地球のつぶやき
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Essay■ 242 守破離はできたのか
Letter ■ 三寒四温・入試と卒業と


(2022.03.01)
 ものごとを身につける方法として、守破離という考え方が日本ではあります。長年、従事し実践していくことで、はじめて守破離が有効になります。長年、地質学に携わってきたのですが、どのような守破離があったのでしょうか。


Essay■ 242 守破離はできたのか

 日本では体系化されたものを、修行しながら身につけるとき、「守破離」という考え方があります。研究履歴を守破離に沿って紹介していきましょう。
【守】
 大学で地質学を志したのは、偶然に左右されていました。大学に入って2年間ほど、ひとりで近隣の低山を日帰りでのんびりと歩いていました。北海道の自然に浸ることを好きでした。大学での専攻は、教養部の成績によって決められていました。勉強をしなかったので成績は悪く、なかなか希望のところへはいけそうもありませんでした。唯一、山や野外へ出ていける専攻として地質学があったので希望しました。幸い最下位でしたが、潜り込むことができました。
 地質学は、高校の地学のいち分野にすぎませんでした、天文学や海洋学には興味があったのですが、地質学には興味はありませんでした。専攻として学んでいくので、最下位ですので、専門分野の講義を熱心に聞くことからはじめて、教科書などでも勉強もしました。最初はチンプンカンプンであった地質学も、専門語の意味もわかり、語彙も増えてくると、地質学の面白さがわかるようになってきました。
 なにより大好きな野外調査の実習や、自主的な野外見学会(巡検といいます)に参加することができました。そこで、知識と体験が結びついてきました。教科書で学んだことが、自然界で適用される場面だけでなく、教科書通りでないことも多々あることも知りました。大学院の先輩や先生たちが、露頭を前に、専門的なテーマで議論しているところを見て、非常に刺激を受けました。露頭と先端の研究が結びつくことが面白かったのです。
 そんな座学での知識体系と野外の実体験を経て、研究テーマとして卒業論文や修士論文、博士論文を作成してきました。その間、地質学を研究していく基本的スキルを身につけました。また、ポスドクとして研究費の支給を受けながら研究を継続して、研究者の道に入りました。
【破】
 ポスドクを経て、職業に就いたのが博物館の学芸員でした。博物館では地質学の担当となりましたが、研究だけでなく市民への教育も業務に含まれていました。それまで、学部の専攻も入れると、12年という長い年月を地質学に従事し、研究者となりつつあったのですが、市民教育には全く注意を払ってきましせんでした。それなりの研究歴や研究実績はあったのに、市民へ専門的知識を伝えることがうまくできないということにショックを受けました。
 そこで、地質学を市民に伝える方法を、これまでの方法にこだわることなく、自身が試行錯誤しながら、新しい方法論を開発していくことにしました。博物館の他の学芸員とも協同して、地質学や教育に興味を持っているいろいろ階層の人たちや、私たちの活動の共感していただいと人たちと協同することができました。小中学校の教員、不登校学級の教員、障害者、役所の防災関係者、プロバイダーなどのICT技術者、デザイナーの人など、さまざまな人と連携しました。子どもから大人まで、「いつでも、どこでも、だれでも、いくらでも」学べるという方法論を模索していきました。その成果は、博物館活動へと反映できました。
 博物館で、科学教育の重要性を学びつつ、私自身は地質学を専門として、それを教育にどう結びつけていくかについても、同等に興味を持つようになりました。その後、興味は、地質学と地学教育を一人の研究者が連携しながら進めていくことに移っていきます。広い意味では自然科学と科学教育(自然史学教育)、科学と教育を進められる研究者を目指すということになりました。
 科学と教育を進めていくうちに、それだけでは足りないと思うようになりました。博物館では教育が業務の重要な一環で、興味もあったのですが、もうひとつの展開をするには、考える時間や試行錯誤する自由が不足していると考えるようになりました。
【離】
 そして、現在の大学に職を移しました。人文・社会系の大学で、教養科目として地学を担当するという立場でした。理想のポストでした。なぜなら不足していたことを学び、考え、実践できる条件ができたためです。
 私がもっていた理想の研究者像とは、ひとりで科学、教育、そしてそれらを実施するための哲学をもった人物でした。教育の対象は市民です。広く科学教育です。興味は科学(地質学)、科学教育(地学教育)、そして科学哲学(地質哲学)を総合的に実施できるように努力しています。
 転職当初、専門の地質学を置かれたポストでどう進めていくかを考えました。地質学において、野外調査で露頭をみることは、最も重要な行為だと考えていました。しかし、専門を以前のように進めるには、条件もなく、何より興味も薄れていました。野外調査を通じて地質学の本質的概念というのは自然科学の中でも、固有であり、重要だと考え、それを地質学のテーマとすることにしました。地質学の本質を見つけ考え、その考えを検証するために野外調査をすることにしました。
 科学教育は、自然史素材を利用していくこともいろいろ試みましたが、なかなかうまくいかなったのですが、ICTの利用に関してはいろいろ試みができ、教育に活かす方法論を進めることができました。現在、大学の改組により、教員養成の学科に在籍していますが、それも今までの経歴によるものでした。
 現在、地質哲学を展開しているのですが、これがなかなか難しいのですが、現在だんだんと形作られつつあります。地質学の本質的概念、例えば、過去の時間の記録様式、過去のできごとをどう検証していくのか、時間の不可逆性の中で信頼性をどう高めていくのか、過去へ思考法としてアブダクションや数学的概念の導入など、このエッセイで紹介してきたものをいろいろ試みてきました。
 それらを「地質学の学際化プロジェクト」として成果を毎年まとめていくことできるようになってきました。現在6巻まで進んできましたが、あと数巻になりそうです。

 以上、「守破離」の例として、研究の履歴を紹介してきました。理解できなかったことと思います。守破離の意味を紹介しておきましょう。「守」とは、基礎を身につけるために教えを守ることです。「破」とは、自身の従事している教えにこだわることなく、いろいろな考え方を取り入れて発展させていく段階です。「離」とは、教えなどすべてのものから離れて、独自の世界や新しい考えを確立する段階です。
さてさて、研究の履歴と守破離に位置づけて述べてきましたが、本当に達成できているのでしょうかね。


Letter■ 三寒四温・入試と卒業と 

・三寒四温・
温かい日が訪れてきました。
三寒四温のはじまりでしょうか。
本来なら春の訪れを喜ぶべきでしょうが、
今年はそうもいかないようです。
豪雪続きのあと、まだ排雪が間に合わない状況の中
温かい日が来ると、雪解けで道が
泥沼ののような状態になりそうです。
例年よりひどい状態になりそうで、
少々心配です。

・入試と卒業と・
大学入試の多くが終わりましたが、
ただ、別日程の入試も、これからもおこなわれます。
COVID-19の感染に対する入試上の配慮も
いろいろとあるはずです。
今年の大学入試の状況は、
複雑な状況になっています。
3月は、卒業のシーズンです。
今年は学位授与式だけはおこなわれますが
式典だけで、謝恩会や祝う会など
宴席はありません。
いつになったら平常に戻るのでしょうかね。


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