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講 義: Lec 002 定義:「この世」とは
掲示板: まだまだ序章・常識破りは常識だ 


 「この世」に関して、徹底的に考えるということを実践してみましょう。そこからどんな答えが生まれてくるでしょうか。


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Lec 002 定義:「この世」とは

▼ 「この世」とは:徹底的に考える例
1 「この世」とは
 まず、「この世」について調べていきましょう。どのような調べ方をしてもいいのですが、自分が納得できるまで、徹底的に調べるということをやっていきます。ここでは、国語辞典を用いて、徹底的に調べてみることにしましょう。
 「この世」とは、辞典で調べると、
「現に生きて住んでいる世。現世。今の世。」
となっています。
 意味はなんとなく分かりますが、科学的に考えるには、少しあいまいでよく分かりません。もっと、科学的にとらえていくように、徹底的に考えていきましょう。
 そんな徹底的なやり方を以下では、やってみます。

2 反対語から
 調べ方として、対になる概念を用いて、その対の相手がよくわかるならば、その対の概念を手がかりに、目的のものを調べることができるはずです。ですから、「この世」の対となっている反対語は、「あの世」です。「あの世」について調べてみましょう。
 「あの世」とは、
「われわれの住む現世からは遠い死後の世界。来世。」(岩波国語辞典)
と書いてあります。
 ですから、ここで書かれている「あの世」の意味から、「この世」の意味を考えると、
「生きて住んでいる世」
ということになります。これは、先ほどよく分からないとした、「この世」の意味そのままであります。振り出しにもどってしまいました。
 このような論理を、循環論法といいます。しかもここで出てきたようなものは、循環が誰にもで分かる低級なものです。
 しかし、この反対語である「あの世」を調べたことで、重要なことがひとつわかりました。「あの世」は、「死後の世界」の世界なので、現実の世界に住む私たちには、あるいは現実のものを調べる科学では、扱えないもの、対象が手に届かないものであるということです。
 科学するには「あの世」は、不適切な素材、領域といえます。ですから、この講義では、「あの世」は扱わないことにします。

3 類語から
 さてさて、次なる試みは、類語からのアプローチです。最初に辞書で調べたときに、「この世」は「現世」ともいう、と書いてありました。ですから、「現世」を調べてみることにします。「この世」の類語、つまり同じような意味を持つ言葉を調べて、その類語の意味が分かれば、もとの言葉も同時に分かるということです。
 「現世」とは、
「現在の世。この世。」(岩波国語辞典)
と書いてあります。
 またまた、低級の循環論法となり、解決できませんでした。
 まだまだ、くじけずに続けましょう。

4 字句を分解して
 「この世」という言葉は、「この」と「世」に分解できます。それぞれの意味を別に調べて、あわせて考えるという方法で、再度アプローチしてみましょう。

・「この」
 「この」は、辞書で調べません。なぜなら、国語辞典の性質から、「この」を調べれば、抽象的な意味しか出てこないと予想できます。ですから、「この」を辞書を調べても、求める答えが得られないと、辞書を調べる前から推定できます。
 そこで、今まで調べたことから、「この」にふさわしい意味がないか調べてみます。今までのアプローチから、「この」とは、「この世」という言葉で、「生きて住んでいる」とか「今」という意味で使われていました。
 「この」というのは、ここでは、よくよく考えてみると、案外はっきりとしたわかりよい内容であったのです。どうも意味を分かりにくくしていたのは、「世」という言葉のようです。では、「世」を調べてみましょう。

・「世」
 「世」を辞書で調べてみましょう。
「1.生活の場。2.生活を営む期間」(岩波国語辞典)
となっています。
 ここで、重要なのは、生活、場、期間という語句であります。それぞれを調べてみましょう。

・「生活」
 「生活」とは、
「生きて活動すること」(岩波国語辞典)
となっています。実は、これは、「この」の意味と重複した内容となっています。今までのことで、分かったことを表現していくと、「この世」とは、「生きて住んで活動している」「場」と「期間」ということになります。あと少しです、がんばっていきましょう。

・「場」
 「場」とは、
「物事が起こっている所」(岩波国語辞典)
となっています。「物事が起こっている」とは、「この世」の場合は、「現に生きて住んで活動している」という「所」となります。
 「所」とは、「位置」や「空間」(岩波国語辞典)と書いてあります。「位置」や「空間」とは、科学でごく普通に使われている言葉です。「この世」の場合は「空間」の方がふさわしい言い方でしょう。
 「この世」とは、「生きて住んで活動している空間」と「期間」といえいます。

