地球のつぶやき
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Essay■ 241 地質哲学:メタと哲学と
Letter ■ 進化理論の構造・除雪と排雪


(2022.02.01)
 地質学に関する哲学として地質哲学が考えられます。また、大局的に考えるメタ的方法はすべての対象に適用できるので、メタ地質学も用語としてできます。両者は同じなのでしょうか。それとも違っているのでしょうか。


Essay■ 241 地質哲学:メタと哲学と

 「メタ」という概念があります。「メタ」とは、その後につく語句自体を対象としたり、もう一つ上の階層から考えていくことになります。「メタ地質学」とは、地質学とはどんな学問なのか、他の自然科学とはどこが同じで、何が違うのか、など、地質学をより大局的に迫ることです。あるいは、より高次、より上の階層からみることを意味します。ある概念をその概念に適用するような場合です。ある物事を大局的に考えるとき、その物事例えば、論理学という学問をひとつの概念としてとらえ、その論理学全体を論理学的に考えていくことになる。そのような論理学を「メタ論理学」ということになります。「メタ」的な見方は、その概念、体系、学問をより俯瞰的に考えるために重要な視点となります。
 現在、私は、地質哲学に取り組んでいることを、何度が述べてきました。そもそも地質学に関する哲学的なアプローチがあることを知ったのは、3人の先達の存在でした。いずれも直接合うことはなく、著書を通じての薫陶を受けました。
 ひとつは、井尻正二の「科学論」(古生物学論, 1949より改訂)でした。哲学が自然科学の考え方に影響を与えられることを知りました。井尻氏の一連の哲学的思索は、ヘーゲルが中心になっていることに少々疑問を感じました。
 もうひとつは都城秋穂「科学革命とは何か」(1998)でした。「地質学の巨人」都城氏が、科学哲学の方法論を整理し、モデル化できる物理学とは地質学は異なっていること、地質学は複雑で検証できないので傾向的法則になるということを指摘しました。地質学の学問的特徴を、このように哲学するというメタ的取り組みがあることを知りました。
 そして3人目が、ステファンJグールドでした。グールドの一連の地質エッセイでの思索の深さ、一次資料への執念、教養のすごさを知りました。そしてその教養を受けいられる欧米人の知的レベルの高さにも圧倒されました。グールド最後の大作「The Structure of Evolutionary Theory」(2002)は入手していたのですが、英語での壁もあるのですが、圧倒的な物量で読めていませんでした。しかし、最近翻訳され「進化理論の構造 I ダーウィン以前から現代総合説まで」と「進化理論の構造 II 断続平衡説と大進化理論」(2021)として出版されました。翻訳のおかげで読める状況になったのですが、その分厚さにただ圧倒されてまだ読めずにいます。
 このような3名の地質学の巨人の影響を受けて、地質哲学を目指しています。
 「地質哲学」を用いた研究は学術論文検索サイトで検索してみたのですが、科学史的なものはいくつか見つかるのですが、哲学的思索は見つかりません。少なくとも日本では、地質哲学に学術的に取り組んでいる報告はあまりなさそうです。
 では、地質哲学とはどのようなものでしょうか。それを考える前に、まず、哲学と科学の関係について見ておきましょう。
 自然に関する深い思索は自然哲学と呼ばれ、古くは古代ギリシアからはじまっています。古代から中世にかけては、主に哲学者が自然に関して考えていました。近世になるとルネサンス(15世紀)にはダ・ヴィンチやコペルニクスが出てきて、近世の後半(16世紀)になるとガリレオやケプラー、ニュートンなど物理学(天文学)が科学として出現し、17世紀にはパスカル、ホイヘンス、ボイル、ドルトンが化学を、ハーヴェーやレーウェンフックが生物学をはじめます。同じ頃、ベーコンが帰納法をデカルトが演繹法を唱え、科学的方法論が生まれます。しかし、彼らはすべて自然哲学者と呼ばれていました。
