期限ぎりぎりに物事が動きます。
時間を有効に使うべきですね。
どたばたでやると、どうしても、時間に間に合わせるために
「とりあえず」という状態になってしまいます。
自分のことであれば、「とりあえず」でもいいのですが、
相手があること、それも教育に関することは、
「とりあえず」はよくないですね。
人間としてもう少し成長していかなければなりませんね。

・フリードマン・
フリードマンは、1888年に旧ソビエト連邦のレニングラード、
現在のサンクトペテルブルクで
音楽家の父とピアノ教師の母の間に生まれました。
音楽一家なのでした。
しかし、大学で数学を学び、卒業後は気象学を学びました。
レニングラード大学で教鞭をとりながら、
量子力学や相対性理論などの物理学を研究しました。
レニングラード大学の学生に有名な物理学者のジョージ・ガモフがいました。
しかし、フリードマンは、1925年に37歳の若さで亡くなりました。
フリードマンの膨張宇宙の理論が
のちに弟子のジョージ・ガモフがつくりあげた
ビッグバン理論の基礎になっていきます。


もどる