地球のつぶやき
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Essay■ 111 まろうど として
Letter ■ お見舞い・自己満足・成果


(2011.04.01)
  「まろうど」として、私は、愛媛県西予市城川町で1年間すごしました。そこでは、研究目標の達成を目指しながらも、地域の人ととのかかわりを育んできました。私が城川でなしたこと、「まろうど」として果たしたこととは、いったい何だったのでしょか。1年を振り返りながら考えてみました。


Essay■ 111 まろうど として

 「マロウド」という言葉をご存知でしょうか。外国語のような響きがありますが、実は日本語です。「客」という漢字があります。「客」の音読みは、「きゃく」とか「かく」ですが、訓読みをご存知でしょうか。音読みしかないと思っている方も多いのではないでしょうか。実は訓読みもあります。それが、「まろうど」という読みです。「客人」と書いて「まろうど」と読むこともありますが、「客」一文字で「まろうど」と読みます。
  漢字の辞書の「漢字源」によると、「客」は、会意文字でもあり形声文字でもあります。「客」のつくりの「各」は、四角い石うえに足でつかえてとまった姿を示す会意文字です。その「各」を音として、かんむりの「宀(やね、いえ)」をつけて、他人の家にしばし足がつかえてとまるいう意味になったそうです。訓読みは、古くから日本で使われてきた大和言葉の「まらひと」から由来していて、「まれに来る人」から「客」という漢字にあてられました。
  さて、私は、2010年4月1日から今年の3月31日まで、1年間、愛媛県西予市城川町に滞在しました。野外調査に出ることも、周辺の行事や名所などもいろいろ見にもでかけましたが、それ以外は城川総合支所で仕事をするという生活をしてきました。まあ、起きているときの大部分は支所で執務していたことになります。
  一日の生活は、単調な繰り返しをしていました。朝起きて、朝食を食べて自宅を6時前後にでます。歩いていても、ほとんど会う人はいませんが、まれに散歩する人に会うことがあります。何度か会えば顔見知りに会話もすることもありました。夕方は5時過ぎに支所を出て、帰宅したらご飯をセットし、すぐに温泉プールに向かいます。プールでも同じ時間帯に毎日いってますから、何人かの顔見知りもできます。プールの職員や何人かの顔見知りとは、会えば笑って挨拶をかわすだけでなく、挨拶以上の会話もするようにもなりました。プールから帰ってきたら7時過ぎで、それから夕食をとって、片付けが終わったら布団に入ります。そして眠くなるまで本を読み、寝ます。そしてまた、朝を迎えます。その繰り返しの毎日でした。
  こんな生活でも、少ないながらも、町の人達とも付き合いもし、ネットワークが築きながら暮らしてきました。身分も聞かれない限り明かすこともなく、生活していました。しかし、滞在が長くなる従い、講演会や町の広報に写真入で出たりしたので、素性も知られるようになってきました。そんな生活も、3月いっぱいで終わりました。
  1年間の城川暮らしを振り返り、引越し前に少々整理していこうかと思いました。そのまとめを今回のエッセイにしました。
  まとめようと思ったとき、まずは、「まろうど」という言葉を思い浮かべました。滞在当初、地域の人々が、非常に深い絆で結ばれているため、お互いに氏素性を熟知する関係です。そこで生活をしはじめると、自分が「旅人」であるということを強く感じました。四国では、巡礼者など旅人もてなす「接待」風習が今もあり、旅人には親切です。
  時間がたち、顔見知りの増え、私の素性を知る人も増えてくると、「まろうど」としての扱いを受けるようになりました。私の素性は知っているが、外から来た人でやがて出て行く人という扱いです。ただし旅人とは違って、1年間という期間住み着いている人という扱いです。「旅人」と「まろうど」の違いは、微々たるものですが、相手の笑顔や会話の機微として微かに感じます。
  ここに定住しない限り、「まろうど」を超えることはできません。それは仕方がないことで、それはそれでいいと思います。ですから、私は、「まろうど」としての生活を楽しみました。
  研究の面ではどうだったでしょうか。滞在期間での研究目的は、いろいろとありましたが、申請したときの研究題目は「西南日本外帯の地質調査とその教材化による科学教育の手法開発−西予市周辺地域の地質によるケーススタディ−」でした。
  研究としては、地質学と教育学における目的がありました。地質学では、研究データの収集のために地質調査と私が目指している地質学における哲学的な思索の野外での実践でした。教育学では、地域固有の地質素材を集めることと、それを利用した教育実践としての応用でした。
  研究において調査やデータ収集、分析は必要不可欠な作業です。しかし、研究とは、その成果を公表、公開することによって完結します。公表、公開とは、学会で発表したり、論文を専門誌に投稿して印刷物として出版することです。科学教育においては、実際に実践をすることが重視され、そこから抽象化できることがあれば、論文となります。ですから、科学教育では、まずは実践した実績をつくることとなります。
  研究の結果は、昨年9月に半分経過したので一度整理し、先日1年間の整理をしました。私の当初の目標は、月一本ペースで論文の草稿作成と月一回の野外調査を目指すことでした。もちろん目標ですから、少々高めに設定して、実際はその半分も出来ればいいかなと思っていました。調査不足、書けなかった草稿、やり残したテーマなどがまだまだあります。もっと頑張れたのではないか、という思いもあります。目論見通りにはいきませんでしたが、それなりの成果もありました。
  研究で成果を出すということは、知的資産の蓄積、人類への貢献といったことが大義名分になります。でも、個人のレベルで考えると、自己満足の延長でしかないのかもしれません。一方、科学教育は、人を相手にします。教育を受けた人は、そこから何をえ、何を学ぶかは、講師には予測不能です。ただ、可能なかぎり周到な準備をし、少しでもよりよく分かってもらう努力をすることしかできません。
  地元の小学生や先生、住民とは、町でみかけると挨拶をして、時には話しかけてくれます。そして多分ですが、私の身分を知って話している人の何人かは、地質学者が1年間住み着いていることから、自分たちの地域の地質が重要だということに思いはせてくれるていると思います。そう願います。そのような期待も、自己満足でしょうね。
  私は、1991年の城川町立地質館の構想、建設以来、毎年のように城川町に通っています。その間に、2004年4月1日には市町村合併で西予市が誕生しました。それによって私の地質に関わる科学教育の実践の舞台も、城川町から西予市に拡大しました。そして2010年4月から、私は西予市城川町の一員として1年暮らすまでの関係ができました。
  たとえ20年間毎年通っても、たとえ1年間住み着いても、やはり私は「まろうど」です。そこで生計を立ててるわけでもないし、家族と離れての単身赴任で、やがて北海道に帰る「まろうど」です。でも、「まろうど」が城川に興味を持っている、西予市に長期滞在するという意義はあったのかもしれません。私が、「まろうど」であるが故に、より多くの人に、私の声が届いたかもしれません。
  「まろうど」に対して、地域の人は暖かく接してくださいました。そのおかげで、充実した1年間が過ごせたという思いがあります。それは受け入れてたいただいた西予市と城川総合支所の関係者の方々、そして地域の住民の方々にお世話になりました。充実した一年を過ごせました。本当にありがとうございました。


