地球のつぶやき
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Essay■ 166 凡百の才能は手作業を
Letter ■ 重要なエッセイ・いよいよ冬へ


(2015.11.01)
 科学や技術が進み、非常に便利な世の中になってきました。そんな最新の世界を切り拓いているのは、研究者たち、技術者たちですが、実はそんな世界にも凡庸な人も多数います。凡庸な研究者の生きる道もあるのです。


Essay■ 166 凡百の才能は手作業を

 科学や技術の進歩により、多くの分野で分業化が進み、それぞれの成り立ちや仕組みを知らなくても、その恩恵を受けることができるようになりました。たとえば、本を一つでも、多くの分業がなされています。まず、本は何からできているかというと、紙からです。紙にインクで印刷され、製本されているものが本です。では紙はどうしてつくられるかというと、木を材料として、繊維状にほぐして平らに、白くしたものです。インクはかつては鉱物や生物などから色素(染料)を抽出したもので、今では化学的に合成されているものです。そのインクを活字や刷版にぬり、紙に押し付けて印刷します。印刷されたものを、かつては手作業で、今では機械により製本していきます。これが本の構成と製造過程の概略です。
 素材は、技術の進歩に伴って、天然自然のものから人工、化学合成のものへ、作業工程も手作業から、機械やコンピュータ制御の自動機械に、そして高精度に大量に安価に作成できるようになってきました。そこに従事する人も、機械の運転、運用、監視、管理などの作業が中心になり、人の労力を要する工程が減ってきました。もちろん本を書く人は編集する人は、特別な能力を持った人も必要でしょう。ただし、生産する側の人は、複雑な装置の原理を理解することなく、ルーティンなっている作業や、コンピュータによる制御を、日々の業務としてこなすことになります。このような作業員は、全貌を知ることなく生産をすることも可能です。
 便利さの陰には犠牲になっているものもあるはずです。それは人が体を使ってこそ得られる感覚や体験などでないでしょうか。人は、生物であり、動物でもあります。動物は、外から栄養を取り入れ、いらないものを体外へ排泄します。栄養を摂るためにエネルギー、労力を使って行動します。採食行動が報われると、満足感が得られます。行動と快楽の繰り返しが、生命活動を維持しているのでしょう。
 現代人は、生きるために体を使うことが減りました。しかし、動物的本能を満たすように、人はスポーツやレクショーンなどで肉体を使い、運動をしています。運動して汗をかくと疲れますが、そのかわり達成感や爽快感があります。人は、本能的に体を使うことの大変さとその後にくる爽快さを知っているのです。
 現代社会では、製造業では多くの部分で肉体的な労働は機械が肩代わりし、機械操作、制御操作、あるいはデスクワークが多くなっています。現場労働者は、通勤、通学などで動くだけで、ほとんの仕事が机の上、あるいはパソコンですむようになってきました。
 会社だけでなく、科学の世界でも似た現象は起きています。分析装置、測定装置は、機械化、コンピュータ制御が進んでいて、いかにそれを使いこなすかが、研究者にとって重要な技能になっています。しかし、それは研究というより、分析技術や実験手法であり、それだけでは独創性のある研究ができるわけではありません。
 もちろんテーマによっては、従来のデータを用いて新しい成果を生み出すことも可能でしょう。そもそも科学のおいて、そのプロセスではなく、結果の新規性、独創性などによって、評価されるべきものです。素晴らしい着想で、最小の労力でスマートに、独創的な成果をエレガントに出すことが、本当は一番素晴らしい成果です。そんな画期的な成果を、一生のうちにいくつもだせる人は、本当に優秀な一握りの研究者でしょう。
 私を含めて凡百の研究者は、泥臭い手作業による研究をしていくことになります。手作業の多い研究は、才能がなくても、努力し手間をかければ、それなりの成果を挙げられます。基礎的な記載には、今でも多くの部分で手作業がなされています。新規性や独創性が少なくても、成果は、その分野の基礎データ、記載データとして必要な情報になります。泥臭く見えますが、多くのデータを得ることは、基本的で重要な作業です。幸いなことに研究には、まだまだ手作業が必要なもの含まれています。そのような分野であれば、愚直に淡々と進めるしかない研究もあるのです。
 例えば、地質学でいえば、広範囲を丹念に歩いて調査したり、範囲が狭くても大量の試料を採取し大量の分析したり、ひとつのテーマにそって多数の地域で試料を集め比較検討したり、大量の文献をまとめるなど、手間がかかる研究があります。大量の野外調査や試料数、データ数などをそろえた研究成果を見ると、圧倒されてしまいます。地質学者の多くは自分もそんな苦労をしてきたので、その研究の背景には手作業を伴う、多くの苦労や労力、強い精神力が払われていることが想像できるのです。その労を知っているからこそ、多くの手作業の必要な研究は尊ばれます。基礎データ、記載データの持つポテンシャルだけでなく、その背景にある労働への畏敬の念も含まれているのでしょう。
 研究者となるため、最新の装置の使い方とともに、泥臭いですが手作業の必要なもの(野外調査、試料の準備、単調な記載)、精度を上げる苦労(装置の維持、調整、長時間の分析)も一緒に修行していくことになります。この修行により、潰しのきく研究者となっていけるような気がします。手作業を能力、個性に応じて進めれば、研究者として生き残っていけるということです。この苦労を端折った人は、恵まれた才能がないと、なかなか生き残れないのではないでしょうか。
 ある人は修行時代、駆け出し時代に苦労した手作業の部分を、少しでも楽にするために技術開発を、苦労して達成した精度を維持したり簡便化するための工夫、手作業の部分を改善することも成果として、科学へのささやかな貢献となります。それは、手作業による大変さを知っているからこそ、改善をしたいという発想が生まれるものです。これらが積もり集まって、現在の技術の礎となっていきます。
 もう少し才のある人は、従来の使い方、従来の装置ではできないような、新しい分析、測定、観測などによる研究をしていきます。時には、手作りの装置、手作業による測定、思考錯誤の観測などを行います。このようなことも、今までの方法の少しの改善、改良、別の使用のしかたなどの応用によるもの多く、少しの発想があれば、あとは時間と労力をかけて成果を上げることになります。これも凡百の研究者の進む道です。
 研究者の道は、一部の才能のある人だけの世界ではなく、普通の能力しかない研究者であっても、手作業で努力をしたり、手作業の部分を少し改善したり精度の向上させていくことで、その凡庸さ補えます。あるいは、大量の手作業が必要な研究もあるので、そのような場こそ凡庸な研究者の力の発揮できる道ではないでしょう。私もそんな凡百の研究者ですから、淡々と汗を流して努力すること、デスクワークでも手間のかかること、大変な作業量を要することに対して、逃げることなく取り組んでいきたいと思っています。


Letter■ 重要なエッセイ・いよいよ冬へ

・重要なエッセイ・
このエッセイは、実は別のテーマで書き始めました。
しかし、書いていく途中で別の方向に話がそれいきました。
気づいたら、私のような凡庸な研究者は
手作業が重要な研究手法をとっている
という話になりました。
このエッセイを書いたことで、
自分の進むべき道、とるべき態度を
再確認することができました。
興味のない人には迷惑かもしれませんが、
この回は、私にとって重要なエッセイとなりました。

・いよいよ冬へ・
通勤途中から見える山並みでは
もう何度も冠雪がありました。
北海道は寒波の到来で里にも雪が降り、
冬の様相に一旦はなりました。
その後、冬型が収まり、晩秋にもどりました。
残った木々で紅葉が進んでいます。
名残の秋を楽しんでいます。
いよいよ北国の季節は冬に向かいます。


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