地球のつぶやき
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Essay■ 170 ウイルス:源流か支流か
Letter ■ 冬最後の嵐・優先順に


(2016.03.01)
 ウイスルは生物か無生物か。簡単そうであって、実は難しい問題です。そしてウイルスは生物進化の源流にいるのか、それとも支流なのかという、根本的な問題もあります。今回は、ウイルスという存在について考えていきます。


Essay■ 170 ウイルス:源流か支流か

 福岡伸一氏の「生物と無生物のあいだ」という著書があります。今回の話題は、「生物と無生物のあいだ」にいるものについて考えていきます。ただし、福岡氏の著書のテーマとは関係はなく、言葉どおり、生物と無生物の境界にいるものを考えていきます。
 私は生物学者ではないので、生物の定義したり、生物と無生物かどうかの判断を直接下すことはできないのですが、常々疑問に思っていることがあります。それはウイルスの生物としての処遇についてです。ウイルスは、まさに生物を無生物のあいだの存在ではないではないか、それも限りなく生物の根源に近い存在ではないかという疑問です。今日はそんな話をしましょう。
 ウイルスとは、核酸(DNA)が殻に入っているだけの存在で、そのままでは生物活動をしないものです。ウイルスが他の細胞の中に入ると、自分のDNAから命令を発し、他の細胞が保持している機能を使って、ウイルス自身の複製を開始していきます。まあ、他力本願な生き方ですが、非常に効率的でもあります。
 ウイルスは、通常の細胞として機能をもっていないこと、ウイルスでいるときは生物活動をしていないことから、生物学者からは、無生物や非生物とされることがよくあります。ウイルスは、生物の定義を満たさない存在なのです。
 私の考えでは、ウイルスは生物としては特異ですが、生物の仲間と考えています。なぜならウイルスを研究しているのは、「生物学者」だからです。これでは、充分な理由にはなっていないですね。いいかえると、ウイルスの研究は生物学的手法が用いられており、生物学的視点でなされ、生物との関係を抜きには語れない存在であります。
 なぜウイルスが地球に存在しているのかは、生物学的観点で考えていくべきでしょう。生物でないとするにしても、生物はこういうものだから、あるいは生物とは進化の上でまったく関係がないとするのなら、無生物、非生物として扱っていいのですが、多分そうはならないであろうと思えます。ウイルスと生物は不可分の存在となっています。無関係の存在というには、あまりに共通するものがありすぎます。生物として扱っていくべきだと思います。私から言わせれば、だから生物学者やウイルス学者が、生物学的手法で、生物学視点で研究していていいのです。
 次にウイルスの誕生の道筋についてみていきます。ウイルスがどのような起源をもつのかということです。ウイルスの起源には、いくつも説があるようですが、大きく3つに分かれます。
 ひとつ目は、かつて普通の単細胞生物であったものから、いろいろな器官や機能を捨て去り、必要最小限のものまで、そぎ落としたとき、ウイルスが誕生したというのです。ウイルスは、生物の究極の姿、進化の極限として生まれたとするものです。生物がまず存在して、そこからウイルスが進化してできたという考え方です。ウイルスは、あるとき生物進化の本流から枝分かれして、本流の生物の痕跡を残していはいるが、支流の袋小路のような末端にあたる、という考え方です。
 二つ目は、他の生物、たとえばバクテリアなどの内部に存在する、自己複製ができるなんらかの器官だけが、細胞の外にでて、それがウイルスになったというものです。細胞内にあるプラスミドやウイロイドなどは、小さくて自己複製する能力をもっています。これらが細胞から飛び出せばウイルスとなれます。この考えも、ウイルスは細胞から派生して誕生したという考えです。生物進化が、洪水のような乱れによって、本流から飛び出した流れが、そのまま三日月湖として残った、進化の飛び地的なところに当たるという考えです。