Letter■ お見舞い・自己満足・成果

・お見舞い・
東北地方太平洋沖地震に
被災された方々、お見舞い申し上げます。
微力ながら復興に支援していきたいと思っています。
ただし、多数の人が力を合わせてこそ意味にある寄付と、
地質学者、科学教育者としての私ができる
研究やこのエッセイのような科学普及のように
その分野で続けてきたことが
間接的な支援として、役立つと信じています。
一刻もはやい普及をお祈りしています。

・自己満足・
研究とは、広い意味では自己満足かもしれません。
でも、これは研究だけでないかもしれません。
でも掘り起こせは、どんな仕事や責務にも、
自己満足的な部分があるような気がします。
なくても遂行している本人が見つけ出しているかもしません。
もしかすると、それが人が動くための重要な
モティベーションになっているかもしれません。
本音から動かないと一生懸命にはなれないはずです。
自己満足は、本音の琴線にふれるのかもしれませんね。
ですから、自己満足は悪い面だけでなくよい面もあるわけです。
自己満足、結構ではないでしょうか。
その自己満足が個人の利益ではなく、他者の益となれば、
そしてそんな力が集まれば、
社会にとっては、大きな力となるはずです。
復興にもそんな力が必要なはずです。

・成果・
エッセイも書きませんでしたが、
2つのテーマでサバティカルの申請をしました。
それに基づいて、私の城川での1年間は
以下のようにまとめられます。
▼地質学の成果
野外調査:28日
投稿論文:2編
論文草稿:6編
▼科学教育実践
小学校での授業実践:2校時×2日
普及講演:3回
(今年の秋に出版予定)
西予市の地質図
西予市の地質解説書


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