地球のつぶやき
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Essay■ 174 アブダクション:発想法
Letter ■ ゼロからスタート・高校学園祭


(2016.07.01)
 ものごとをスタートするとき、どうしていいかわらないと場合があります。自分なりの考えで進めばいいのです。何かをしようとすれば、何かを考えるはずです。その考えが合っていようが間違っていようがいいので、やって得られた結果から学べばいいのです。


Essay■ 174 アブダクション:発想法

 私は、地質学の対象となっているものを用いて、哲学的な考察をすすめる地質哲学というものを進めようと考えています。その対象として地質学における時間、岩石に過去の時間がどのように記録されているかを、体系化していくことをテーマにしました。この研究では、野外調査をして考えるので多くの時間を要するもので、2006年に最初の論文をまとめ、時々成果を報告していますが、もう10年以上取り組んでるのですが、まだまだ終わりそうにないテーマで、ライフワークになりそうです。
 内容は、地層境界における物質・時間・空間の3次元で連続と不連続の関係を整理し網羅的に体系化しました。その後、個別の例として地層にどのように時間が記録されているのかを考えました。正常な地層として、海底内を流れ下るタービダイトという現象によって堆積していくものがあります。タービダイト層に記録されている時間の状態を検討しました。タービダイト層と対比した層状チャートでは、全く違った時間記録になっています。層状チャートに記録されている時間については、現在、検討中です。
 さて、このような科学的研究を進める上で、あるいは論理的な考察一般において、重要な2つの手法があります。古くから用いられているものですが、帰納(induction)と演繹(deduction)というものです。
 帰納は、多数のデータから法則や規則を導きだすものです。演繹と違って、帰納からは今までにない法則を見出すことができます。創造性のある方法といえます。ただし問題は、データをいくら積み重ねていっても、法則が正しいことが保証されるわけではありません。もしひとつでも例外が見つかればが、その法則は破綻してしまいます。
 演繹は、すでにある法則や規則を、新たな現象や条件で個別の事象に当てはめます。その事象で、その法則が合っているかどうを調べて、事象の正しさを判定します。あるいはその法則が、どこまで適用可能かなどを検証することにも用いられます。一般論を個別の事象に適用していく方法です。法則が正しければ、適用できた個別のデータの正しいことが必然的に導かれます。法則の正しさや個別の正しさを確かめる「検証の方法」としては優れていますが、そこからは新しい法則は生まれてきません。もともとの法則以上のものは出てこない、創造性のない方法だといえます。
 帰納も演繹も一長一短がある方法で、これを組み合わせながら、科学は進められてきましたし、これからも進められることになります。法則の発見には帰納法を使っていますので、科学的帰納法の限界がどうしても存在します。帰納法で導かれた規則性は、ひとつの反例が出るたびに、修正や改正、ときには棄却を迫られることになります。いいかえると、科学は仮説によって構築されている体系なのです。この点において、科学が数学や論理学とは大きく異なっているところです。
 私の例では、存在する岩石のデータから、時間記録の一般則を見つけようというのは帰納です。その一般則がどこまで適用可能かを探るのか演繹となります。では、最初の連続と不連続を考えときには、帰納法を用いたでしょうか。経験的にこうなるということは、考えていましたが、それが正しいかどうかという検証はしていませんでした。
 まず岩石の関係には、連続と不連続というものがあると、2分法を適用しました。岩石は過去のある時間、空間で形成され、物質に置換されたものです。岩石形成の時間、空間、物質の関係をどう保存しているのかを一般的に考えたものです。そこには根拠があるわけでもなく、単にそうなるだろうな、これが一番もっともらしいだろうな、という発想で進めました。このような考え方は、「アブダクション」と呼ばれています。
