地球のつぶやき
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Essay■ 231 しがらみと好奇心と:初心は何処に
Letter ■ 歪んだ科学への対応・初心を思い出せ


(2021.05.01)
 科学を、金や名誉のためにおこなっている人もいるかもしれません。そもそもは好奇心によって、科学に目覚めたのではないでしょうか。そんな好奇心がしがらみの前では、隠されてしまっているのでしょうか。


Essay■ 231 しがらみと好奇心と:初心は何処に

 かつて地質学は、野外調査から研究をスタートしていきます。自然との接触を通じて、記載し試料を採取していきます。記載からその地の地質状況を把握し、試料から各種の観察、分析、計測をして情報をえることを基礎情報にしていました。しかし、これは昔の話かもしれません。
 現代の地質学では、先端の大型装置(大型望遠鏡や探査機)や高性能装置(Spiring 8)や、巨大プロジェクト(深海掘削や局地調査)など、個人ではできない手段や分野も手掛けることも増えてきました。これは「学際的」になってきことを意味します。
 私がおこなっている地質学は、基本はひとりでおこなっています。それは、野外調査からはじまります。野外の露頭での岩石や地層から読み取った大地の営みのダイナミズムは、感動を受けます。それに比べる自分や人間のささやかさ、・・・など、あれこれ自然の中で考えてしまいます。露頭からはじまる思索を、現在の中心テーマにしています。
 私も「学際化」を進めていますが、ひとりでおこなうものです。野外の露頭という身近な素材から、素朴な感覚、感性からえられるインスピレーションを大切にしています。そこから、地質学固有の考え方や概念などを、深く掘り下げていこうとしています。そのときに哲学や論理、数学などの他分野の考え方を導入することで内容を「学際化」していこうとするものです。ひとりでの「学際化」を目指しています。
 自然の中で石を見ることは、なかなか気持ちのいいもので、野外にいくとストレスやしがらみから開放されるので、のびのびします。そもそも地質学だけでなく、科学あるいは研究とは、好奇心に触発された事柄について、科学的・論理的手順で調べていくことで、これまでにない新知見を見出していくことです。科学的手順とは、対象となる事物や事象を観測し、測定し、定量的もしくは定性的な情報をえて、それを解析していきます。その過程で、新たな知見を見出したり、これまでにない概念を抽出したり、あるいは手段として、新しい測定技術を適用したり、時には目的のために新しい装置を開発することもあります。いずれにしても、これまでにない何らかの新しい知見、方法、考え方や概念などを、科学界に提示します。その一連の過程を科学的手順といいます。
 近年、多くの装置は、科学技術の進歩やコンピュータやアプリケーションの発展で、より簡単な操作で、より精度の高いものがえられるようになってきました。科学技術の進歩は眼を見張るものがあります。しかしかつては、専門の訓練を受け、ひとつのデータを出すために長い日数がかかったり、データの精度が科学者の腕によって変わったりしていました。それが現在では、訓練を受けていない学生でも、コンピュータ制御で大量に高精度のデータが出せる時代になりました。これは、昔、苦労してきた研究者が、こうなれと望んできたことなので、喜ぶべきことでしょう。
 苦労が軽減したら、科学者は、その分、なにをなすべきでしょうか。それは、装置や研究条件を活用する研究テーマを考え、成果を挙げていくことでしょう。その条件が、他の研究室にないものであれば、最もその利点を活かすテーマを考えていくことになるでしょう。
 研究でえられたこれまでにない新知見には、本来は優劣はないはずです。しかし、その成果(論文のこと)が、科学的に正しいかを学会発表で議論したり、世に残すに値するかを評価して(査読制度)、客観的に成果を判断をする仕組みがつくられています。そのような科学的評価の仕組みが、各分野の学会として存在しています。
 現代は、科学を職業としている人口が増えているので、科学の成果を評価する仕組は、より強化されます。学会誌のレベル、あるいは成果が他の研究者にどの程度の役立っているのか(引用)によるランクを付けなどをして、客観的評価としています。
 優秀な研究者でもあって、一生のうちに一級の研究成果を、多数、報告をすることはほとんどありません。また、どれが一級の研究成果になるかは、テーマ設定の段階で、事前にわからないことも多く、最先端や新分野のテーマほど、なかなか予定通り、予想通りにはいかないことも多くなります。
