地球のつぶやき
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Essay■ 142 タンバー数とアレン曲線
Letter ■ 秋の調査を断念・卒業研究


(2013.11.01)
 人間のコミュニケーションを規定するものとして、ダンバー数とアレン曲線と呼ばれるものがあります。これはネット社会が出現する前の考え方でしたが、今の時代に通じるものでしょうか。私の場合を例にして考えていきます。


Essay■ 142 タンバー数とアレン曲線

 11月になると年賀状の販売がはじまります。先日も郵便局の人が個別の訪問で予約を取りに来ていました。そんな知らせがあると、1年の終わりが近いことを意識してしまい、心が急いて落ち着かなくなるものです。年賀状による挨拶も、最近はメールで済ませる方も多いのでしょうか。皆さんは何枚くらい年賀状を出されるのでしょうか。
 私の分は、職場の人や学生などの数は含めることなく、50枚程度です。少ないほうでしょうか。この枚数は、私の恩師、友人や親戚など、常に居場所を知らせておきたい、連絡を取り合っていたい人の数という意味です。
 年賀状の話は少々気が早かったのですが、今回考えたいのは、一人の人間が、対面でコミュニケーションするのは、どれくらいの距離で、どれくらいの人数か、メールや手紙など手段を選ばず、どの程度の人数と常に連絡を取り合える関係も持ちうるのかということです。あるいは、本心から関係を望む人数はどれくらいなのか。その規模に目安があるのかどうか、ということです。
 イギリスの進化人類学者ダンバー(Robin Ian MacDonald Dunbar)は、霊長類の脳の大きさと平均社会集団の大きさには相関関係があることを、1992年に見つけました。38種の霊長類で、グルーミングなどの個人の接触に関するデータを用いて回帰直線を引きました。その直線を人類の脳サイズで考えると、100-230人程度、平均で150人(正確には148人)であることが推定されました。つまり、人間が安定した関係を維持できる上限は150人程度であると述べています。社会集団の規模、あるいは限界の数を、彼の名前をとって「ダンバー数」と呼んでいます。人間の脳のサイズから、社会集団のサイズの限界を、ダンバー数で150名となります。
 ダンバー数は、いくつかの仮定の元に得られた数字で、私たちの社会集団の大きさが150人というのは、実感にあっているでしょうか。私には少々大きすぎるような気がします。私がいる世界は、大学であること、教員という職種の特殊性があるためでしょうか。まあ、感覚的な感想ですから根拠はありません。
 ただし、ダンバー数は、社会集団のサイズに関するもので、離れている人間との関係を示すものでありません。でも人間が常にコンタクトをとれる状態で、少なくとも1年に一度は連絡しあう人の数は、どれくらいかを考えることは重要でしょう。その目安の1つが150名が上限となるいうものです。
 対面での直接コミュニケーションという面で考えると、常に対面でコミュニケーションをとっている数は、どの程度でしょうか。
 私は大学にいますので、学生との対面でのコミュニケーションを考えてみましょう。受け持っているゼミ(1年生、3年生、4年生)の学生数だと合計で50人程度になります。ゼミの学生とはかなり対面のコミュケーションを取ります。
 学科の一学年は50名定員で、4学年あります。私は、学科の講義をいくつか担当しているので、各学年50名とは常に挨拶をするほどのコミュニケーションはとっています。また、少人数の講義でも、対面のコミュニケーションはあり、講義が終わった後も、挨拶はします。これらの講義の学生は、学科の学生の範疇に入れていいかもしれません。50から60名の間でしょうか。
 全学的な定員150名の大人数の講義もいくつかもっています。一部の学生とはコミュニケーションをすることはありますが、あとはほとんどコミュニケーションはありません。コミュケーションをした学生は、挨拶程度はしますが、深いコミュニケーションは講義が終わるとともに消えます。
 大学の学生と対面で深いコミュニケーションをとる学生は、50から70名の間となるでしょうか。大学の教職員を考慮にいれると、深い付き合いは10から20名程度加わって、60から90名程度になります。教職員で軽い付き合い(会話とちゃんとする人で挨拶程度は除く)は、50名程度になるでしょうか。
 私の場合、深いコミュニケーションを取るのは階層ごとに50名程度、ついで広く浅い対面コミュニケーションを考えると150名程度という数値が目安になりそうです。タンバー数の150名が上限というのに符合しています。
