地球のつぶやき
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Essay■ 108 大地を思う心
Letter ■ 新しいレース・新しいテーマ・年末年始


(2011.01.01)
  明けましておめでとうございます。今年最初のエッセイでは、大地をみる私たちの視点をどう変えるかについて考えます。大地を慈しむ心が大切ですが、それは、大地を理解することからはじまるのでしょう。そのとき科学教育が重要な役割を果たすはずです。


Essay■ 108 大地を思う心

 身近な自然には、だれもが親しみを持っています。そこに大きな変化が起こったり、ある日突然変貌していたら、だれでも気づき、そして気になるでしょう。その変化が、小さいもの、限られた範囲であっても、気にかかるでしょう。
  自然の変化の中には、自然の営為として起こるものと、人為によるものがあります。最近は人為変化も多く起こっています。年の初めですが、今回のエッセイは、自然と人為の違いを、少し考えていきたいと思っています。
  自然の営為による変化とは、もともと自然の中に組み込まれている営みの一つともいえます。つまり、変化自体も自然といえます。自然の中で、変化も必然として起こるわけです。たとえ人に大きな被害を与える災害でも、それは自然の営みとなります。
  人は、自然の変化のうち、自分たちに被害を与えるものを、長年にわたって押さえ込もうしてきました。人の生活圏の拡大によって、自然を変化させてきました。一部では大きな成功を挙げましたが、自然に太刀打ちできない場面も多々あります。
  災害への対処、生活圏の拡大の結果として、自然の変化を阻止したり、自然では起こりえない変化をさせてきたりしました。これは、人為による変化となります。
  人為による変化は、「不自然」な変化で、自然の規則性をはずれた変化となります。自然状態では起こりえない場所、速度、変位、改変、変異などを起こすことになります。さらに、人為による変化の後に起こる自然の営為による変化は、前提が異なっていますから、基本的には本来の自然の変化とは違ってきます。
  人為変化は、日本や先進国では20世紀後半以降、途上国でも近年、急速にその範囲や規模を拡大しています。昔の日本の変化と比べ、近年は人の居住圏周辺では、激しい人為変化の場となっているのは、多くの人が知るところでしょう。
  そのような人為変化の一環として、生物種の絶滅や生態系の破壊などが起こってきました。そんな変化に気づいた人たちによって、自然保護や環境保護の重要性が唱えられるようになってきました。
  多くの人は、自然の大切さ、自然を守る必要性についての教育を受けたはずです。教育という前提がないとしても、自然の一部である人類が、自然の変化に敏感であるのは当然かもしれません。ですから、多くの人は、自然や環境の意味、大切さを、基本的に、感覚的に知っているのかもしれません。
  ところが、社会に出ると、保護意識から遠ざかる人も多くなります。自然保護や環境保護に加わる人が、少数派であるのが現実です。それは、ある人にとっては、破壊側に関わったり、利害が発生したり、生きるためであるかもしれません。あるいは、単に学校で受けた教育の成果が薄れてきたのかもしれません。
  しかし、心のどこかに自然破壊に対して、後ろめたさを感じることがあります。あるいは、親となって、子供たちが自然保護、環境保護について、話したり、行動したりすると、ついつい心のどこかに日ごろの自分の行動に、子供にはいえない反省の気持ちを持つ人も多いのではないでしょうか。
  大人にとって自然や生態が不要かというと、それはありえません。やはり人が生きていくために、不可欠な存在です。もちろん、多くの人は、それを理解しています。自然の必要性を知りながら、破壊側にまわっているということに、忸怩たるものを感じているのです。そこに多くの人がジレンマを抱いているのではないでしょうか。
  ジレンマを感じる心こそが、自然に対する慈しみの気持ちをもっている証ではないでしょうか。その心こそが、重要だと思います。
  自然保護にジレンマに感じるような心があるのに、大地の変化に関しては、それほど多くの関心が払われることがありません。たとえば、ある山を崩し宅地造成するとき、そこにあった緑や生きていた生物などが特別なものであれば、注意が払われたり、保護を訴えられます。あるいは、緑が削られ、土がむき出しになっていくと、そこに自然破壊が起こっていると心穏やかではなくるでしょう。
  ところが、同時に山からなくなっていく地層や岩石に注意を払う人はほとんどいないはずです。これは、大地に対する慈しみの心をもってないからでしょう。なぜ、大地には関心がないのでしょうか。
  考えればすぐにわかることですが、生物は種が滅びない限り、似た環境があれば、ほとんどは再生可能です。特に日本のような植生の豊かなところでは、放って置けば、緑にもどります。何十年もすれば、もとの自然に近いものが回復するはずです。ところが、大地は、いったん壊れると二度と再生はできません。大地の変化は、不可逆の変化なのです。失われた大地には、重要な化石や鉱物、岩石などの重要な資料もあったかもしれません。それらは、注意を払わないと、だれも気づかないうちに消えていきます。なのに、大地には関心がないのです。
  もちろん、大地の変化も、自然の摂理として起こるものです。たとえば、浸食や風化などは定常的に起こっていますし、土砂崩れや火山、津波、地震などで、突発的に大規模に起こる大地の変化も、自然の営為によるものです。しかも、それを人は止めることはできません。
  人為変化にあたって、大地は、今までほとんど保存、記録されることなく、消失していきました。自然保護や環境保護を公教育では教え、児童、生徒、学生は、その重要性を理解し、運動などもします。しかし、その自然の中には、大地はふくまれることはほとんどありません。大地の変化に注意は払われることが少ないのは、大地の相手にしているものにとっては、悲しいことです。
  関心の低い人々に、大地の保護を訴えるのは、非現実的です。まずは、関心をもってもらうことです。そのためには、大地のことを、だれもがわかる常識にまでしなければなりません。きれいな結晶であれば、だれもそのよさ、重要性を理解できます。これは、きれいな花が誰もから好かれるのと同じことです。
  でも、化石が貴重なことは、その意味を理解しなければわかりません。そんな前提を構築することが重要ではないでしょうか。化石が恐竜であれば、守らねばという前提は形成されました。そんな前提構築こそが、科学教育の重要な役割だと思います。そこに至るステップが必要です。回りくどいかもしれませんが、そのような教育プロセスを繰り返しおこなう必要があると思います。
  まずは、研究者の存在の必要性の理解です。見えないような小さい化石、取るに足らない岩石にも、大地の生い立ちや営みを知るために重要な情報が隠されていることを研究者は解き明かしています。地層の出ている崖にへばりついてデータを採取している人、汗まみれになって川や海、山を歩いている人が解明してきました。そんなことに興味を持っている研究者がいること、そんな研究者が社会にいることを理解してもらうことが必要です。彼らの多くは税金を利用して研究しています。
  そして、次には、大地を愛おしく思って研究している人のいっていることに耳を傾けてもらう必要性です。研究成果の蓄積によって、学界で常識なってきたことを、今度は世間の人たちが常識になるように聞く耳を持ってもらうことが必要です。もちろん研究者からの発信は不可欠ですが、聞く人がいなければ発信システムは機能しません。そんな送受信の積み重ねによって、地震のメカニズム、津波予想、恐竜絶滅の原因、プレートの運動などとして、多くの人が知るところになりました。
  このようなステップの繰り返しが必要です。
  そして彼らの発した知識の上に、大地への慈しみの心が構築されてくるのだと思います。保護を訴える以前に、まずは大地に関心を持ってもらい、その重要性を理解してもらうことです。
  このようなステップを踏むために、いろいろな仕掛け(科学教育)が必要でしょう。そこでいくつかの新しい方法を提案することが、私の昨年までの研究目的となっていました。成果の上がった部分、上がらなかった部分もありますが、私一人で現在できることは、いろいろ試行し、報告もしてきました。昨年一年間いろいろ考えてきたのですが、一段落したと思えるようになってきました。ですから、今年から、新しいテーマを見つけて、次なるステップへ向かおうかと考えています。これを見つけることが、今年の私の抱負です。