 それでも、数年のテーマとして取り組んだ研究であれば、なんらかの成果報告をしていきます。今後の研究の持続性を考えると、成果として報告をしたという実績、そして質より量がものをいう場面も多々あります。いきおい質より量の業績数も稼ぐことが重要になっていきます。
 業績を稼ぐには、研究の戦力になるを人材を集めていくことも重要でしょう。人材とは、学生や大学院生、期限付き研究者、研究助手、技術支援者、あるいは共同研究者などです。研究で好条件があれば、優秀な人材も集まるでしょう。結果として、成果もたくさん挙げることができるしょう。成果が多ければ、時には一級の結果もえることがあるでしょう。すると、さらによい装置、より優秀な人材などが集まり、より多くの成果を出せることになるでしょう。成果が挙がれば、研究費も増え、ますます優秀な人材も集めることができるでしょう。
 この好循環が続けば、その研究室は一流となっていき、優秀な人材を輩出でき、他の組織へも供給することになり、共同研究者も増えていくことなるでしょう。これが、多くの科学者、研究室が目指す状態でしょう。
 現代の科学者にとって重要な役割は、研究室の装置や条件をよくして、優秀な人材を多数集めて、最先端のテーマで多くの成果を出していくことでしょう。現代科学では、このような進め方をしたり、目指していることでしょう。成果を上げている研究者は、充実感、達成感もあり、名誉欲も満たせ、新しい好条件がえられることになるでしょう。
 このように見ていくと、大きな研究を進めるためにには、純粋に科学の営みとはいえないような政治的、経済的、組織的な要素も多くなってきていくようです。中心的な研究者は、純粋に研究能力だけでなく、そのような能力にも長けていければならないのでしょう。現代の科学の多くは、このような方向に進んでいます。これまでの経緯や「しがらみ」から、致し方ないことなのでしょうか。
 そのような科学の「しがらみ」の影には、研究費確保で提示したテーマを限られた期間内で達成するため、組織が疲弊していくこともあるでしょう。中には、ストレスのため潰れていく人材もいるでしょう。目標を達成できず、好循環が切れることもあるでしょう。時には、不正を働く人も出てくるかもしれません。ニュースになっていることもありました。大きな研究を進めていくには、このような影の部分もあるようです。
 自分の立ち位置を確認するために、科学の原点、根本的問題に立ち返ることが重要ではないでしょうか。それは、このエッセイの一番最初に書いたように、科学とは好奇心に基づいておこなわれる、という地点です。不思議だと思うこと、興味を持ったこと、面白いと思うことだからこそ、困難があっても乗り越えられるのでしょう。そんな純朴な好奇心は、多くの研究者は、ずっと心の中に持っているはずなのです。でも、「しがらみ」のために、心のどこか奥底に埋もれしまってるのではないでしょうか。時には、その地点まで戻る必要があるのかもしれません。多くの科学者に、このような好奇心がどこかにいってしまったように見えてしまうのは、私だけでしょうか。


Letter■ 歪んだ科学への対応・初心を思い出せ 

・歪んだ科学への対応・
今回のエッセイは、少々長くなりました。
地震と原子力に続いて、最近はCOVID-19でも
科学の無力を、日々、見せつけられています。
科学や技術などに携わっている人は、
最終的には人や社会のためになることを
願って進めているはずです。
そんな科学の成果が歪められていること、
経済や政治に誤用、御用化されていること
メディアのネタや悪意にさらされていること、
そんあことを忸怩たる思いをしているはずです。
そんな歪んだ科学への対応が心配です。

・初心を思い出せ・
コロナウイルスの第4波が全国に広がっています。
中途半端の対策での封じ込めの失敗、
病院や医療従者の手当や援助、人手の不足、
ワクチンの手配の遅れ、など、
原因をあげればキリがないほどの
失策が繰り返されているようです。
国民の反対を押し切って
オリンピックはおこなうと立場だけは堅持しています。
どこでこんな状態が生まれたのでしょうか。
このエッセイで述べたように
研究者のしがらみと初心のズレと
同じ構図がみてきそうです。
政治や行政を志す人も
初心を思い出していただきたいものです。


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