 大学を離れてのコミュケーションを考えます。私の場合、家族以外の対面のコミュニケーションは、極端に減ります。ある時期深い付き合いがあり、今では連絡は少ないですが、いつでもコミュニケーションを取れる状態にしておきたい人という意味で、年賀状などの挨拶状で近況報告をしあっている人は、それにあたりそうです。
 一般に、年賀状や移転通知などの挨拶状は、儀礼的、商的なものも多分にあります。ですから、対面ではないコミュニケーションとして、儀礼的、商的なものを除いてどれくらいの数があるでしょうか。私は、対外的な職務あったときや、何度も転居、転勤など移動している時期は、挨拶状は150枚以上ありましたが、今では落ち着いて年々数を減らしています。意図的に減らしていることもありますが、今では50枚程度になっています。ここでは、学生や大学の同僚は除いています。
 少々古い(1970年後半)考えですが、「アレン曲線」というものがあります。アメリカの工学システムの研究者アレン(Thomas J. Allen)が考えたものです。革新的な思考を促進するために適切なスペースを、グラフで示しました。技術者のコミュニケーションの頻度とオフィス間の距離には指数関係があるということを示しました。距離が近いと頻繁にコミュケーションがとられるが、離れると急激に減少するというものです。毎週コミュニケーションをとるには、その距離は50mが限界であるというものです。
 アレン曲線は、技術者がものづくりをするときに必要なコミュニケーションという観点に限ったものですが、現代人、あるいは私のようなデスクワークを主として生活をしているものには、どの程度の距離でしょうか。
 私の場合を考えると、大学のメインのキャンパスには、ざっと10個の建物があります。私はそのうちの1つの最上階の5階に研究室があます。私は、休日以外は、基本的に大学にいて、講義や校務のないときは、研究室にいます。講義や仕事などで、10個のうち5個の建物には、頻繁に行き来しています。直線距離で、半径150m程度になりそうです。距離は組織や建物によって違ってくるでしょうが、デスクワークをする人に共通する鼓動パターンの特徴となるのではないでしょうか。ただし、通勤の経路や自宅は含めていません。
 私が頻繁に対面のコミュニケーションをするのは、学生以外の同僚とは、同じ階の人が多くなります。とすると50mという数字は当てはまりそうです。離れている建物の人には、電話かメールで連絡することが多く、必要な時な交互に行き来することになります。近ければ対面でのコミュニケーションをとり、離れるほどの対面でのコミュニケーションは減ります。対面でのコミュニケーションに限定すると、50mというはいい数値のような気がします。
 アレン曲線はかなり古い時代もので、実社会での人間関係を元にした考察です。また、ダンバー数もアラン曲線も、インターネットの普及や、現代の携帯電話やスマートフォーンの普及を考慮していないものでした。上の話でも、前提の条件をいろいろ付けましたし、私の立場の特殊性もありますので、数値がそのまま適用できるかどうかはわかりません。しかし、なんとなくある数や距離にコミュニケーションが規定されるという考えは、当てはまりそうに見えます。そして、その値も大きく外れてはいないように思えます。
 コミュニケーション人数として、密接にできる人は50名程度、常に付き合える限界は150名程度(ダンバー数)、コミュニケーションの距離もアラン曲線があてはまり、50mが対面コミュニケーションの限界(アラン曲線)というものも、適合しそうです。


Letter■ 秋の調査を断念・卒業研究

・秋の調査を断念・
秋に調査に出たかったのですが、
講義の関係で調整ができませんでした。
ですから、3月になってからに
出かけることになりそうです。
予算の執行上の都合で
早めに予定を決めて、
チケットを事前に手配しておく必要があます。
そして残金処理をできるようにしておくことになります。
まあ、大学や組織の会計年度の都合があるので、
実際に動けるのは、限られた時期になるのを
3月に行動するとなると
このような事前の手配が必要になります。
まだ、だいぶ先ですが、
あれよあれよという間に時間が過ぎていくので
心して置かなければなりません。

・卒業研究・
11月になると卒業研究のために
4年生と空き時間につぎつぎと
添削校正の打ち合わせが入ってきます。
まあ、大切なことなので、付き合いますが
11月はかなりの時間が、ここに割かれます。
私も努力しますから、
学生の努力にも期待したいものです。
最後には、いい卒業研究ができたと思えるものになることを
願うしかありません。


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