地球のつぶやき
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Essay■ 141 道具をつくる人:心は自由に
Letter ■ 抑止力・ストーブ


(2013.10.01)
 シリアの化学兵器使用が国際問題になり、一時は戦争の危機もありました。悪意を持った道具の使用は、使用者が罪問われるのは当たり前ですが、道具を作った人は罪に問わません。少々複雑な思いがしますが、それが健全だと思います。今回は地質学から離れて、道具と作者の関係について考えていきましょう。


Essay■ 141 道具をつくる人:心は自由に

 Winny(ウィニー)というソフトウェアをご存知でしょうか。インターネットをよく利用される方、ITに詳しい方は、聞いたことがあるかもしれません。また、ニュースをよくご覧になられる方も、知っているかもしれません。
 Winnyとは、コンピュータのソフトウェアで、インターネットを介して、ファイルを交換するためのソフトです。サーバーを経由することなく、ネットにつながったパソコン同士でファイル交換できるので、効率よくデータのやり取りができます。コンピュータ上のファイルは、すべて交換可能になります。Winnyは無料のソフトであったため、非常多くに人が利用しました。「すべてのファイル」には、音楽や映画などのデジタル・コンテンツと呼ばれるものも含まれます。さらに、通信の暗号化もでき、匿名性の高いという特徴ありました。
 デジタル・コンテンツは著作権で保護されているものなので、コピーは違法な行為となります。また、著作権法違反や個人情報保護法に触れるようなコンテンツの交換を、匿名性をもったWinnyでおこなえば、違法行為がわかりにくくなります。Winnyは違法行為をするための道具としても、よく利用されていました。
 京都府警は、蔓延する違法コピーを取り締まるために、何人かを逮捕をしました。そのとき、ソフトの作者も著作権法違反幇助の疑いで、一緒に逮捕しました。逮捕は、2004年5月10日のことでした。Winnyの作者は、金子勇さん(当時東京大学大学院情報理工学系研究科助手)でした。
 Winnyは、コンピュータ用のソフトで、ネットワークを用いたファイル交換の手段、道具です。その道具を使って、違法行為がなされたとき、その製作者を逮捕したのです。そのニュースを聞いた多くの人が、疑問に感じたと思います。実際に識者も、いろいろな論点で抗議しました。
 最終的にこの事件は、2006年に京都地方裁判所で有罪判決が下りましたが、2009年の大阪高等裁判所では無罪判決、そして2011年に最高裁判所が検察側の上告を棄却し、無罪が確定しました。つまり、道具の作者は無罪となりました。
 この問題には、いくつかの論点がありそうです。著作権に関する問題はもちろんのことですが、手法・道具を作成した人が罪を問われるべきか、違法行為のための道具をどう取り締まるか、複雑化するネット犯罪の手段にどう対処するのか・・・。どれも重要な問題です。ここでは道具と犯罪とその作者について考えていきます。
 違法行為を取り締まりたいがために、利用された道具の作者を取り締まるべきでしょうか。もし、その道具が犯罪のためだけにしか使用しないものであったら、取り締まるべきでしょうか。Winnyの事件は、結論を出さない前に、逮捕がありました。
 Winnyが多くの人が利用していたのは、便利だからです。広範囲の利用目的があった道具の作者が、犯罪の共犯者にされたのです。著作権侵害の取り締まりに、Winnyの作者の金子さんが、スケープゴートとなったと読み取れます。一般化すると、道具が犯罪に使われた時、それを作った人を逮捕したという構図です。そう考えると、この逮捕は、明らかにおかしいものと思えます。
 通常、道具は、使い方しだいで、毒にも薬にもなり、益も害も与えます。銃や刀剣は、犯罪や戦争など人を傷つけるために使われます。一方、身を守るため、狩猟や生活のためにも利用されます。ですから、すべての道具は自由に発想し、発明し者、作成することは、罪に問われることがありません。もっといえば、人の発想、その発想を具現化する自由を守らなければなりません。この姿勢は重要です。
 では、悪意を持ってつくられた道具の作者は犯罪に問われるのでしょうか。例えば、コンピュータウイルスは明らかに、悪意あるいはマイナスの結果をわかっていて作成、流布させます。現状では、考えただけ、作成しても実行しなければ、犯罪とはなりません。実際に実行したら、実行者が犯罪者となります。発想することや作成することには、罪を認めないという原則です。コンピュータウイルスの例では、少々理解し難い部分のある考え方ですが、この原則は重要だと思います。
 化学兵器や生物兵器、原子爆弾は、使用したら、敵以外の人々も傷ついたいり、死ぬことも起こります。利用されれば、大きな被害でます。悪意の明らかな道具ともいえます。化学兵器や生物兵器、原子爆弾などは、使用に関しては、よく監視されていますが、研究すること、保持することは、取締まられていません。
 使えば、悪い状況、避難を受け、使用者は罪に問われることがあっても、発明者や作成者は罪に問われることはありません。やはり、発想や作成には制限をかけないという原則が適用されているためです。
 どんな発想であっても、それを抑えること、そんな環境を生むのは、よくないことです。発想や創造は、心の働きがに大きく依存します。心を自由にさせることが重要で、心を縛り付けたり、萎縮させるような状態は、よくないことです。
 原子爆弾の開発であっても、そこから原子力への平和利用への道が生まれます。その原子力の平和利用も、現在、福島第一原発の事故で、岐路に立たされています。原子力関係者は、自由や発想はなかなかできないでしょう。もちろん、社会的責任や倫理の問題がよく考える必要がありますが。
 しかし、原子力の技術や知恵を、根絶やしにしてしまえというのも危ない考え方だと思います。すべての研究は開発は、原子力の含めて常に自由に進めておく必要があります。もちろん、大掛かりな実験であれば、それなりの監視も必要でしょうが。発想や開発に制限をかけることは、たとえ原子力発電であっても、上で述べた原則からも、よくないことです。
 誤解をされそうなので、注意が必要ですが、私の立場は、現状の原子力発電は停止すべきだと思っています。今までの反省を踏まえ、政府のいう安全性ではなく、科学的に安全なものであれば、将来稼働の可能性を残すべきでしょう。ただし、現状の技術では科学的に安全なものは難しいと思います。また、核廃棄物の処理技術もできていなので、それが完成してからでないと、商業発電を考えるべきではないでしょう。
 現在、日本は、拡散してしまった核汚染の除染や、大量の核廃棄物処理して行かなければならない立場に立たされいます。そこに叡智と国費を集中すべきでしょう。今のように世論で原子力への圧力は、研究にも制限を加えることになりかねません。もっと確かな安全技術、廃棄物の処理技術が生まれることすら捨て去ることになりかねません。商業的運用ではなく、研究・開発は続けるべきだと思います。これは、原子力だけにかかわらず、すべての分野で徹底されるべきだと思います。将来、安全性や信頼性が向上し、核廃棄物の処理技術が完成できるかもしれないからです。その時、商業的原子力発電をする、しないの判断をしてはどうでしょうか。まだ、不安が残るのであれば、さらに研究を続ければいいのです。その選択を子孫に託すべきではないでしょうか。研究開発をやめるということは、それに関する知恵、知識の途絶、断絶を意味し、将来の選択肢をなくすということにもなります。
 このように原則にそった考え方は、現在の原発事故への心情とは相反する答えがでてきます。心情は重要なファクターです。親が子を思う心、子が親を思う心、家族への愛情、そのような心情は抑えがたいものがありますが、理性や知恵の示す方向も重要です。知恵をもった人として、理性的にものごとを考えていきべきでしょう。
 Winnyの作者の金子勇(当時現在東京大学情報基盤センター特任講師)氏が、2013年7月6日午後6時55分、急性心筋梗塞で死去されました。享年42歳でした。少々遅くなりましたが、ご冥福をお祈りします。彼の死は、発想へはどんな制限を加えてはいけない、制限は悪意の行使のみにすべきということを、私に教えてくれました。


