地球のつぶやき
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Essay■ 139 refugiaは何処に
Letter ■ 夏休みはまだまだ・家族旅行


(2013.08.01)
 今回は、「refugia」というものについて考えていきます。refugiaは、特殊な用語ですが、「避難所」という訳になります。専門的な用語として、単なる避難所とは違った意味での使われ方がしています。避難所は、楽園ではなく、過酷な場所でもありました。


Essay■ 139 refugiaは何処に

 サバイバルは、危機や災難から生き延びることです。自然の災害からサバイバルの重要性を、2011年3月11日の震災は思い知らせてくれました。3.11は、個人、あるいはその地域の住民、日本人としての重要なサバイバルでした。
 過去の生物のサバイバルを考える時、化石が重要な証拠となります。化石から見えるサバイバルは、自然現象で、その規模も大きなものに限られます。サバイバルも、個々の個体だけの問題ではなく、種全体の問題となります。さらに大きなサバイバルになると、地球規模の環境変化や気候変動になり、個々の種の絶滅ではなく、大量絶滅ということも考えなければなりません。
 大きな気候変動は、長期間、広範囲で地球規模にもなります。このような危機からサバイバルするためには、危機をしのげる場への避難(シェルター)、自分自身の体での適応(進化)、自分で工夫した対応(人類では道具や火の使用など)などでの対処が必要になります。
 さて、「refugia」(レヒュージア)という言葉をご存知でしょうか。英語の辞書でもほとんど見かけない単語で、もともとはラテン語です。似たつづりで「refuge」という単語があります。refugeは辞書にあり、ラテン語の「refugium」に由来しているとあります。refugiumは「後ろに逃げる」の意味で、refugeは「避難所」という意味になります。
 地質学や考古学などの専門分野で、refugiaという用語を稀にですが、見かけることがあります。意味は「避難所」と同じです。地質学でrefugiaは、氷河期に関する用語として使われています。refugiaが使われる氷河期には、第四紀のものと原生代末のものの2つがあります。
 まず第四紀のrefugiaについてです。最終氷河期(約9万年前〜1万2000年前)に、人類のrefugiaはどこかで、どのように生き延びたのかという議論のとき、使われています。
 氷河期のとき、人類はアメリカ大陸にまだいませんでしたので、ユーラシア大陸とアフリカ大陸が中心になります。人類にいた地域はアフリカ大陸でも氷河期の影響をあまり受けませんでした。ですから、ユーラシア大陸それも人類が広く分布していたヨーロッパでの問題となります。
 氷河期のヨーロッパには、ネアンデルタール人が住んでいました。もともとアフリカにいたクロマニオン人がユーラシア大陸に移動していき、ヨーロッパにも進出してきました。3万5000年前ころに両者は出会います。3万年前ころにはクロマニオン人がヨーロッパのほぼ全域に広がります。その頃に、ネアンデルタール人は絶滅したと考えられていました。
 2005年に、イベリア半島南端のジブラルタルの沿岸の洞窟から、2万8000年前から2万4000年前のネアンデルタール人のものと考えられる遺跡が見つかりました。もしこれが本当にネアンデルタール人のものであれば、最終氷期の最も寒い時期(2万1000年前)ころまで、2種の人類がヨーロッパには住んでいたことになります。refugiaが限られていたためでしょうか、両者の生活圏は重なっていたと考えられています。となれば、両人類は共存したのか競合したのか、混血はしたのかなど、いろいろな議論がありますが、まだ結論はでていません。
 氷河期を生き延びる場として、refugiaがどこだったのかということが議論になります。限られた地域で、両者は過酷な氷河期を生き延びていたはずです。ネアンデルタール人もクロマニオン人も、石器などの道具を作り、火も利用し、死者の埋葬などもおこなっていました。いずれの人類もすぐれたすぐれた知性によって過酷な氷河期を生き抜いていました。refugiaでの生活は、耐え忍ぶだけでなく、壁画や装飾品などにみられるような楽しみも生み出していたようです。
 それでも氷河期は厳しかったようで、氷河期が終わると、クロマニオン人だけが生き延びて、ネアンデルタール人は姿を消していました。その理由はわかっていません。厳しい環境からなんとか退避しrefugiaにいたとはいえ、その後に復活することはできになかったようです。
 もうひとつの氷河期は、原生代のものです。
 原生代の氷河期のいくつかは、非常に大規模な氷河期で「全球凍結(全地球凍結)」や「スノーボール・アース」とも呼ばれるものがあります。時期としては、原生代初期のヒューロニアン氷河時代(24億5000万〜22億年前)の最後の時期と、原生代末期のスターチアン氷河期(7億6000万〜7億年前)、それに続いてマリノアン(またはヴァランガーとも呼ばれています)氷河期(6億2000万〜5億5000万年前)の3度あったことが知られています。
