地球のつぶやき
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Essay■ 109 酒造りとモデル造り:感覚と論理
Letter ■ 中城本家酒造・帰省


(2011.02.01)
  造り酒屋さんを見学に行きました。そのときご主人と話をしました。酒造りには、科学的な手法を用いておられます。しかし、感覚的なものも織り込まれています。そんな話を聞いたとき、科学にもそんな側面があることに気づきました。感覚と論理について考えます。


Essay■ 109 酒造りとモデル造り:感覚と論理

 かつては、日本各地、どこにでも造り酒屋がありました。ところが、現在では、その数が少なくなっています。田舎の過疎化、大手の酒造メーカーの寡占、日本酒の低迷、輸入の酒類の台頭など、いろいろと理由はあるのでしょう。日本が豊かになり、消費者が酒の質を問うようになり、それに応えるためには酒造りに手間がかかりるようになり、結果として造り酒屋の淘汰が起こっことも原因でしょう。消費者の要求に合う酒が造れ、ブランドとして流通に乗れた造り酒屋が、生き残っていきます。このような淘汰の現象は、酒業界だけでなく、多くの業種でも、起きていることなのかもしれません。
  先日、愛媛県西予市城川にある地元の造り酒屋の見学に訪れました。1月の寒い時期、酒の寒仕込みが行われていました。小さな造り酒屋で、家族総出(4名)でも手が足りず、数名の人を雇って仕込みが行われています。酒づくりは、雑菌の繁殖が少なく、コウジ菌と酵母のみが成育するような微妙な条件の違いみきわめて、寒い時期におこなわれます。ですから、本来なら外部の人の出入りをあまり好まないはずです。でも、快く見学させていただきました。ありがたいことです。
  ざっと酒の作り方を紹介しましょうた。米(酒に適した米:山田錦など)を精米(酒の種類によって80%も削って捨てることも)して、良く洗い、蒸します。蒸した米を冷まし、3回(4日にわたる)に分けて、麹(こうじ)と酒母(後述)、米、水をいれていきます(仕込み)。そして毎日かき混ぜなら様子を見て発酵させます。一月ほどすると酒ができます。できたら搾って清酒と粕に分けます。清酒は、濾過して、殺菌のために65度くらいに熱し、しばらく熟成させます。その期間はいろいろなようです。味を見てきめるようです。
  麹とは、米に麹菌がたくさん繁殖したものです。麹菌は米のデンプンを糖化させます。麹は、大量に必要になるので、種麹を蒸した米にふりかけ繁殖させ増やしていきます。酒母は、米に酵母(真菌類)がたくさん繁殖したものです。酵母によって、糖をアルコールにし、雑菌の繁殖を抑える乳酸もつくります。麹も酒母も微生物です。酒造りの過程で、たくさん必要になるので、自前で量産します。
  酒造り関して、その過程の多くは科学的に解明されています。ただし、その過程で多くの種類の微生物が関与しています。その組み合わせによって、微妙に、時には大きく、味の違いが生じるようです。その違いを、酒好きの人は、味覚で感じ取ります。私には、無理なのですが。
  さて長くなりましたが、本題はこれからです。造り酒屋のご主人とお話をしていて感じましたが、非常によく勉強されています。そして、毎日状態のチェックをして、その結果を詳しく記録されています。ご主人いわく、科学的な条件はすべて整えた上で、実際に実践してみないと、いい酒になるかどうかはわからないとのことです。酒造りには複雑な要因がからんでいるようです。
  麹や酒母は良質のものが販売されていますし、麹菌や酒母に適した条件(温度や湿度など)もほとんどわかっています。条件を揃えるための機械化もある程度なされています。でも、うまくいくかどうかは、つくってみないとわからないようです。
  杜氏でもあるご主人が話してくださった中に、こんな話がありました。仕込みの時、働く人たちが、和気合い合いとしている時は、いい酒になり、ギスギスしていると、よくないというのです。ご主人も、それは科学的ではないと思っているようですが、酒の酸度に違いがでるといいます。感覚的で主観的なものが、数値という客観的なものに現れるというのです。
  つけ加えて、「だからといって、クラシック音楽を流す気はありませんが」と苦笑いしながらおっしゃっていました。ある造り酒屋では醸造中クラシックを流すと、いい酒になるというのです。それは科学的根拠がなさそうなので、ご主人はしないということなのでしょう。
  しかし、人の感覚的な状況の違いが、数値として現れるのは信じているようです。これは多分、人の和が酒の酸度を直接左右しているわけではなく、和に伴う何かの要因が、条件を変える遠因となっているのでしょう。その因果や影響の程度がわからなければ、和を保って作るしかありません。酒造りは、非常に複雑な因果を操る作業となるようです。
  科学でも似たようなことが起こっています。因果が多段階のステップを経ていたり、原因や結果が複数であったり、因果の関連が分からなかったりすることは、多々あります。そんなとき科学は、どう対処すればいいのでしょうか。
  オーソドクスな方法としては、思いつく限りの原因を抽出して、ひとつひとつ原因を制御して、そして求める結果にどのような影響を与えるかを虱潰しにみていきます。そこから、因果の緒(いとぐち)を見つけようとします。手間がかかりますが、各自な方法でもあります。実験系ではよく用いられる方法です。