 三つ目は、ウイルスは生物にとって根源的な存在ではないかというものです。今までの2つの考えとは、進化の時間では、全く逆のところに位置する見方です。前の2つは生物からウイルスが派生してきたと考えられるのですが、この説ではウイルスが生物より先に生まれていたという考えです。ウイルスは生物進化の源流に当たるという考え方です。
 生物の誕生は、最初から細胞として完成していたのではなく、その前にいくつかのステップを経ながら進んできたと考えられています。細胞を構成するためには、遺伝情報を保持しているDNAと、生物活動をおこなうに不可欠なタンパク質が重要なステップになります。もちろん細胞の入れ物となる膜も必要ですが、膜はそれほど難しい課題ではないようです。
 DNAとタンパク質のいずれかでは生物にはなれず、どちも必要になります。タンパク質は、リボ核酸(RNA)によって合成がおこなわれています。RNAは、DNAから情報を読んできて(mRNA)、それにもとづいてタンパク質を合成する(tRNAやrRNA)という一連のプロセスを分担していました。遺伝情報を見ると、一方通行の流れで、上流にDNAがあるという考え方でした。このような考え方は、生物のセントラル・ドグマ(中心教義)と呼ばれています。生物の進化もこの流れの通りにできたと考えられ、生物の誕生は「DNAワールド」からはじまったという考え方です。
 セントラル・ドグマにおいてRNAは、DNAとタンパク質を橋渡しをする上で、非常に重要な役割があります。DNAが主でRNAは従の関係です。ところがRNAには遺伝情報を読むだけでなく、遺伝情報を保持したり、DNAに書き込む機能(逆転写)もあることがわかってきました。DNAより簡単な構造のRNAがあれば、生物の基本的な機能を営めるのではないかという「RNAワールド仮説」が生まれました。
 「RNAワールド」から生物の誕生がスタートすると、次のステップとしてDNAだけが殻にはいった生物の前駆体「DNAレプリコン(replicon)」というものが想定できます。実は、このDNAレプリコンが、ある種のウイルスに近い存在であることがわかってきました。DNAレプリコンから現存するウイスルへの流れが生まれたのではないか、と考えられるようになりました。生物進化の源流となるいくつかの流れうちのひとつとして、ウイルスが位置づけられるのではないかというのです。
 DNAとRNAが、細胞膜に取り込まれ、それぞれの機能分担をするという、複雑なプロセスを経て、生物も生まれてきました。細胞には、自律性があり、安定した生物活動としての代謝、そして効率的な複製ができました。これが私たちへと繋がる生物の起源となります。ウイルスは、その細胞をうまく利用して生きてきたという見方です。
 もしウイルスの誕生がこの三つ目の説だとすると、ウイルスは私たち生物のもっとも源流に近いところに位置する存在なのです。そして「生物と無生物のあいだ」の存在ともなっているのかもしれません。
 さて、ウイルスが生物の源流か支流か、まだ答えは出ていません。私の理屈を越えた願望として、生物の源流としてウイルスが位置づくことが理想です。源流であった方が、得るものが多くなるからです。そうなれば、多様なウイルスに関する研究が、ますます進んでいくことになるはずです。


Letter■ 冬最後の嵐・優先順に

・冬最後の嵐・
いよいよ3月になりました。
2月末は北海道は警報がでる嵐になりました。
時々雷も鳴るような荒天でした。
春の前に冬に逆戻りのような天気でした。
しかし、今年は雪が少な目です。
とてつもなく暖かい日もあり、
例年にない暖冬となりました。
これも観測史上最大のエルニューニョのためでしょうか。
れこが冬最後の嵐であればいいのですが。

・優先順に・
この時期は、いつもなら、もう少し自分の研究のための
時間がとれる時期なのですが、
今年は校務が多すぎて、忙しい日々を過ごしています。
役職についているために、
研究のために重要な時期に校務に忙殺されています。
年齢的に仕方がないのかもしれませんが
人によって仕事量に差があるのは
納得できないものがもありますが。
誰かに文句をいって、
うさを晴らす時間はないので
仕事に励んだほうがいいようです。
優先順に、次々と仕事をこなすしかないのです。


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