 全球凍結とは、スノーボール・アースとも呼ばれるように、地球が雪球(スノーボール)のように氷に覆われてしまう状態をいいます。地球の表面の水はすべて氷か雪になってしまいます。海も凍ってしまいます。海の氷の厚さは1000mにも達したと推定されています。
 これは、生物にとって大変な事態を引き起こします。
 生物は、35億年前には、すでに化石に残るほどに、繁栄していました。原生代(25億〜5億4200万年前)には、もっと多様な生物が出現していたはずです。ただし、化石にはその多様性があまり残されていません。
 生物は確実に地球表層に大繁栄していました。地球の酸素は、20億年前ころに光合成をする生物が大量生産をしました。その名残はストロマトライトという岩石に残されています。20億年前ころの大量のストロマトライトがそれを物語ります。生物の陸上への進出は、シルル紀(4億3730万〜4億1600万年前)だと考えられています。ですから、原生代の生物にとって、陸のrefugiaは存在しませんでした。
 原生代の生物は多様であったとしても、すべての生物は海洋に暮らしていたことになります。その海洋が、全球凍結では1000mの厚さまで凍ってしまったのです。生物は氷の中では暮らせません。ですから、1000mの厚さの氷の下でひっそりと生き延びるしかありません。そのようにして生き延びた生物もいることでしょう。
 1000mの厚さの氷は、光を通すことができません。大気中の二酸化炭素が海水に溶けこむこともできません。20億年前に光合成を達成していた生物は、どこに避難したのでしょうか。氷の下は光と二酸化ん炭素がないので絶滅します。全球凍結のあと、ゼロからあるいは氷の下に逃げ込んだ生物から進化をやり直せるかというと、あまりに時間が短すぎます。現実には、カンブリア紀の爆発的進化が起こります。
 原生代末には、2度の全球凍結があったとされています。ですから、凍った海のどこかにrefugiaがあり、タフで多様な生物群がそこにはいたはずです。そんなrefugiaは、どこにあったのでしょうか。
 答えは案外簡単でした。火山です。現在も火山活動はたくさんおこなわれていて、1500個ほどあります。過去にも似たような火山活動は継続的にあったはずです。海の上に突き出た火山、ハワイのように溶岩が流れ出るようなところも多数あったはずです。そこでは、火山の熱によって、狭いながらも海が開いていたはずです。海の火山が100個ほどあれば、それまでいた生物の多様性が保てるというシミュレーションもあります。
 refugiaがまるごと地層の中に化石として残っていれば、生物の多様性の実態が明らかにできるでしょうが、今のところ見つかっていません。
 過酷な環境で生き延びるためのrefugiaは、必ずしも快適ではなかったでしょう。狭いところに押し込まれて、生きなければなりません。餌や場所の奪い合い、食うか逃げるかなど激しい生存競争をしながら生きていかなければなりません。それがrefugiaの実態なのです。
 全球凍結は、1000万年以上継続したと考えられています。それだけ長く一つの火山が活動することはありません。ですから、refugiaもやがては消える運命にあります。ですから、今いるrefugiaがあるうちに、他のrefugiaへ子孫を送り込むすべを持っていなければなりません。そんな生存能力をもったものだけが全球凍結を生き延びることができたのです。
 refugiaは、決してパラダイスではないのです。refugiaはサバイバルの場、一時しのぎのシュルターにすぎません。種としての生存戦略が問われるのでしょう。ネアンデルタール人のように再起できなかった種も多数あるはずです。3.11で引き起こされた放射能汚染は、日本人にとって、被災者にとって、refugiaをどうするのか。これからどう立ち向かいのか。これから長い戦いが続くのです。クロマニオン人のようになんとか再起したいものです。


Letter■ 夏休みはまだまだ・家族旅行

・夏休みはまだまだ・
いよいよ夏休みです。
北海道も夏です。
晴れた日には、セミも鳴きだし、
暑さもそれなりに厳しくなります。
大学はまだ定期試験中で
夏休み休みではありません。
教員はその後採点、入力、評価が控えています。
一番暑い時に試験や集計作業とは・・・

・家族旅行・
家族のありようは、年月ととともに変化していきます。
子供が小さいうちは、
子供に合わせて楽しめそうなところへ
思い出づくりに出かけました。
子供が大きくなると、子供自身の世界もでき、
クラブや講習などもあり、
なかなか家族全員がそろって行動することができません。
しかし、親は子離れできず、昔の記憶のまま、
夏休みには家族旅行をしたいと思っています。
私はもう諦めているのですが、
家内は諦め切れないようです。
主婦にとっても夏休みは
自宅という現実から離れて
のんびりしたいのでしょう。
なんとか実現したいものですが、
どうなることやら。


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