 なぜなら科学者という言葉がなかったためです。ヒューウェルが1834年に科学者(scientist)という造語をつくるまでは、自然に関する科学的営みは、哲学的営みの一貫とされ自然哲学者がおこなっていることになっていました。デカルトは太陽系の形成を宇宙論として、光学や気象学を論じています。またパスカルは「パンセ」などで哲学的な思索をしていました。
 同じ人がするしないは問わず、科学と哲学は一連の営み、近接したものであったのです。しかし、現在では区分され、携わる人も分科してきました。科学と哲学が別々に営まれるようになって、200年も経っていないのです。
 科学と哲学を合わせて考えるために、科学哲学というものがあります。当然、個々の科学分野で、物理哲学、化学哲学、生物哲学がありますが、最初に述べた地質哲学はありません。
 では、科学哲学とは、どのようなものでしょうか。それは、科学(物理、化学、生物など)という学問を対象とする哲学的思索です。その内容は、科学の本質、科学の限界、科学的方法に関する思索、あるいは哲学的観点の違い(還元主義、構造主義、構成主義、実証主義、論理実証主義など)で論じるものなど、さまざまなものがあります。地質学に関するものはありません。
 地質学は基礎科学(数学、論理学)と手段として物理学、化学、生物学を用いる総合的、学際的な体系になります。しかし、哲学的思索が不要なのでしょうか。地球環境、地球と人の関係、宇宙における人類の存在、などを考える時、地質学は必要な学問になるはずです。そこには哲学的思索も含まれています。ですから、地質哲学は必要なはずです。
 しかし、私が目指しているのは、地質学がもっている本質的ですが、地質学固有の視座、例えば、過去の時間や過去の記録となにか。地球に流れる時間の不可逆性について。地質学の扱う時間には再現性があるのか。化石から生命活動を読み取るとはどういうことなのか。異常な現象(火山噴火、大洪水、大絶滅など)のみが記録され、日常は記録されない。そんな地質学的記録から、過去の本質を読み取っているのだろうか。化石が過去の生物と証明できるだろうか。こられは、地質学で科学的方法を用いて進める上で、地質学者を常に悩ませている課題です。それらの課題に哲学的思索を進めていけば、地質哲学になっていくではないだろうかと考えています。
 最初に述べた「メタ」という用語から、「メタ地質学」という言葉ができました。では、地質哲学=メタ地質学でしょうか。
 私は違っていると思います。地質哲学は、上で述べたように、地質学という学問において、固有の基本的概念、本質的な属性を抽出して、深く考えていくことだと思います。メタ地質学には地質哲学の内容も含んでいいのですが、外側や上位階層から見ることが主眼になっており、地質学の学問としての本質を探求してるわけではないように見えます。つまり目指す方向性が異なっていると思えます。だから、私は地質哲学を目指します。


Letter■ 進化理論の構造・除雪と排雪 

・進化理論の構造・
グールドの「進化理論の構造」の翻訳が
昨年11月に出版されていましたが。
12月まで知りませんでした。
これで日本語で読めると早速注文しました。
ところが、その分厚さは圧倒的でした。
読む前に写真に取ってしまいました。
英語版と比べてみたのですが、
文字のサイズもあるのでしょうが、
日本語版のほうが厚くなっていました。
紙版しかないのですが、
できればデジタル版があればいいのですが、
まで出ていないようです。
もしかするとこれまで私が考えてきた思索が
この本の中にすでに書かれているかもしれません。
少しずつでもいいので読んでいきましょうか。

・除雪と排雪・
大雪で道が狭く、あちこちで車が埋もれる
トラブルが頻出していました。
しかし、先週末、わが地区ではやっと除雪が入ました。
道路の轍と雪のぬかるみが解消されました。
これで、安心して車を出すことができます。
地区によってはまだのところもあります。
狭い道に入り込んだら、先の状況も不明で、
戻ることもままならないところも
まだ残されていそうです。
排雪がはじまってきたので
後しばらくすれば、安心できるのですが。


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