Letter■ 抑止力・ストーブ

・抑止力・
原子爆弾を保有することで、
核の抑止力を発揮するという、
非常に特異な論理が用いられています。
詭弁に見えます。
抑止力とは使用しないという前提で成り立ち、
使用しないと決まると抑止力が消えます。
人の行動は理性を逸脱することもあります。
ですから、道具があり悪意があれば、
危機が常につきまといます。
私たちの技術や科学がそのレベルに達したのです。
しかし、いつもどこかに悪意があるのは
私たちの心情や理性が、
そのベレルに達してはいなのでしょうか。
もしそうならそんな危険なものを発想レベルから
抑止するのがいいという発想もわからなくはないのですが、
それこそ人の可能性や知性の力を貶める気がします。
難しい問題です。

・ストーブ・
北海道は涼しくなりました。
18日には大雪山の黒岳で初雪が観測されました。
私の街でも、初霜が降りました。
まだストーブはつけていません。
我が家は、2年に一度、ストーブのメインテナンスをしています。
我が家では、部屋ごとの個別暖房はなく
家全体を温めるために、
大きなストーブが2台あります。
それを寒くなる前に業者に清掃してもらいます。
今年は少々遅いのですが、
先日、お願いすることにしました。
その間にさらに寒くならなければいいのですが。


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