Letter■ 新しいレース・新しいテーマ・年末年始

・新しいレース・
新年明けましておめでとうございます。
今年も皆様にとってよい年でありますように。
私は、今回のエッセイで書いたように、
新しいレースのスタートを切ろうと考えています。
スタートする前に、どこに向かうレースするからを
考えようと思っています。
次のレースも10年ほどの長丁場になるはずです。
ですから、研究者として最後のレースになるもしれません。
もしそうなら、悔いのないレースにしたいものです。
たとえゴールできなくても、
そのレースに参加すること事態を
楽しめるようなものにしたいものです。

・新しいテーマ・
今年、3月まで愛媛県にいます。
1年間あったサバティカルイヤー(研究休暇年)も、
あと残すところ、3ヶ月となりました。
通常の大学での環境とは違い、
なかなか充実した日々を過ごしました。
しかし、まだまだやり残しているような
飢餓感が心のどこかに残っています。
それを満たすことはできないかもしれませんが、
少しでも飢餓感を減らし
満足感に転換していきたいと思います。
その最初の目標が今回書いた新しいテーマを探すことです。
どんなものになりそうかまだわかりません。
やりたいことと、できることの狭間で
思案していきます。

・年末年始・
このメールマガジンも
12月末に事前に配送予約していたものです。
私は、正月には自宅に帰省しています。
帰省中は家族サービスに専念するので、
メールマガジンを忘れることがありえます。
特に、1月1日はばたばたしそうです。
ですから、事前予約です。
ただ、年末年始の長距離移動の費用は
割引がない分、なかなかたいへんですが、
いたし方ありません。
暮や正月は家族とともに過ごしたいですからね。


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