地球のつぶやき
目次に戻る

Essay■ 212 両忘:未解決問題に挑む
Letter ■ 野外調査・数学 


(2019.09.01)
 相対立することは、よくあります。結論がでないのであれば、未解決として、先送りできばいいのですが、そうもいかないことが多々あります。未解決問題の対処に、両忘という考えがあります。両忘をした孤高の天才数学者がいます。


Essay■ 212 両忘:未解決問題に挑む

 数学の世界は、大部分の場合、正誤をはっきりさせられるものから構成されています。また、解をもたない場合もありますが、その時にもはっきりとした「答え」があります。例えば、
  f(x)=a・x
という方程式を考えましょう。
  a=0 かつ f(x)=1
であれば、この方程式は、xについての解はありません。そのような場合、「不能」という「答え」になります。また、同じ方程式で、
  a=0 かつ f(x)=0
となる場合、xについての解は定まらないので、「不定」という「答え」になります。
 数学では、解がなければ「不能」、解が定まなければ「不定」という「答え」があることになります。それ以外で、まだ解がわかっていない、まだ証明がされていない問題は、「未解決」となります。問題が未解決とはっきりしているので、あとは解く努力がなされることになります。
 フェルマーの定理やポアンカレ予想など、有名な未解決問題がありました。フェルマーの定理は、1995年にアンドリュー・ワイルズによって、正しいことが証明されました。ポアンカレ予想は、2002年にグリゴリー・ペレルマンよって解かれました。ワイルズに関する本を読んだのですが、フェルマーの定理の証明は、取り組んでいたことを隠していました。まともな数学者は、フェルマーの定理などには挑まなかったようです。証明を投稿した後も、検証の過程で課題が見つかったのですが、なんとか解決することができました。
 数学には、他にも未解決問題は多数あり、有名なものでは、P≠NP予想やリーマン予想などがあります。ポアンカレ予想やP≠NP予想、リーマン予想などは、未解決な「ミレニアム問題」として、2000年に7つ提示されました。ポアンカレ予想以外の他の6つは、今も未解決のままです。数学では未解決問題は存在しますが、「未解決」であるとわかっているので、まあ白黒はついていませんが、「灰色」とはっきりとしているといえます。
 ところが、世の中、物事には、白黒がはっきりしないことが多々あります。ある状況に関しての苦楽などの感じ方は、自分自身のことであっても変わります。同じ状況であっても、精神的に安定していれば楽しく思え、精神的に疲れていれば苦に思えることもあるでしょう。行為の善悪でも、ある人の行為が、見る人によって、善いことと映ったりしたり、悪いことと見えることもあるでしょう。これは、状況や考え方などにより、判断基準がいろいろありうるためでしょう。
 さらに言えば、万人に一致した基準があったとしても、その基準に白と黒の間に漸移する灰色の部分があれば、灰色とはいっても濃淡があるので、人によって想像している灰色は違っているでしょう。灰色の濃淡部を定量化できればいいのですが、世の中の物事の判断には、定量化できないことが多くあります。ところが、灰色であっても判断をしなければならなかったり、議論して結論を出したりしなければならない場面もあります。そんなときは、困ってしまいます。
 議論する時には、どうしても自分の基準が中心にあり、そこから相反する人の意見をみてしまいます。相反する意見の側には、別の基準があるはずです。人の基準より、どうしても自身の基準に従ってしまいます。
 決着の見ない議論をしているときは、参加者全員に消耗してしまいます。時には、相手に対して、感情的な不快感や敵意さえ抱いてしまうこともあるでしょう。行き詰まった局面を、どのようにして解決すればいいのでしょうか。数学の世界なら、未解決問題として先送りすことができました。しかし、社会や組織などの現実においては、先送りできない課題もあります。
 禅の世界にひとつの考え方があります。「両忘(りょうぼう)」という考え方です。これは、対立する両者の論点を、忘れてしまうこといっています。善も悪も、苦も楽も、一旦忘れ去ってしまいます。そうすることで、相対立する場から脱出することができます。執着や確執、感情も、いったんゼロにリセットします。
 その後、ゼロから再度、皆で考えていきます。あるいは、そもそも異なっていた基準についての話し合いから、はじめることも可能でしょう。一見、遠回りに見える考え方かもしれませんが、もしかすると、そのほうが近道なのかもしれません。
 さて、数学の未解決問題に戻りましょう。ポアンカレ予想を説いたペレルマンに関する本を読んだり、NHKのドキュメントも見たことがあります。彼は、小さいときから天才的で、大きくなってからもその能力は継続していました。数学者として、人との関わりも普通にもてていました。
 ところがポアンカレ予想を証明の公開のあたりから少々変わった行動をするようになりました。証明論文は、査読があるような学術雑誌ではなく、arXiv(アーカイヴ)というサイトに、2002年11月に投稿されました。arXivは、理数系の論文を無料で投稿でき、無料で閲覧できるところでした。そこは、一般的な査読のある学術雑誌のような公式の場ではありませんでした。また、ペレルマンは証明したことを講義で説明をおこなったこともあるのですが、専門が違っていたり、物理学の手法を使っていたりしているので、聞いた数学者にも全く理解できなかったようです。
 非常に難しい問題の証明だったので、ペレルマンの論文が正しいかどうかを、3つの数学者チームが長い時間をかけて検討しました。その結果、2006年に正しいということが報告されました。
 ミレニアム問題には、クレイ数学研究所から、懸賞金(100万ドル)がかかっていました。ポアンカレ予想にも懸賞金がかかっていたので、ペレルマンに、それ送ることが決定していました。さらに、数学のノーベル賞ともいわれているフィールズ賞も、ペレルマンに与えることになっていました。しかし、「自分の証明が正しければ賞は必要ない」といって、いずれも辞退しました。フィールズ賞の辞退は初めてのことでした。懸賞金もフィールズ賞も、数学者にとって、願っても得られない大金あり、数学の世界での一番の栄誉です。しかし、ペレルマンには、金も賞も「両忘」となったようです。
 ペレルマンは、2005年12月にそれまでいた研究所に退職届を提出した後、顔を出していません。そして世間からも姿を隠しました。研究所退職後、世間との交流をまったく断っているようです。彼は、なにものにとらわれない、孤高の数学者になったようです。今も未解決問題に挑んでいるといいのですが。


Letter■ 野外調査・数学 

・野外調査・
このエッセイは予約配信しています。
現在は、野外調査に出ていて、
終盤に差し掛かっています。
今年の野外調査は、山陰地方にでています。
昨年も同じところへ行く予定を組んでいました。
ところが、前日起こった北海道胆振東部地震と
その後の全道停電でいけなくなりました。
地震の直前には、台風による被害もありました。
昨年、北海道は散々な目に会いました。
昨年のことですが、ずっと前のような気がします。
今年は、無事調査が終わることを願っています。

・数学・
高校時代までは数学は、
好きで得意でもあり、興味もありました。
しかし、大学に入った頃、一気に興味が遠のきました。
受けた数学の授業では、
応用は各自おこないなさい。
時には、証明については
各自でおこなっておきなさい、というものでした。
大学に入って、気の抜けていた私は、
受験生のときには、全く接することができなかった
野外へと興味が移っていました。
数学は、少しさぼるとついていけず脱落しまし。
北海道の自然の素晴らしさに魅入られました。
それ以降、自然に接する野外調査が
研究の中心になっています。


目次に戻る