地球のつぶやき
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Essay■ 反証可能性:悪魔の代弁者
Letter ■ 解答・新しい生活様式


(2021.03.01)
 日常生活では、何事もなくなくても、特別な状態、条件の時には、通用しないことがありえます。そのような落とし穴に落ちないために、悪魔の代弁者という考え方があります。


Essay■ 反証可能性:悪魔の代弁者

 ものごとを、ひとつの方法論や考え方で突き詰めていくことは重要です。しかし、そこに大きな落とし穴が潜んでいることもあります。そんな落とし穴について考えいきます。
 まずは、以前、紹介した例からはじめましょう。
 数列を探るというクイズです。出題者がある規則で3つの数字を並べます。解答者は、その規則を探っていきます。その方法は、解答者が3つの数列を提示し、その数列が出題者の規則に合ってればYesと答え、違っていればNoと答えることにします。その繰り返しで、解答者が主題者の数列を探るというクイズです。
 まず、出題者が次の数列を提示しました。2 → 4 → 8 そして、解答者Aは、4→8→16:Yes、8→16→32:Yes と答えました。解答者Aは、偶数、もしくは2の何乗が規則だと考えるはずです。両者のどちらかを決めるためには、2→4→6、1→2→4 という数列を順番に出していけば、決定できるはずです。
 しかし、もし出題者が、両方ともYesと答えらたどうしましょう。あるいは、もうひとり別の解答者Bが、同じ出題に対して、1→3→5 という数列を出して、Yesという答えが帰ってきたら、どう考えますか。混乱をきたすでしょう。
 よく考えた人が、3→8→100 という数列を出して、出題者がYesと答えたら、その規則性は、小さいものから大きいものへと順に並べるというもののはずです。
 これらのことから、クイズの答えをえるためには、規則性を予想して、それに合った数列をつくり、質問していくことになります。もし、出題者の規則性が、解答者の想定した規則性を含む、もっと広いものであればどうなるでしょうか。いくら数列を出してもYesとなり、本当(真)の答えはえられません。先程の例でいうと、2の指数乗(1は例外として含む)、偶数、増加する数、という規則性は、順により広いものになっていました。
 ここまでは、以前紹介したものを変形したものでした。
 解答者の想定した規則性が本当かどうかを確かめるためには、想定した規則性に反する数列を示して、出題者のNoの答えをえらえれば、検証になります。ちなみに、9→3→8 という数列も、Yesです(この規則の答えは下のLettersにて)。このようは考え方は、「逆問題」や背理法と呼ばれる考え方です。
 なぜ、このような考え方が必要なのでしょうか。正しいと考えられていることを確かめるために、その規則性の中で検証をしていたとしたら、それは真に正しい答えではありません。このようなことが、日常生活のなかで起こっていれば、避けられないような落とし穴となるでしょう。
 「検証されているから」と、「規則性から外れるようなことは起こらない」という前提ができていると、そこから大きな間違いが生じることがあります。真ではない規則性に基づいて、ものごとの考えられたり、組織や社会が運営されていたとしたら、そんなことは起こらないという前提でシステムが組まれていたら・・・。
 そのような事態が起こったときには、「想定外」となって対処ができないことになります。日本の政治や行政システムにはこのような落とし穴がありました。2011年3月11日以降の原発事故のとき「想定外」という言葉を度々聞きました。他にもありそうで、不安ですね。
 そんな落とし穴を回避するためには、どうすればいいでしょうか。
 アメリカでは、大統領候補者同士が議論するディベート(debate)と呼ばれる方法があります。両者の考え方の違いをはっきりとさせること、また議論を通じでどちらの考えがいいか、などの判断に利用されています。学校の教育の一環として、ディベートで競うという訓練がなされ、議論の技術を磨いています。ディベートのテクニックとして、「悪魔の代弁者(devil's advocate)」と呼ばれる方法があります。ある意見の側に対して、反対や批判する側の役割を担う人たちのことです。
 悪魔の代弁者とは、もともと西洋では、宗教的な方法論としてありました。信心深い信者や故人に対して、聖人などの地位を与えるのを審議するために、その人の至らない点を指摘していく人のことを指しました。そんな指摘を受けることで、客観的に、そして公正に選ばれたとことを示していました。まあ、起こりは宗教的な儀式ではあるので、論理的正しさはないのですが、その方法論や視点は重要です。
 このような方法は、科学哲学者のポパーが提案した「反証可能性」というものに繋がります。それは、自身の考えを否定するような仮説を立てて、その仮説が否定されることで、検証していこうという考えです。ポパーがこの説を唱えるために影響を受けた例として、アインシュタイン自身の一般相対性理論に対して、真偽を確かめるための実験を提示したことがありました。この実験は、難しいもので、すぐには実現できませんでしたが、日食のとき観測されたことで、理論の正しさが検証されました。
 実際の場合には、反証可能性を提示してものごとを考えたり、反証を検証することはありません。なぜなら、人は自分の考えを、あえて否定するような考えを提示することは、生理的に嫌うからです。背理法も、数学ではテクニックとして用いますが、実社会や生活に導入するには抵抗があります。ですから、多くのものごとは、自身の考えている規則性で、その考えの中だけで検証された規則性から成り立っています。私たちは、そんな世界に住んでいます。
 ですから、せめて、今「正しい」と思っていることは、危うい砂上の楼閣であることを心して置く必要があります。至るところに、悪魔が潜んでいる可能性があり、落とし穴がありそうです。
 最後に一言、もし、反証可能性の考え方も、論理的に反証されれば、この方法論も間違っているということになります。これは、自分の示した方法で、自分の方法論を否定することになる、という自己矛盾を孕んでいます。いったい何が正しいのでしょうか。混乱してきます。


Letter■ 解答・新しい生活様式 

・解答・
本文で示した3つの数字の規則性を当てるというクイズは、
なかなか含蓄がありました。
本文の例、数列 9→3→8がYesでした。
その答えは、ばらばらの数字を並べるというものでした。
では、もし出題者が 9→9→9 にもYesと
答えたらどうでしますか。
その規則性は、もう見抜けますよね。
ご自身で考えて下さい。

・新しい生活様式・
3月になり、東京周辺はまだ緊急事態宣言の中ですが、
それ以外のところでは、解除され、
感染がだいぶ治まってきたように見えます。
その結果、規制もだんだんゆるまってきました。
北海道も一部地域では時短が要請されていますが、
そのような地域への不要不急の往来は自粛となっていますが
それ以外のところでは、感染リスクを回避する行動をしながら
通常の生活に戻るようになってきています。
自粛生活が当たり前となっている間、
不要不急の行動が、以下に多かったかに気付かされました。
活動的な若い人には、自粛は厳しいでしょうが、
私には、淡々としたシンプルな生活で
十分なような気もしてきました。
これは、Withコロナの生活でしょうか。
ワクチン接種がはじまり、広く接種が行われれば、
Withoutコロナの生活が戻ってくるのでしょうか。
それとも新しい生活様式が生まれるのでしょうか。


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