地球のつぶやき
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Essay■ 107 poit of no return:科学の立つ位置
Letter ■ 寒さ・反対派を大切に


(2010.12.01)
  地球温度化は日本では常識になっていますが、世界ではいまだに問題として激しい論争がなされています。科学では論争はつきもので、論争こそが科学の本分ともいえます。その科学に背負いきれないものが乗かってくると、科学の本分が働かなくなる状況が生じます。引っ込みのつかない、もう戻れない状態「poit of no return」になっているような気がします。


Essay■ 107 poit of no return:科学の立つ位置

 IPCCとは、英語の「Intergovernmental Panel on Climate Change」を略して呼ばれています。IPCCは、日本語では「気候変動に関する政府間パネル」と呼ばれています。多くの国の研究者が組織的に、地球温暖化についての科学的成果をまとめ、評価し、各国の政策担当者に示すことを目的にしています。
  IPCCは、1988年に世界気象機関(WMO)と国連環境計画(UNEP)により設立された組織です。3つの作業部会に分かれて作業をおこない、最終的に統合報告書が作成されます。「気候システム及び気候変化の自然科学的根拠」を検討する第1作業部会、「社会経済及び自然システム」を検討する第2作業部会、「気候変化の緩和」を検討する第3作業部会の3つです。
  IPCCは、その評価結果を報告書として公開しています。1990年に第1次評価報告書が、1995年に第2次評価報告書、2001年に第3次評価報告書、2007年に第4次評価報告書が、公開されました。私も授業で使うために第4次評価報告書のダイジェスト版をみたりしました。
  ご存知のように、地球温暖化に関するドキュメンタリー映画と著書「不都合な真実」のアメリカ合衆国元副大統領アル・ゴアとともにIPCCは、ノーベル平和賞を受賞しました。その理由は、「気候変動問題に関する活動」を評価されてのことです。2007年の報告書が承認される直前の受賞報道で、日本でも大きくニュースに取り上げられました。
  IPCCは、研究者を中心とする組織ですが、研究をするための組織ではなく、研究成果(査読制度をもつ雑誌に掲載された論文)をとりまとめ、評価するための組織です。報告書を作成するプロセスは、非常に厳密になされているはずです。なぜなら、その報告書が、気候変動に関する国際的な政治動向や政策決定に重要な役割を果たしているからです。
  IPCCは、そもそも「人為起源による」気候変化や影響を調べて、それへの対処を、科学的、技術的、社会経済学的に評価を行うことが目的です。「温暖化ありき」を前提として、その対策を考えることを使命としています。
  温暖化の根拠や動機なっているのが、近年地球の平均気温が急上昇しているという結果です。その結果はあるグラフが端的にあらわしているので、よく利用されています。それは、多くの人が目にしたことのあるグラフで、ホッケースのティックのような形をしているので、「ホッケースティック」曲線と呼ばれています。
  このグラフは、アメリカの古気候学者のマイケル・マンが、1998年に科学雑誌「Nature」に報告したものです。紀元1000年から2000年までの地球の平均気温をまとめたもので、1900年代になってから急激に温暖化が起こっていること示しているグラフとなっています。
  このグラフの作成には、地球の平均気温が必要ですが、そのような気象データは、1000年分もありません。そこでマンは、木の年輪を利用して気温変化を見積もる方法を採用して過去の気温を復元しています。
  この復元が議論の的となりました。この復元に用いたデータや、その計算方法を公開するように、温暖化懐疑派は要求したのですが、公開されませんでした。他のデータや計算方法にもいくつかの問題もあり、論文誌上でも議論となりました。なおこの「ホッケースティック」曲線は、第4次評価報告書には載っていません。他にも都市化による温度上昇に関する基礎データと計算法、気温測定地点の状況、平均化のための計算方法なども、公開を拒否するなどいろいろと問題もありました。
  このようなやり取りが繰り返され、温暖化肯定派(とくにIPCCの中核に近い研究者たち)と温暖化懐疑派たちのあいだで、感情的な対立が強く生じました。
  そこに、2009年11月19日、不正と見られても仕方がないような作為を示すメールや文書が、クラッキングによりインターネット上に流出しました。日本ではあまりメディアで伝えられることがなかったのですが、海外のメディアでは、大きなニュースになったり、いくつかの書籍も出版されて、その事件はクライメートゲート(Climategate)事件と呼ばれるようになりました。
  温暖化肯定派は、それらの問題の処理がいろいろなされていますが、部外者的に立場でみると、温暖化を示すデータ、根拠、科学的取り扱いなどに、どうもあまりフェアでなかったような行為もあったようです。
  私が、このエッセイでいいたいのは、温暖化肯定派か温暖化懐疑派を論じることではなく、科学の成果と利用についての考え方です。
  IPCCという影響力をもつ組織があり、それが実際に政策に関与し、そのフィードバックとして研究費や環境産業、排出権取引など金銭が介在する世界を生み出しました。このような世界が、科学の成果や評価に影響をおよぼさなければいいのですが、それはなかなか難しいようです。そのような土壌のもとで、温暖化のクライメートゲート事件が起きたのです。大きな組織、予算、研究費などが絡まないものであれば、このような事件は起きなかったでしょう。起きたとしても、学界内のスキャンダルに過ぎないものだったはずです。
  科学は、そもそもの大前提として、フェアに起こなわれるべきものです。論文の成否(受理か却下)と、その成果を他の研究者が採用するかしないかによって、科学の成果が広まるか無視されるかになります。もちろん反論による議論をすることも起こります。しかし、それらは科学の土俵で手続きを経て行われます。そこには、権力、費用、栄誉などが前面にはでることはありません。また、そのデータや処理の吟味や評価は、データを出した研究者はもちろんですが、批判者に対しても、公開し、批判を受けていく必要があります。これが科学の代謝、あるいは進歩を促します。
  ことが数人の当事者間であれば、それほど問題はこじれず、より確からしい結果へと更新が起こるはずです。こじれたとしても、それ以上大事になることもなく、時間とともに忘れ去れていくでしょう。
  IPCCのように大きな組織で政治や金も動く状況になれば、批判者はでてくることでしょう。また、その本質に問題があるという指摘するようなグループに対して、なかなかフェアに対処できないこともあるでしょう。
  でも、もし「温暖化が間違い」となったら、IPCCとしては、大変なことになります。なぜなら「温暖化ありき」でスタートした組織で、今では国家の政策、国際社会をも巻き込んだ運動となっています。日本でもメディアの前で多くの科学者が、温暖化を主張し、反温暖化派を批判しています。その背後にはIPCCがいて、第4次評価報告書があります。今さら、「温暖化が間違い」となっても、責任をとれる状況は逸しています。
  地球温暖化の予測で、「poit of no return」というものがあります。これまでに、対処しないと深刻な事態が起こるという地点です。でも、IPCCにおける「poit of no return」は、始まった時点に過ぎていたのかもしれません。
  このように、科学が政治や経済と結びつくときは、注意が必要です。まして目標や目的が決まって巨大な組織、政策、予算が動きだしてしまうと、なかなか変更はむつかしくなります。いった進みだした方向性に基づいて技術は、投資に見合った進歩を急激に起こします。戦争による武器の進歩、原子爆弾の開発がそのいい例でしょう。
  科学のいい点は、やがて間違いは正されるということです。これは、科学の歴史をみれば明らかです。ニュートンやアインシュタインのような科学の巨人ですら、その洗礼は受けています。また、多数派が勝つとは限らないことです。創造説、エーテル説、地向斜説などかつては、主流となっていた説も、後には否定されることもあることは歴史が教えてくれます。
  私は地質学に携わってきましたから、地球の温暖化は、地球史では当たり前に繰り返し起こるできごとに見えます。時間スケールを変えてみると、繰り返し氷河期が訪れていること、今は氷河期に向かってもおかしくない時期であること、新生代後半は寒冷化に向かう時期と読み取れることも知っています。これは、私だけでなく、地質学者ならだれでも知っていることです。多くの研究のグラフもそうなっています。
  科学は、人間の営為です。栄誉や評価、研究費は、研究者ならだれでもが欲しがります。研究者も人間ですから、感情があり、対立が起これば、不正行為、犯罪も起こりえます。これも、過去の事件を上げるまでもなく、いろいろありました。これは、人間の業(ごう)ともいうべきものかもしれません。
  温暖化派も反温暖化派も当事者には、もはやもつれた糸をほぐすことは困難かもしれません。利害のない別の科学者たちが、淡々と科学のやり方に従って成果を積み重ね、新たな糸を紡ぐしかないのかもしれません。
  温暖化が起こるかどうか、それはいずれ自然が答えを出すはずです。その頃には当事者の科学者たちはいないかもしれませんが。


