地球のつぶやき
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Essay■ 156 碩学:無限の可能性
Letter ■ 賀正・Wikipediaへの感謝


(2015.01.01)
 明けましておめでとうございます。新年最初の話題は、知恵のある大人物についての話です。少々難しい熟語ですが、碩学鴻儒(せきがくこうじゅ)という言葉があります。碩学への道を目指して、精進していこうと考えています。


Essay■ 156 碩学:無限の可能性

 今年最初のエッセイで、私がこれからの目指そうしている道を紹介しようと思います。人生の残された時間を使って、碩学への道を目指すことです。
 まず、サバンから話をはじめます。サバン症候群という障害をご存知でしょうか。
 私がサバン症候群について一番最初に知ったのは、「レインマン」という映画でした。父の遺産を大半を兄のレイモンド(ダスティン・ホフマンがやっていました)が相続しました。弟のチャーリー(トム・クルーズ)に残されたとは車とバラだけでした。兄のレイモンドがサバン症候群の自閉症であるという設定でした。弟は遺産を手に入れようとして兄を施設から連れ出して、自分の住む街まで旅行をしていきます。旅行中に、兄の障害から生まれるさまざまなトラブル、驚異的な計算能力など驚き、それをギャンブルに悪用したりなどの出来事を通じて、やがて弟が兄を受けていくというストーリーでした。
 この兄のレイモンドには、モデルがありました。サバン症候群のキム・ピーク(Kim Peek、1951.11.11ー2009.12.19)という人です。キムを取材したテレビ番組を何度か見たことがあるのですが、その能力には驚かされました。キムは、ボタンをとめたり、靴下をはくこともできないような先天性脳障害による発育障害をもっていました。
 しかし、キムは、驚異的な記憶力をもっています。1ページを数秒で写真のように記憶し、9000冊以上の本を読み、その内容の98%は瞬時に検索して思い出すことができます。歴史と地理の情報も連動しています。地図や電話帳もすべて記憶しているので、地名を聞けば、道路と郵便番号をすぐに答えます。その地の過去の歴史もすべて教えてくれます。数学における抽象的概念を理解できないですが、算数的計算能力やカレンダー計算が驚異的です。彼の能力は、50歳をすぎても発展中で、記憶や計算だけでなく、晩年にはピアニストとしての才能を開花させていたそうです。
 サバン症候群の人の話、特にキムの話を聞くと、人の脳が秘めている可能性を思い知らされます。脳は、記憶に対していくらでもキャパシティはあるのです。脳の新しい能力は、いつもで開花させられるのです。脳は、もっともっと、いろいろな用途に使えるのです。キムはそれを教えてくれました。
 さて、サバンという言葉です。英語ではsavantと書き、語源はフランス語で、原意は「知る」ということです。日本語では碩学(せきがく)と訳されます。碩とは「大きい」という原意で、「頭が充実している」とか「中身が優れている」という意味になっています。ですから、碩学とは、学が優れているということになります。
 碩学は、「碩学鴻儒(こうじゅ)」という熟語で使われることがあります。鴻とは「大きい水鳥」という原意で、「ひしくい」という雁の仲間で最も大きい鳥のことです。そこから転じて、抜きん出た才能という意味で「鴻才」や、儒教に優れた「鴻儒」という言葉があります。碩学も鴻儒も、学問の優れたという意味で使われ、碩学鴻儒としても使われています。
 人間の能力において、記憶力と検索力は非常に重要な機能です。キムの能力が、人に驚嘆を与えたのは、記憶力と検索力であったことを見てもわかります。
 記憶力とは情報量の多さです。情報量は、人でいえば知識量です。知識と知恵は同じものではありません。多くの人は、知識より知恵を重視しています。でも、知識のない知恵は、本当の知恵といえるでしょうか。大人物の賛辞として、博覧強記といい言葉があります。膨大な知識が大人物の重要な要素となっています。知恵を発揮するためには、ある程度の知識は不可欠でしょう。多ければ多いほど、いいはずです。
 では、知恵とはなんでしょうか。一つには、必要な知識を有機的に結びつける力ではないでしょうか。知識を有機的に結びつける力とは、まさに検索能力です。知恵は、膨大な知識を操れる検索能力の上に構築されているのではないでしょうか。では、人は、キムを碩学と呼ぶでしょうか。少し、疑問があります。記憶力と検索能力の他にも、何かが必要なのでしょう。
 私は、10代後半だけは記憶能力が旺盛でした。好きな分野であった科学に関しては、一度見れば意識することなく簡単に覚えられました。それ以外の分野は、努力しないと覚えられませんでした。しかし、20歳過ぎてからは、興味あることでも、なかなか覚えられなくなりました。
 記憶力の低下への自衛のために、外部記憶を利用することにしました。外部記憶とは、今もで毎日持ち歩いている単なるノートです。毎日、必要なことをメモしています。スケジュールもデジタルではなく、アナログのノートで管理しています。それに加えて、パソコンのハードディスクも重要な外部記憶として利用しています。
 ノートは、少しの記憶力を頼りに時間軸で検索していくために、原始的ですが非常に有効です。保存能力も高いです。一方、ハードディスクは、私が記憶したいもので、私が記憶をさせなければならないので、私の本来の記憶の延長といえます。今では、パソコンのハードディクスは、私の記憶力を遥かに凌駕しています。もちろん、トラブルに備えて、5重にバックアップをとって保護しています。
 検索力は、パソコンを利用すれば、ハードディスクは非常に優秀です。どのフォルダーに納めているのがを覚えていれば、簡単に膨大な記憶にアクセスできます。収納様式さえ定めておけば、記憶力が衰えても有用です。どこにあるかを忘れていても、ハードディスクをすべて検索することも、少々時間をかければ可能です。
 しかし、検索能力の威力は、インターネットを通じた世界中の記録へのアクセスと検索です。インターネットのサイトには、私の以外の人の記憶が膨大に保存されています。
 今では私でも、キム並みの記憶能力と検索能力を持てるようになったのです。必要な情報を、いくらでも記憶でき、いったんハードディスクやインターネットのサイトに保存された情報は、キーワードさえ与えれば、瞬時に検索することができます。つまり、パソコンとインターネットさえあれば、碩学の必要条件は、誰にでも与えられたことになります。
 インターネットを使う人なら今では誰もが利用しているWikipediaの知識を並べ立てるだけでは、碩学にはなれません。もちろん、Wikipediaの知識は今では侮ることができないほどの膨大になっています。Wikipediaを使うことはいいでしょう。キムは、生きたひとりWikipediaなのです。では、私が、キムを超えるには、何が必要でしょうか。
 問題は、Wikipediaの先にあるはずです。いくら検索能力に秀でていても、その先がなければなりません。知識の使い方、つまり知恵が必要となります。では、知恵とはどのような能力でしょうか。知識を検索することの次に、自分なりに検索した知識を活用し、応用し、新しいものを創造していく能力ではないでしょうか。キムを超えるためには、膨大な知識量への検索に加えて、活用、応用して、新たなものを創造することが重要なのでしょう。碩学の十分条件は、創造力という知恵を持つことに至るだと思います。
 キムは、無限の知識と検索の可能性を示してくれました。時代は、私たちにキムに至る必要条件を与えてくれました。キムの可能性の先を、目指すことが重要です。その先にこそ、碩学への道があるのです。