・「期間」
 最後に残った「期間」ですが、調べると
「ある定まった時期から他の定まった時期までの間」(岩波国語辞典)
となっています。
 科学的な言葉でいえば、「この」で限定された「時間」となります。ここで「この」とは、「現に生きて住んで活動している」ですから、「生きて住んで活動している現在という時間」となります。
 「この世」とは、「生きて住んで活動している空間と時間」というところに、やっとたどり着きました。これではっきりとした言葉の意味が分かりました。

▼ 「この世」の定義
 「この世」とは、「生きて住んでいる空間と時間」と定義できました。

・狭義には
 「この世」とは、狭い意味(狭義)で考えると、
自分の「生きて住んでいる現在の空間」
ということになります。
 人それぞれの自分の空間、(生活空間、生活圏、近所ともいう)をもっているので、それを記述することになる。これでは、科学的に講義するには、個別的なことになりすぎて、あまりふさわしくありません。もっと広い意味で「この世」ととらえる必要があるようです。

・広義には
 そこで、科学的に一般化、普遍化できる範囲まで、意味を広げていくことにしましょう。
 ただし、その前に、「自分の生きて住んでいる」という条件は受け入れておかなければなりません。なぜなら、この制限をはずすと、「あの世」まで対象が含まれることになるので、科学できない世界にまで広がります。
 ですから、広義にするには、「時間」と「空間」を広げていくということになります。

・時間の拡大
 教義の「この世」では、時間が「現在」に限定されていましたが、「過去」も「未来」もすべて含めていくことが拡大となります。最大限に時間を広げると、限定されることのない、存在しうる「すべての時間」となります。

・空間の拡大
 空間は、「自分の生きて住んでいる」というのを「身近な」という意味でとらえるのではなく、もっと広げていくことになります。私たちの身近なところから空間を広げていくと、
日本、地球、太陽系、銀河系・・・
となっていきます。最大限まで広げると、空間は「宇宙」にまで広がります。そして、宇宙が私たちの知る限り最大の空間となっています。

・「宇宙」
 最大の空間である「宇宙」には、空間的な広がりだけでなく、別の機会にのべますが、時間的な広がりも含まれています。

 さて今までやってきたことをまとめておきましょう。
 「この世」とは、
狭義:自分の空間、生活空間、生活圏、近所
広義:宇宙
となりました。
 この講義で扱うべき、あるいは科学的に扱える「この世」とは、普遍化した広義の「宇宙」です。ですから、「この世」とは「宇宙」のことと考えることにしましょう。

▼ 「宇宙」のよびかた
 宇宙は、もちろん日本語です。日本語ですが、もとを正せば、中国から来た言葉です。それについては、次回詳しく紹介します。
 英語で宇宙は、cosmosとuniverseが使われています。フランス語でもcosmosとuniversが、ドイツ語でもKosmosとUniversumが使われています。いずれも同じような語源の言葉です。ただし、西洋では、cosmosとuniverseの2つの言葉があることになります。

・西洋での宇宙の語源
 まず、一つ目のcosmosは、「秩序と調和の現れとしての完全体系」という言葉で、chaos(混沌)の反対の意味を持ちます。命名者はアルキメデスという説がありますが、本当のところはわかっていません。
 cosmosは、ギリシア語で、秩序、調和、美しさなどという、人間にとって有益な意味のある価値観が含まれていることばです。
 また、universeは、ラテン語を語源としていて、"uni"はラテン語で「uni(one, single)単一」という意味の単語、"verse"はラテン語の「vertere(turn)回転するの過去分詞」という意味の単語で、両者の複合語で「全体の、すべての」という意味を持ちます。統一や普遍の意味がありますが、人間にとっての価値観は含まれていないという特徴があります。
 科学の世界では、universeが使われることが多いようですが、価値観の含まないほうが科学では適切だからでしょうか。

