地球のつぶやき
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Essay■ 220 自粛と独学:ピンチをチャンスに
Letter ■ 本の執筆を・論文の執筆を


(2020.05.01)
 新型コロナウイルスは、猛威を現在も奮っており、感染するかという不安を常に陥れられています。自衛として自粛をしる限り、感染の可能性は最も低いはずです。自粛という逆境を利用して、次なる飛躍を目指しましょう。


Essay■ 220 自粛と独学:ピンチをチャンスに

 世の大人は、自分の目で世の中を見て、自分の頭で考え、自身で判断し、そして自分で行動してきました。ところが、小さい子どもなら、親や先生が見方を教え、考え方を教え、判断の仕方を教え、そして行動するように指導していきます。それまで一人でできなかった子どもも、長い期間練習し学ぶことで、だんだんと一人でできることが多くなってきます。やがて、すべて一人できるようになると、社会に適応したことになります。そして、一人前になったとして、社会にでていきます。それが大人になることでしょう。
 ただしこれは理想であって、現実はそうではありません。昔の日本では小さいうちから社会に出され(例えば、丁稚奉公として)、ひとつの職種で一人前になることが最優先されてきました。その修業の一環で、大人になるための教育も同時に進められてきました。それでも、充分社会常識や生きる力が身についていました。
 現在では、社会が複雑になっており、学ぶべきことも多様になっており、系統的な学びを進めていかないと、適応力が身につかなくなります。現在の日本では、義務教育が9年間ですが、多くの子どもたちは、高校から大学まで、7年間の学びを継続していきます。さらに専門家を養成するためには、大学院で2年から5年の学びを続けます。高度の専門性を身につけるためには、少なくとも、21年の学びが必要になるということです。
 本当にそんなに時間が必要でしょうか。特化した学びはもっと短時間で習得できるのではないでしょうか。例えば、丁稚の小僧が、見よう見まねで、仕事を覚えていくのですから、専門学校での集中的な教育なら、少なく2、3年で専門的な知識や、技術を身につけられます。より高度、より専門を望めばキリがありません。でも、一般的専門ならば数年で身につけられるということでしょう。
 ところが、こんなに長い時間をかけて学んだことが、社会に出た時、活用できるかどうかは、また別の問題です。実際に社会で使ってみることです。昔の丁稚は実際の現場に立ち、師匠の手助けや小間使からはじめて、現場のことを覚えていきまし。ですから、学びが最初から実用的な技術であり、知識でした。丁稚の特化した技術なり知識の習得では、実用的、即戦力はありましたが、体系化された学びではありませんでした。学習者自身の中で学んだことに対しての応用力、つまり知識の普遍化、一般化が必要になるはずです。そこには個人の能力の違いが、大きく反映されたでしょう。大きな発展や、独創性は、個人の能力に依存していたことでしょう。そのような才能はまれでしょうから、発展には長い時間が必要になることでしょう。
 現代の教育は、だれでも一定の努力をすれば、体系的な学びから、普遍化、一般化された応用力まで身につけることができるようになっています。そのために、16年から21年にもおよぶ多くの時間が必要になっているともいえます。現代の教育は、何かに特化した専門家や、どんな専門にも対応可能なジェネラリストの養成も、いずれにも対応したシステムであるといえます。
 昔ながらの学びと現在の学びのどちらがいいかは、どちらにも一長一短があり、一概にはいえません。
 そんな中で、学び方を知っているかどうかが、重要ではないでしょうか。現在、学校教育ではアクティブ・ラーニングが導入され、能動的に学ぶことが推奨されています。能動的に学べば、「学び方」が身につき、学校で教わらないことも、自身で学ぶ方法、「独学の方法」が身についていくことになります。独学は、回を重ねるほど学びの速度は上がるはずです。ただし、たっぷりの時間と心に余裕がないと、独学をはじめ、目標を達成することは難しいかも知れません。
 さて、2月下旬からの新型コロナウイルスの流行により、緊急事態宣言が発令されてから、自粛生活が日本全国でおこなわれてます。特に感染者が多数だったり、増えている地域では、自粛への呼びかけも活発で、ストレスも溜まっていることと思います。北海道も、その対象地域となっています。
 幸いながら、私は、自粛のストレスはありません。それを説明するまえに、そもそも自粛のストレスとは、どうして溜まるのかを考えていこうと思います。自粛のストレスは、動けない、移動できないという束縛感、あるいは不自由感から来るのではないでしょうか。
 同じことをしていても、意に反することであれば、ストレスになり、好むことであれば楽しみになります。例えば、学校の授業でも、楽しく面白いと思い興味を持っていれば、60分であろうと90分であろうと、あっという間の時間に思えるでしょう。一方、つまらないと思っていると、たとえ45分30分でも退屈な時間になるでしょう。まして、強制された学びなら、10分も耐えられないでしょう。
 同じ行動や作業でも、心の持ちようで、時間経過の感じ方が、大きく変化してきます。そして、心の持ちようによって学習効果、習得率も異なってくるでしょう。同じ時間を過ごすのであれば、能動的に、興味をもっていれば、有意義になり、充実したものになるはずです。
 インターネットへの常時接続の家庭やアパートなども多くなり、接続時間や接続容量などを気にすることのない人も多くなっていると思います。それを利用して大学の授業は、少なくとも5月中はネット配信でおこなうことになっています。ですから、自宅での独習、自習という、自発性の高い学習がしばらく行われることにことになります。その時、心の持ちようの差で大きな学びの差ができるでしょう。
 5月上旬まで緊急事態宣言の中です。ゴールデンウィークであっても、児童、生徒、学生でない人も、自宅での自粛や自宅勤務で過ごす人も多いはずです。時間はたっぷりあるはずです。そんなとき、独学がいいのではないでしょうか。今まで時間がないことを理由に後回しにしてきたことを、この機会にはじめてみてはいかがでしょうか。
 幸い、経済活動が停滞している中ですが、宅配で書籍の入手も可能ですし、デジタル書籍なら即座に入手できます。さらに、インターネット上にもいろいろな学習サイトもあり、YouTubeなどには動画で学べるサイトも多数あります。独学にはうってつけの条件、環境ではないでしょうか。今回の新型コロナウイルスというピンチを、自身の独学のチャンスに変えてはいかがでしょうか。
 もし、そのような独学の時間を過ごせれば、有意義な時間になるでしょう。もしかすると、自粛の時間では足りないほどの独学ができるかもしれませんね。