Letter■ 賀正・Wikipediaへの感謝

・賀正・
明けましておめでとうございます。
今年は、皆様にとっていい年であるようにお祈りしています。
旧年の私は忙しく、
なかなか落ち着いて自分のことができませんでした。
実は、春から2年間は校務が忙しくなりそうで、
ますます時間が少なくなりそうです。
効率よく時間を使う必要があります。
碩学への道は、遥か先です。
でも、一歩でも歩むこと、道を進むことが
大切だと思っています。

・Wikipediaへの感謝・
インターネットで検索をする人で
GoggleやYahoo、あるいは調べもので
Wikipediaを使わない人はほとんどいないでしょう。
GoogleやYahooは、ネット上でビジネスを展開して、
営利を生み出しています。
一方、Wikipediaは、寄付のみで運営されている非営利団体です。
Wikipediaへの寄付が、今年も募られています。
使用するときに表示がでるはずです。
多くの人は煩わしく思い、無視するでしょう。
しかし、私はそれを見ると、寄付をします。
多くの人はインターネットの情報は
無料だと思っているでしょうが
その情報の背景には多くの努力と善意があります。
このメールマガジンは、私が無料で配信しています。
私も、いくつかのメールマガジンを読んでいます。
そして、私が配信することは、
他者へのなんらかの貢献になると思っておこなっています。
私は、Wikipediaを書くことより、
自分での情報発信をすることを選びました。
なぜなら、私は2000年9月20日に、
メールマガジンの発刊をはじめていたからです。
それから、早、14年以上にたっています。
このメールマガジンは、
1年遅れの2001年9月20にスタートしました。
Wikipedia(英語版)は2001年1月15日からスタートし、
そして早くも2001年5月20日には日本語版がスタートしました。
同じ時期に私のメールマガジンとWikipediaはスタートしました。
それに数年前に気づきました。
それから、自分自身の初心や志を改めに思い起こすため、
そして、外部記憶たるWikipediaへの感謝の気持ちとして、
私は少額ながら毎年寄付をしています。


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