地球のつぶやき
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Essay■ 133 科学で戦った女性:3度目の被曝
Letter ■ 米沢さん・猿橋賞


(2013.02.01)
  地球化学の分野で、一流の分析技術をもっていたのに、敗戦国日本だから、女性だからという理由で、その成果を否定されました。彼女は、科学を舞台に、たったひとりでアメリカに対決を挑みました。彼女の戦う心は、今も日本に受け継がれています。


Essay■ 133 科学で戦った女性:3度目の被曝

 日本では2011年3月11日の地震により、福島第一原子力発電所で事故が起こりました。地震による不可抗力もあるでしょう。原因追求も重要ですが、今後どのような事故処理をするのか、原子力発電に対する方針などが、問われるところでしょう。世界に対して、日本の原子力への姿勢を示すときでもあります。日本は世界でも多くの被曝経験をもつ国だから、その発言力はどこよりも大きいはずです。
  日本は、放射性物質による被曝では、いろいろな試練を受けました。第二次大戦末期の広島と長崎での2度の原爆投下による被曝、そして3.11による福島第一原発事故での被曝。しかし、その間に3度目の被曝がありました。
  1954年3月1日に起こったビキニ環礁でのアメリカの水爆実験によって、第五福竜丸が被曝した事件です。この3度目の被曝では、女性地球化学者である猿橋勝子さんが、戦勝国アメリカを相手に、化学分析でたった一人で立ち向かいました。
  猿橋さんは、戦後、中央気象台研究部(現在の気象庁気象研究所)で研究をされていた地球化学者です。女性の科学者が少ない時期、それも理系の地球化学ではさらに少なかったと考えられます。彼女がアメリカの大物化学者を相手取って大きな戦いを勝ち抜きました。その後も研究者としていろいろな活動を続けられてきました。こんな若き頃の華々しさとは裏腹に、2007年に87歳でお亡くなりになるまで、女性研究者の地位向上たの社会的な活動を、縁の下で支えられてこられました。
  1945年からはじまった米ソの冷戦によって、宇宙開発や航空技術の開発競争にともなって、核兵器の開発の競われました。アメリカは、1946年から1958年までの間に、67回の原水爆の実験を、太平洋のビキニ環礁でおこないました。そして、最初の水爆実験が、第五福竜丸の事件を起こしました。
  第五福竜丸は、アメリカが定めた危険区域より外、160kmも離れたところで操業していました。危険区域外にいたのに大きな被害を受けたということは、アメリカの科学者も水爆の威力を予測しえなかったことを意味します。米ソ冷戦によるアメリカの焦りが、なりふり構わない強引な実験をさせたといわれています。
  第五福竜丸の乗組員は23名で、被曝が原因で死亡した人が14名、生存者でガンを発病した人は7名。ガンの発病率90%というひどいものでした。
  当時、34歳の猿橋さんは、すでに微量成分の精密分析では第一人者で、第五福竜丸の船員が採取していた貴重な「死の灰」を分析しています。分析結果は、日本の学会ですぐに発表されました。
  アメリカは原水爆実験の影響を調べるために、アメリカのカリフォルニア大学サンディエゴ校スクリップス海洋研究所のセオドア・フォルサム博士(Theodore Robert Folsom)らは、南カリフォルニアの海水中のセシウム137(放射性物質のひとつ)の濃度を測定しました。1960年、その結果をイギリスの一流の科学雑誌「ネイチャー」に報告しました。原爆実験で放射性物質は放出されたが、彼らの値(海水1リットルあたり、0.1×10^12キュリー)は、海水が大量で海流もあるので、放射性物質の濃度も薄まる(希釈といいます)ので核実験は影響はない、安全だと主張しました。
  一方、猿橋さんと恩師の三宅泰雄たちは、日本でも独自に海洋汚染を調査していました。日本近海で海水のセシウム137を測定したところ、フォルサムらの値より10〜50倍も高い濃度(海水1リットルあたり、0.8〜4.8×10^12キュリー)を検出しました。核実験による放射性物質が、遠く離れた日本の海まで、北赤道海流によって運ばれているという汚染の実態を示していきました。
  相反する結果に対し、アメリカの化学者たちは、猿橋らの「日本側の分析の不備」として、測定が誤りや改竄だと批判しました。三宅や猿橋さんたちは、分析に絶対の自信をもっていました。三宅さんは、アメリカ原子力委員会に、日米の相互検定を申し入れました。同一の海水を用いた分析技術がどちらが確かか競おうという申しいれでした。日本の地球化学者がアメリカの科学者たち対して分析技術の優劣を競う「果たし状」を送りつけたことになります。アメリカの化学者側は、それを受け入れました。