【私の独習】
このように独習の必要性を述べている私は、どんなことを学んだのでしょうか。少し紹介しましょう。2月辺りからある数学の必要性を感じていたのですが、学ぶ時間がなく、どうしようか考えていました。そんなとき、2月末の北海道緊急事態宣言で、3月上旬の帰省の中止し、大学の集中講義も、すべての行事も中止となりました。私は独学で、数学を学び直しをすることにしました。学び直しとはいっても、ほとんど忘れているので、初めて学ぶのとかわりませんでした。ただし、次の論文や本で概念を展開する時、数学の概念が非常に重要だと思いつきました。そこで数学の学び直しをすることで、概念を理解して、地質学に応用しようを考えたのです。その時間とチャンスができました。
フーリエ変換の基礎については、ほぼ終わりました。突き詰めるとかなり深い内容で短時間では無理ですが、私は触りだけ、概念の理解でよしとしてます。またフーリエ変換に必要な、微積分や三角関数も、基礎の学び直しはおこないました。テイラー展開もだいだい押さえました。そして、現在、本と論文の作成に取りかかっています。非常に充実しています。


Letter■ 本の執筆を・論文の執筆を 

・本の執筆を・
いつもなら、夏前後に完成するはずの本の原稿が、
4月9日には完成してしまいました。
現在、本来なら編集のし直しだけのつもりだった
最初本の修正ですが、大幅改訂の作業を進めています。
現在、大量のデータを収集し処理して、
大幅に書き換えを進めています。
できればゴールデンウィーク中に、データ処理は終えて、
ゴールデンウィーク明けにはからは、
増補部分の執筆に入りたいと考えています。
自粛の時間は、充実していて、ありがたく思えました。

・論文の執筆を・
独学で進めてきた、数学の学び直しですが、
次の論文のための、道具が手に入った状態です。
この数学の道具が、概念化されて地質学に
落とし込むことが、次なる課題となります。
大変ですが、だれもおこなったことのない試みなので
ワクワクしながら、時間がもっとあれば
と思ってしまいます。


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