Letter■ 心地よかったところ・帰京

・寒さ・
いよいよ山里は寒くなってきました。
車のフロントガラスも
朝は凍るようになって来ました。
ストーブを毎朝夕つけるようになりました。
夏の寒さがそれほどでもないところなので、
冬の寒さは厳しそうです。
私は、そんな寒さにもめげず、
地域のイベントがあれば、
できる限り参加しています。

・反対派を大切に・
世の中が一色に染まり、
それ以外は異端として排除されることはよくあります。
反主流派が主流派を批判するのは世の常です。
このような運動形態は人の社会の定常的な動態かもしれません。
主流派は自分の弱点を見るために反主流派の意見を知る必要があります。
なぜなら、反主流派こそが、
主流派論理の一番の理解者だからです。
その上の批判なのです。
温暖化懐疑論者の重要サイト:Climate Audit
  http://climateaudit.org/
(感情的なものだけでなく、科学的な議論もなされています。
どんなセレクトもせず、
すべて公開の場で議論がなされているフェアさがあります。
非常に活発な発言が行われています)
Watts Up With That?
  http://wattsupwiththat.com/
(かつてはアメリカの気温測定点の現地調査をして、
その実態を公開するということを中心に行っていました。
ひどいところがなかりあったようです)
なども時には見る必要があるかもしれません。


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