地球のつぶやき
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Essay■ 197 赤いニシンが蔓延
Letter ■ 若者のニュース離れ・ネット情報


(2018.06.01)
 赤いニシンとは、イギリスの食べ物のことです。赤いニシンは、違う意味にも使われることがあります。最近は、世界中に赤いニシンが出回っています。そして一番身近にたくさん見かけるの日本のようです。


Essay■ 197 赤いニシンが蔓延

 科学の世界では、研究成果を報告をするとき、その仮説や説明には論理性がなけければ無効であるという、当たり前の条件があります。ところが科学者が全員が、論理学の訓練を受けているわけではなく、経験的に学んでいくところもあります。もし論理の使用間違いが起こっても、それは故意でないはずです。
 研究成果の報告に、間違いをなくすためのいくつかの歯止めが用意されています。研究者になるための訓練の中で、指導教員によって論文の書き方、添削をかなり厳しく受けていくことになります。指導教員が連名の場合は、変な論文を投稿すると、自身の指導力が問題視されれしまうので、非常に丁寧に添削がなされていきます。指導教官も善意のもとに添削指導を行っています。
 このような善意のもとに成果報告のために、さらに査読というボランティア制度があります。学会誌でも商業誌でも論文を掲載する雑誌は、査読制度を厳重にすることで、間違いを減らす努力がなされています。雑誌によっては、査読制度で、論理の正しさだけでなく、その雑誌への掲載のふさわしかどうかも判断されることがあります。これはいい面と悪い面の両方があるかと思います。
 いい面として、印刷物は紙面が有限で印刷費用も有料ですので、無制限にどんなものでも掲載するわけにはいきません。査読制度により、質の順に掲載が制限されることになります。その制限が厳重であれば、雑誌への掲載が困難となってきます。雑誌の掲載の難易度が上がれば、そこに投稿しようする人も当然、そのような心づもりで内容は厳密さを整えて投稿していくことになります。ここで好循環がおこれば、掲載される論文のレベルや重要度が上がり、ひいては雑誌の品位、格も上がっていくことになるでしょう。
 他方、あまり厳格だと、その雑誌が敬遠され、質の確保ができなくなりかねません。さらに、投稿されたものが、常識はずれの結果や、今までにない奇抜な考えや説は、査読者に受け入れなければ、掲載されないことになります。つまり、あまり雑誌の難易度を上げすぎると、そこからは大きな独創性やユニークな考えが、こぼれ落ちていしまうことが起こります。これは雑誌にとっても人類の知的資産という面からも、大きな損失になります。
 もっと問題は、査読とは、人が人の成果を評価することです。査読者も人ですから、いろいろな感情が渦巻きます。故意に査読結果を曲げしまうことはないでしょうか。高名な研究者が著者、あるいは共著に加わっていたいり、親しい研究者が著者の場合、その査読はゆるくはならないでしょうか。さらに、査読者は、投稿した研究者には悪意はないものとして、論文の査読をおこないます。
 もし悪意をもった研究者が論文を投稿すると、網の目をくぐり、虚偽の混じった論文が、一流雑誌に論文が掲載されることになります。2012年の森口尚史のiPS細胞事件、2014年の小保方晴子のSTAP細胞事件などは大きなニュースになりました。他にも毎年のように、研究者の論文不正事件が発覚して、ニュースに取り上げられます。そのような不正行為をしたら、研究者としての将来がなくなります。それがわかっているはずなのに、故意にやってしまうのは、研究者にも、性悪説がありそうな気もします。
 近年、新聞やテレビでも政治や大きなニュースではあまり見たくないものが多いのですが、性悪説で振る舞っているように見える人が多くなってきているような気がします。政治家の不誠実は、本来、メディアが歯止めをするはずなのでしょうが、メディアの力も落ちているようです。選挙でしか意思表示ができない国民としては、少々無力感があります。
 答弁している政治家や官僚の論理展開を聞いていると、欧米の「red herring」という言葉を思い浮かんできました。
 red herringとは、「赤いニシン」という意味です。赤いニシンという魚がいるわけではありません。またニシンの身が赤いわけでもありません。イギリスの塩漬けや燻製にしたニシンは、独特のくさい臭いがして、身が赤くなるので、「赤いニシン」あるいはキッパー(kipper)とも呼ばれています。
 この「赤いニシン」という言葉は、19世紀のジャーナリストのコベット(William Cobbett)が使ったとされています。猟犬の訓練手法に「赤いニシン」という表現があると述べて、「政治的なred herringの効果は、ほんの一瞬のものでしかない。土曜には、その臭いも石のようにさめきってしまった」という言い回しを使ったそうです。コベットは、政治家が「赤いニシン」しても、週末には効果がなくなるといったのです。
 なぜ、「赤いニシン」という言葉を使ったのでしょうか。これは、ウサギを追う猟犬の訓練に「赤いニシン」を使い、猟犬が「赤いニシン」の臭いに惑わされないようにしたことに由来すると説明されています。しかし、実際の猟犬の訓練にはこのようなことはしないそうですが。
 red herring、「赤いニシン」は「燻製ニシンの虚偽」と訳されています。「赤いニシン」は、日本だけの状況ではなく、世界的に蔓延しているように見えます。
 幸いなことに、科学の世界では、「赤いニシン」はあまり蔓延していないようです。なぜなら、科学における論証は、論理的でなければならないからです。疑惑に対しても論理で反論しなければなりません。そして自然科学で再現性を持った分野であれば、真偽の確認が可能です。ですから、故意に虚偽の論文を作成しても、ことが重大であれば、検証されてきしまいます。これが論文不正事件として発覚するのです。それがあるので、心理的にストッパーがかかるはずです。そこには性善説があります。でも政治の世界ではそれはないようです。ここで示した論理は「赤いニシン」ではないでしょうか。
 さらに、科学者の素読制度とred herringの話題に、「赤いニシン」は紛れ込んでいなかったでしょうか。賢明な人の判断におまかせします。


Letter■ 若者のニュース離れ・ネット情報 

・若者のニュース離れ・
近年、新聞やニュース番組を見る気がなくなります。
幸いワイドショーの流れている時間帯は見ないので
嫌な話題、ひどいシーンの繰り返しは見ずにすんでいます。
どのチャンネルでも同じソースで報道することで
大切な情報が抜け落ちていくように思えます。
横並びの報道は、不要だと思います。
多く人はそう思っているのでしょう。
若者のテレビ離れや新聞離れは
このような状況にも一因があるのかもしれませんね。

・ネット情報・
うちの次男はテレビも新聞もほとんどみません。
しかし、興味ある話題は、
地上波のニュースには流れないようなものまで知っています。
インターネットを通じて最新情報をキャッチしています。
スマホで入手しています。
これが若者分化なのでしょうか。
私はインターネットは重宝して使っていますが、
スマホをそこまでの利用をすることはできません。
世代が違っているのでしょうか
それとも私が時代遅れになってきているのでしょうかね。


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