  しかし、このような方法で因果の追求ができるのは、原因を人為的に変化させられるもの、その結果を実験的に得られるものだけです。
  地質学は、解明しきれない複雑な因果が背景にある素材を扱います。歴史性のある地質現象や生物進化などは、過去の事象を相手にしています。過去の事象は、再現できませんし、因果を見極めることがもできません。いってみれば、検証不能であります。検証不能なものから、因果を抽出することは、困難な作業です。そんな複雑な因果、検証不能の因果を学問として追求するとき、どうアプローチすればいいのでしょうか。
  ひとつの方法は、モデルをつくることです。モデルとは、事前にあってもいいですし、結果としてあってもいいのですが、ある研究者から提示されるモデルは、一応の科学的な論理性は持たされています。その論理性は、今まで得られた事実を一番うまく説明できるかどうかの正当性です。過去の事象に対しても、モデルを導入して、観察や情報収集、あるいは模擬実験などをします。
  同じ情報から、まったく別のモデルを提示することも可能です。特に地質学のような学問では、同じ露頭群を見ても、百人いれば百通りの地質図ができると言われています。それほど、モデルとは、いろいろなものができうるわけです。
  そのようなモデル(地質図)の良し悪しは、真偽の程は、なかなか判定できません。ひとつの目安として、より上位のモデル(地質学ではプレートテクトニクスやプルームテクトニクスなど)に、いかに適合しているかという判定がなされます。モデル自体が、因果律を満たしたものではないので、経験的に良し悪しを判断することになります。その上位モデルが正しいという保証はないのですが。
  ですからはじめから、上位モデルありきで情報収集がなされ、問題なく下位の事実が説明できるか下位モデルが作成されます。現在の研究の多くはこのようなトップダウン方式でなされています。これでは、新しいタイプのモデルは生み出されません。新しい突破口は、やはりボトムアップです。
  ですからもうひとつのアプローチは、経験あるいは感覚的に新しい道を見つけることです。そのためには、淡々と事実あるいは情報を積み重ねていくことです。そのような基礎的な情報収集の訓練、あるいは精度の高い情報から小さな因果を見つける訓練を、初学者は経験を積んでいきます。そのような経験が、突破口になると考えられます。
  経験を積んだ研究者は、ある時ある事実を見たとき、「ちょっといつものとは違うぞ」とか、「なんか変だぞ」、というような違和感を感じることがあります。その違いをもとに、再度今までの上位モデル自体を考えなおしてみることをおこなえます。すると、全く新しい何かが見えてくることがあります。これを見つけられるかどうかは、経験的、感覚的なもので、その発想の誕生に因果はありません。
  若者が伝統を打ち砕くと思われがちですが、実は、研究の世界(複雑な因果の世界)では、ある程度の知識や経験をもった研究者こそが、今までの常識(上位モデル)を疑うことができ、破壊できるのです。破壊の仕方にも、経験が必要です。初学者は、どこまでがその学界での動かし難い基礎で、どこからが破壊可能かすらわかりません。破壊にも経験がものをいいます。
  ひとりの研究者が、地道な情報を出し続けて、上位モデル改築への突破口を見つけることができなかったとしても、精度の高い事実や情報が増えていけば、それは科学の進歩を下支えします。やがては、量が質を生みます。あるいは、別の誰かが、それらの大量の情報から、新しい上位モデルを生む可能性があるはずです。
  このような経験というのは、因果では捉えることのできない「なにか」でしょう。因果では捉えることのできない経験を、複雑な因果、検証不能の因果の突破口にしようということです。その突破口は、もちろん科学ですから、論理性は吟味されます。しかし、地質学の多くは、モデルの比べっこです。モデルとは、因果が完全に解明されていないものに対して、有効なアプローチです。
  酒造りとモデルづくりは、論理と感覚を駆使する点で、どこか似たところがあります。


Letter■ 中城本家酒造・帰省

・中城本家酒造・
今回おじゃましたのは、
城川では唯一清酒を居つくっている
中城本家酒造さんでした。
先祖代々つくらきた相生(あいおい)、
そして今、力を入れらている城川郷がつくられています。
城川郷には、吟醸、純米吟醸、純米大吟醸、大吟醸、雫酒大吟醸
などいろいろなものがあります。
大吟醸をのみましが、なかなかいけます。
次は、相生をいただく予定で冷蔵庫にいれてあります。
2月になったら、搾り(しぼり)があります。
それも見学に良く予定です。

・帰省・
帰省中で、京都にいます。
発行は予約で行っています。
一番寒い時期の京都です。
独居の母を今年で3回訪ねました。
近所に息子や親戚、そして本人は野良仕事があるので、
それを励みに一人暮らしをしています。
4月以降は、なかなか帰れなくなります。
遠隔地での独居の母に対応するために、
見守りポットや携帯電話での連絡を
絶やさずおこなっています。
でも、やはり顔を合わして話すのが一番でしょう。
じっくりと話してきます。


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