  1962年から1963年の間、猿橋さんはアメリカ原子力委員会の要請を受けてというかたちで、放射能分析法の比較でスクリップス海洋研究所にいきました。機材や試薬は日本から送られましたが、猿橋さんは単身アメリカに乗り込み、自分たちの主張の正しさを示すために、孤軍奮闘することになりました。猿橋さんは、当時42歳でした。
  化学分析による日米対決という構図でした。対決は、50リットルの海水にセシウム134が少量溶かしてあります。濃度の違う海水を4種を、猿橋用とフォルサム用にそれぞれ準備されました。難易度の高い、微量の放射性物質を含む分析で、同一の試料を用いて、精度を競うことになりました。ところが、猿橋さんの試料は、2割ほど濃度が低いものが配られていたようです。分析の場所も汚い木造の掘っ立て小屋のようなところだったといいます。アウェイで孤立無援で、しかもフェアでない戦いが強いられました。
  どちらがより高く放射性物質を回収できるか、分析精度はどちらが良いかを競われました。猿橋さんの回収率は4種すべてで90%を上回り、平均でも94%でした。データのばらつきも少なく、精度のよさをうかがわせます。一方、フォルサムの回収率は、1つだけ90%を超えるものがありましたが、それ以外は80%台で、平均で87%でした。データにばらつきがあり、精度が良くないことがわかります。猿橋さんの圧勝でした。気難しいフォルサムも、猿橋さんの分析技術の高さに納得しました。
  猿橋さんの勝利は、日本の化学分析精度の正しさも裏付けました。結果、「核実験は安全」という主張は覆されました。日本の近海にまで、放射性物質の汚染が広がっていることを決定づけました。
  猿橋さんは、女性科学者の権利を確立し守るために、1958年に「日本婦人科学者の会」の創立者のひとりとして尽力されてきました。その後も、1980年には「女性科学者に明るい未来をの会」を設立されました。「女性科学者に明るい未来をの会」は、毎年5月に自然科学分野で顕著な研究業績をおさめた50歳未満の女性科学者に猿橋賞を与えることになりました。
  科学者に対する賞はいろいろあるのですが、女性への猿橋賞は、それなりの意義があります。女性として、社会、特に研究界ではいろいろな苦労があるはずです。この賞を受賞することで、多くのメディアに取り上げられ、社会的ステータスが少しでも向上することができれば、彼女らの研究生活にプラスに働くことになるでしょう。そんな目的をもって猿橋賞は与えられています。
  1981年に1回目の授賞式があり、2012年で32回目となります。第32回の猿橋賞の受賞者は、東京大大気海洋研究所の阿部彩子さんでした。研究テーマは「過去から将来の気候と氷床の変動メカニズムの研究」でした。
  彩子さんとは、直接お話しをしたことはほとんどないのですが、ご主人をよく知っているので、間接的ではありますが交流をしています。彩子さんのご主人は、東京大学地球惑星科学の阿部豊さんで、惑星の進化や大気や気候の研究をされてます。その関係でお付き合いがあったのですが、近年は大病をされているので、年賀状だけのやり取りだけになっています。彩子さんは、女性研究者としてだけでなく、3人の子育てをしている母として、そして妻としても豊さんの看病、介助もなされています。そんな苦労が、猿橋賞の受賞で少しは報われればと思っています。
  今の日本の社会でも、大学や研究施設の研究者、会社の幹部、行政や政治の上層部の女性の比率は、多くないはずです。意図されない圧力や無意識の差別もあるはずです。戦っている女性研究者は多数おられるはずです。そんな戦っているにエールを送ります。


Letter■ 米沢さん・猿橋賞

・米沢さん・
今回のエッセイは、
米沢富美子著の「猿橋勝子という生き方」
(ISBNISBN978-4-00-007497-1 C0340)
を参考にしました。
猿橋勝子さんは全く面識のない方ですが、
著者の米沢さんは一度ある学会でお会いしたことがあり、
少し話させて頂きました。
著書も何冊か読ませていただいています。
目上の人ですが、非常にチャーミンで
なおかつシャープな方という印象があります。

・猿橋賞・
猿橋賞の存在は以前から知っていました。
2001年、第21回の永原裕子さんの受賞から
気にするようになりました。
永原さんは隕石の研究をされていることから
よく知っていました。
猿橋賞の背景の物語はよく知りませんでした。
以前テレビの番組で背景の物語見た記憶があります。
番組の詳細は覚えていないのですが、
化学分析で単身アメリカに赴き、
分析の実力で勝ったという話を覚えています。
それ以降、猿橋賞の受賞のニュースには気にかけていたのですが、
あまり知っている人の受賞はなかったのですが、
昨年、阿部彩子さんが受賞されたことでより気になりました。
そして米沢さんの本を読んだことで
今回のエッセイを書くことにしました。


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