▼ 宇宙の定義
 さて、現在の宇宙の定義を私たちが、「この世」からたどり着いた「宇宙」が、本当に現在の一般的な宇宙の意味と同じかどうか調べておきましょう。
 日本語による定義をまずみておきましょう。広辞苑という辞書を調べると、
「世間または天地の間。万物を包容する空間」、「森羅万象」
と書かれています。この意味を問うと先ほど同じような苦労をしそうなので、ここでは、こんなものかと眺めておきましょう。
 天文学では、どのような定義をしているでしょうか。天文・宇宙の辞典によると、
「広大な空間とその中に点在する天体により構成される」
となっています。空間と天体というものに限定されているようです。天文学では、天体が重要です。そして、その天体が存在する場として空間も必要です。天文学が必要とするもので、宇宙は定義されているようです。
 私たちの考えた「この世」のほうが、天文学より広い意味でとらえています。しかし、天体を私たちの定義では含めなかったのですが、それは、今後の課題としておきましょう。
 物理学では、理化学事典によると、
「存在する限りの全空間、全時間およびそこに含まれている物質、エネルギーをいう」
と書かれています。私たちは「この世」を、さきほど全空間、全時間として定義しましたが、その点では物理学の定義と似ています。ただし、物理学では、その他に、物質やエネルギーも含まれていました。物理学では、物理学の研究対象、あるいは素材となるものが、宇宙の定義として使われているようです。私たちの定義には現れなかった物質とエネルギーは、今後の課題としておきましょう。
 宇宙の定義をみくつかみていくと、研究分野によって、その定義はさまざまに変化するようです。その分野の研究に必要なものが、宇宙の定義として登場しているようです。私たちも、今後の展開で必要なものを考えていけばいいようです。

▼ いろいろな宇宙
 今回の講義では扱わないのですが、自然界に存在する「宇宙」だけでなく、いろいろな宇宙があります。
 人間の中に存在する「宇宙」として、こころや精神があります。人間が創った「宇宙」として、デジタル宇宙やインターネット空間などがあります。このような宇宙は、テーマから外れますから、取り上げないことにします。ご了承ください。


掲示板: まだまだ序章・常識破りは常識だ 

・まだまだ序章・
いよいよ講義がはじまったようにみえますが、
じつは前回の講義の続きで、まだ、序章にあたります。
前回の講義では、「Terraの科学の考えかた」として、
・科学的(論理的)に考えること
・常識にとらわれないこと
・徹底的に考えること
の3つを挙げました。
そのうちの「常識にとらわれないこと」は、前回紹介しました。
今回は、「徹底的に考えること」を、実践的に示しました。
そして、「この世」を納得できるように定義をして、
科学的に考える準備をしました。
これで徹底的に考え納得するものをつくり上げれば、
十分、実用に耐える定義となりうるということが
分かっていただけたかと思います。

・常識破りは常識だ・
前回の講義を聴いたYamさんから、
「この講義の常識を破れという論理展開が
ちょっと古めの常識のような気がしました。」
確かに、常識を破れという謳い文句は、
使い古されたものかもしれません。
そのメールに対して、私は次のような返事を書きました。

「「常識を破る」とは、何も新たらしいことではありません。
昔からある常識的なことです。
昔から、すごく新たらしいこと、とびきり独創的なことは、
やはりその当時の常識(パラダイム)を覆していると思います。
そんな繰り返しが、人類の進歩といえると思います。
こんなことは、だれもがわかっている常識だと思います。
では、その常識化している「常識破り」を
自分ができるかという段になると
多くの人は、もちろん研究者も、そうそうはできません。
研究論文の大半が、今までの常識を深めるために書かれているのですから。
私は、常識を否定するものではありません。
ただ、科学的(論理的)に、深く考えたときに出てきた可能性や結論が、
非常識なものであったとき、それを最初から捨てるのではなく、
すべて対等の可能性として扱うべきである、ということです。
さらに、そして自分がいい、正しい、ベストとして選んだものを、
身をもって実践できるか、ということです。
非常識な結果を、公言する、公表する、実践するというのは、
思いつく以上に大変な苦労を伴います。
そのためには、まず自分自身がその「非常識」に
心底、納得する必要があります。
なぜなら、それを実践するには常識の抵抗が予想されるからです。
そのためには、自分で深く考えていく必要があります。
それがいいたかったことです。」

そういう私にとっても、常識は厳然とそびえる壁であります。
日常生活で常識破りをすると、生きていくのが困難になります。
でも、自分がここぞと思えることに対しては、
常識にとらわれることなく、自由に羽ばたかねばなりません。
それは、私も肝に銘じています。その覚悟もあります。
問題は、そんな飛び切りのアイデアが生まれないことです。
もうこれは姿勢の問題ではなく、能力の問題かもしれませんね。


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