 長い前置きになりましたが、ここから本題です。アブダクション(abduction)という言葉はあまり耳にしない言葉ではないでしょうか。英語の辞書では、「誘拐、拉致」や「外転、体の中心線から外に向かう運動」などの意味が第一義として出てきます。もうひとつ論理学で使われている「仮説形成、仮説的推論」という意味があります。ここでは、後者の意味になります。
 アブダクションは、演繹と帰納とも少し違った別の考え方(推論法)となります。これは、発見的方法ともいうべきものです。通常、科学を進める上で、根拠がなくても、何らかの考えを持って実験や観察をはじめます。まったく何も考えないで研究を進めることはありません。なんらかの予想やねらい、見通しなどをもって進めます。そのような最初にもつ考え方が、アブダクションになります。
 これは何も新しい方法ではなく、アリストテレスも演繹と帰納の他に「還元」(apagg)として用いていました。その後、この考えはあまり重要視されずにいたのですが、アメリカの哲学者パース(Charles Sanders Peirce, 1839.9.10-1914.4.19)が、仮説を提唱するときの発見的方法をとして、その重要性を指摘していました。その時、apaggにアブダクションという英訳を与え、今日に至っています。
 アブダクションは最初の考え方の真偽は問題としていません。科学をおこなうためのスタート、研究の発想をしたり、計画を立てたり、時には失敗の原因を探ったり、プログラムの誤りを見つけたりするときに、アブダクションを用いておこなわれることがよくあります。アブダクションによる仮説は、なにかをはじめる時の指針にはなります。正しい必要はありません。とりあえず、現状でもっともらしいものとして、アブダクションを手がかりにして、次のステップに研究をすすめるの有効となります。
 ですから、まずはアブダクションによって何らかのデータを得ること、それが一番大切です。アブダクションで研究を進め、なんらからデータでてきたら、あとはデータがものをいいます。そこから帰納で法則化して、演繹で検証していくという手順を取ればいいことになります。間違いもデータが示していくれます。
 アブダクションなどという難しい用語を持ちださなくても、実は、ものごとをはじめるとき、無意識にアブダクションを用いているはずです。なんの手がかりもなく、ものごとを進めることはないはずです。
 経験を積んだ人は、まったく今までない場面でも、結果的に最適な方法を用いて問題を解決することがあります。日本では「カン」などと呼ばれているものもアブダクションになるのでしょう。経験値の高い人も、低い人も、同じような実験、観察をしていれば、その手間や時間、道のりは違うかもしれませんが、データさえ充分得られれば、帰納と演繹によって、きっと同じゴールに辿り着くはずです。
 そんな方法論があることを知っていること、データを出せばゴールに近づけるという確信を持てることは、幸運なことのはずです。困ったときは、「アブダクション、アブダクション、・・・」と唱えながらが、雑念、煩悩を振り払い、ひたすら実験や観察を進めてデータを集めていくことですね。


Letter■ ゼロからスタート・高校学園祭

・ゼロからスタート・
多くの科学者は今までの研究の流れの延長線上で、
次なる研究テーマを定めて進めていきます。
全くゼロからスタートするのは大変だからです。
私の場合、地質学から研究をはじめて、
地質学の新しい方法論の開発は、ほぼゼロから、
科学教育は、博物館時代からゼロから(現在継続中)、
地質哲学は、大学転職してからゼロから(現在継続中)、
となります。
地質学以外は、すべてゼロからのスタートになります。
大変ですが、やること為すこと面白いのですが、
基礎的なも部分を理解するのに、時間が必要になります。
まあそれを学ぶのも、実は楽しいのですが。

・高校学園祭・
夏の大学祭のシーズンも終わりました。
ひどい荒天で残念でしたが、
天候ばかりはどうにもなりません。
7月になると、高校の学園祭にシーズンになります。
次男の学園祭は部活の試合があるので、
半分しか参加できません。
ですから、なかかな主要メンバーにはなれないようです。
まあ、何を優先するかは、人ぞれぞれですから。
どれがいい、悪いの判断はできません。
私も、一日だけでも時間があれば、
高校の学園祭を見学に行きたいと考えていますが
どうなることでしょうかね。


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